紺碧の空

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紺碧の空?B7R制空戦(後編)?

2010/07/30 12:05

1995年5月28日 午前11時25分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度12,000フィート

キャノピーグラスを通して見る空は、高くなるほどその深い蒼をさらに深めていく。
私は、見慣れているはずのその景色をあらためて美しいと思った。
視線をゆっくりと下方に戻す。
自機のやや前方を飛ぶ編隊は、複数の群に別れ、それらは互いにかなりの距離を置いて蒼空を進んでいた。
それは決して深遠な作戦とか、熟慮とかの産物ではない。
最初は1個中隊以上の規模であったはずの戦闘機隊は、わずかな時間の間にその連携を風化させ、今では複数の編隊の、寄せ集めにも似た集団となっていた。
その各編隊も、各機の間隔が開ききっていて、もはや編隊と呼べるかどうかも疑わしい。

『あぶなっかしい飛び方ですね。』
後席のロベルト准尉がポツリと呟いた。
『バルクホルン中尉が、言ってた意味が良く分かったよ。』
昨日編隊を組んだユーゲントたちも決して上手ではなかったが、今、眼前を飛ぶユーゲントに比べれば、はるかに優秀だ。
そう思えるほど、グリペンの挙動は怪しく頼りない。
『あれじゃ、1回の出撃で全滅確定だな。』
軽くため息をつきながら、私は言葉を継ぐ。
『正直、自分はあの連中と飛ぶのはごめんです。アカデミーであんな飛び方したら、次の日にゃ、荷物抱えたまま門から蹴りだされますよ。』
ロベルトの言葉に、私は唇を軽く歪ませて笑った。
脳裏に、空軍アカデミーでの毎日が甦ってくる。
レシプロエンジンの初等練習機で初めて飛んだ日のこと。
ジェット推進の中等練習機での単独飛行。
不適格の烙印に怯えながらの日々。
そして、戦闘機乗りになれた瞬間の喜び―――
開戦から数ヶ月、今まで良くも悪くも生き残ってこれたのは、アカデミー時代に教官から叩き込まれた操縦の基本を忠実に守っていることに他ならない。
「戦闘機乗りになるには、まず飛行機乗りになることだ。」
私を指導してくれた教官は、最初にこう口にした。
飛行機はバランスが重要な機械だ。
水平飛行をしている飛行機は、速度の上がったバイクと同じように操縦桿から手を離していても真っすぐに進む。
戦闘時における特殊機動は、その完成されたバランスを意図的に崩すことであり、戦闘機パイロットたらんとしたら、機動により崩れたバランスを素早く取り戻すことを要求される。
『奴ら、基礎からやり直す必要がありますね。』
ロベルトはブツブツと文句を言い続けている。
昨日のユーゲントたち以上の腕前に、彼としては心配この上ないのだろう。
『パイロットが不足してるんだ。そう贅沢も言ってられないさ。』
悟りの境地ではないが、昨日の一件で、私はかなり冷めてしまっている。
ついつい他人事のような口ぶりになるのは止むを得なかった。
そのまま会話は打ち切りとなり、しばらく機内はお互いの息遣いのみが響き続けた。

1995年5月28日 午前11時30分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度12,000フィート

『……少尉、レーダーを。敵がきます。』
沈黙を破ったのは、緊張感を増したロベルトの声だった。
ちらりとレーダー画面に視線を走らせる。
いくつも航跡が飛び交い、そして消滅する。
増援として急派されたエルザ基地の所属部隊は、北部円卓の制空権を互角の状態にまで押し返していた。
その後方、A?10空域でもガーランド隊長をはじめとするヴェストファーレン基地の部隊が戦い続けている。
だが、多勢に無勢――――――
防衛ラインの穴を突かれる形で、数機の敵機が、我々が通過しているA?9戦域へ高速で侵入してくる。
速度を上げれない今の状態では、追いつかれるのは時間の問題だった。
『シャイセ!(くそっ)』
私は、罵り声を上げると無線の送信スイッチを押し込み、ユーゲントたちの前方を飛ぶバルクホルン機を呼び出した。
『プリースト3より2。中尉、接近中の敵編隊をレーダーで探知。食い止めます。出来る限りの全速で離脱して下さい。』
『プリースト2、了解。』
間髪いれずバルクホルン中尉から答えが返る。
そして、グッと人間味を帯びた声で言葉を継いだ。
『反撃できるのはお前だけだ。重荷を背負わすが、離脱するまで後ろを頼む。』
円卓の磁場が影響しているのだろうか、その声は妙に歪んで聞こえた。
『了解。』
私は、送信スイッチを入れ、即座に応答した。
そのまま、前方を飛ぶユーゲントたちのグリペンに視線を移す。
1…2…3…、8機全ていることを確認すると、酸素マスクの中で大きく息を吐いた。
『聞こえたな、ロベルト?大立ち回りをやらかすぞ。』
『本気ですか?』
ヘッドホンからロベルトの半分呆れた声が響く。
『接近中の敵は8機。最悪、なぶり殺しですよ。』
ロベルトの声が緊張を含んだものになる。
『それでも時間稼ぎくらいにはなるさ。』
私はそう言うと、素早く機体をユーゲントのグリペンの横に滑り込ませる。
操縦しているユーゲントが顔をこちらに向けるのを確認して、ゆっくりとした口調で話し始めた。
『第4航空師団第34飛行隊のホルスト・ラインダース少尉だ。』
『ユーゲント特別飛行隊302号機、シモン・マーケル特務准尉です。』
レシーバーに少女の声が響く。
『機体は大丈夫か?』
私は、その間もレーダー画面から目を離さない。
敵の編隊はまっすぐこちらに向かってきている。
一刻も早く反転しなければ、ユーゲントたちを戦闘に巻き込むことになる。
『機体は問題ありません……が』
おずおずと返事を返してきた彼女の声が、尻すぼみに小さくなる。
『どうした?』
私はなるべく優しく声をかけるように努めた。
萎縮させてしまっては意味がない。
『もう燃料がほとんどありません……ヴェストファーレンまで飛べません…』
相手の声が聞き取りにくくなる。
通信の不良ということではなく、単に口ごもったのだろう。
私は、彼女を落ち着かすため、わざと自信にあふれた声で指示を出した。
『そのまま徐々に降下して、アルジャンタン航空基地へ針路をとれ。他のユーゲントたちもシモン准尉と行動を共にしろ。』
その途端、思いもよらない返事が私を襲う。
『あの……少尉殿。……アルジャンタンって……どこですか?』
私は、微かな目眩を感じた。
(一体何を教えていやがったんだ!)
『ヘッドアップディスプレイに表示されている針路を270に合わせてとにかく飛べ。 今の速度で5分たったら無線周波数を771に合わせて、その指示に従え。いいな?』
できれば、もっと具体的に指示を出したかったが、残された時間は少ない。
私は要点のみ簡潔に彼女に伝えた。
『ハイッ!』
『よし、いい返事だ。』
胸の内の不安が取れたからだろうか。
先ほどとは一転、元気な声で返事をした彼女に苦笑いを浮かべると、私はバンクを振ってシモン准尉のグリペンから離れ、ただ1機反転する。
『少尉、接近中の敵は8機。崩れ気味ですが4機編隊が2群。方位は097。AWACSはハンザ基地の部隊にかかりっきりで支援は受けられそうにありません。』
『了解。』
ロベルトの落ち着いた声。
私はスロットルレバーから左手を放すと、何度が握ったり開いたりしながら、ぼんやりと返事を返した。
これから数分後、自分自身がひどい目に遭うというのに、なぜか現実感に乏しい。
『残弾はAMRAAMが2発。サイドワインダーが6発。機関砲弾323発。…以上です。』
後席で兵装パネルを見つめているであろうロベルトの声に緊張が滲む。
『了解。…ECMスタンバイ。まず、先行してくる4機を叩く。5分足を止めれれば俺たちの勝ちだ。』
いよいよだ―――
胸の中にざらりとした嫌な感触がよぎる。
私はその不快感を押し潰そうと、無意識に歯を食いしばった。

1995年5月28日 午前11時32分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度20,000フィート

『敵機接近、1時方向。』
自機より先行する部下からの報告を、ロビンソンはレーダーを操作しながら聞いた。
『トゥームスーン1、了解。ジャック、そのまま監視を続けてくれ。すぐに追いつく。』
FATO、ゲベート両軍とベルカ空軍との正面対決を避け、帰還する手負いの機体を狙ったのは、敵の戦力撃滅を狙う以上当然のことだ。
狩りは活きの良い相手よりも、傷つき弱った相手の方が仕留めることができる確率が高い。
それを頑なに拒否するのは、あのルーキス隊に所属するスギ・アヤグモぐらいなものだろう。
確かにスギ・アヤグモ大尉の腕はいい。
そして、手負いのベルカ軍機に対し引導を渡すのではなく、逆に投降し生き長らえる道を与えている。
人徳者―――そう言っても過言はないだろう。
だが、指揮官として重要な、大局的に物事を見る視点に欠けるとロビンソンは思っている。
さらには、自分にはそれが生まれながらに備わっていると信じていた。
高度と速度を殺さぬよう、ロビンソンは慎重に黒く塗られた愛機を旋回させる。
垂直旋回に転じたストライクイーグルのレーダーは、こちらに向かって猛スピードで接近してくる1つの赤い輝点を映し出していた。
(離脱中だった敵が引き返してきたのか…)
戦闘機の機動を示す輝点にロビンソンの顔つきが僅かに厳しくなる。
だが、敵はわずかに1機。
後続がくる様子もない。

(たった……1機)
ロビンソンは眉を寄せた。
こちらは、2個中隊8機がまるまる残っている。
8倍の敵を相手にたった1機で向かってくるものだろうか。
はっきり言って自殺行為だ。
だが、ロビンソンは接近してくる1機から不穏な気配を感じていた。
おそらく部下の中にも同じような不安を感じている者が居るのだろう。
後続の何機かが、グッと翼を寄せて警戒するような動きをとる。
武器の安全装置を解除しながら、もう一度レーダーへ視線を飛ばす。
やはり接近してくるのは1機のみ。
『トゥームスーン1より全機へ、敵を捕捉した。まだ手を出すな。狐狩りと一緒だ。下へと追い込んでいけばいい――――』
無線機のスイッチを弾き、ゆっくりと指示を出す。
『了解!』
部下たちの歯切れの良い返事に、彼の口許にはうっすら笑みが浮ぶ。
スロットルレバーを開き、アフターバーナーに点火する。
彼のストライクイーグルは、弾かれたように加速した。
間髪いれず部下たちが追従する。
無駄一つない動きは、中隊の錬度の高さを示していた。
ヘッドアップディスプレイには、敵機を示すシンボルマークが歪みながら浮かび上がっている。
既にレーダーホーミングミサイルの射程に入ってはいるものの、敵機がECMを展開しているらしく、捉えることができない。
ロビンソンは、動じることなく対電子戦装置のスイッチを入れ、使用する武器を赤外線追尾式であるサイドワインダーに切り替える。
互いに全力で加速しているため、敵機との距離はすれ違うまでに十数秒しかないところまで縮まっていた。
(いよいよだな…)
唇を噛み締めた彼の目に、小さな黒点が見えた。
それは急速に膨れ上がり、戦闘機の姿となる。
『敵機視認。1機。同高度。』
敵の発見を僚機に伝えながら、彼はサイドワインダーが敵機をロックするのを待った。
耳元には断続的な電子音。
まもなくロックオン―――
正面から各機2発ずつ、計16発のミサイルを受ければ逃げ場はない。
ゆっくり息を吐きながら、発射ボタンに指をかけた瞬間、敵機が爆発した。
(…いや違う!)
花火のようにばら撒かれたのはフレア……大量の赤外線を撒き散らしてミサイルの誘導装置を撹乱する防御装備だ。
ロビンソンは舌打ちをした。
あれだけ散布されてしまったら、ミサイルを放っても命中は望めない。
この調子だと僚機も同様だろう。
(見事としか言い様がないな…)
訓練でもなかなかこうはいかない。
ロビンソンは敵だというのに素直に感心した。
だが、次の瞬間、彼の目は驚愕により見開かれる。

敵機の翼下から再び閃光。
それが赤外線誘導のミサイルだと理解するまでに、彼はわずかな時間を要した。
秒単位で生死が分かれる戦闘中、それは貴重な時間だった。
『くそっ!』
ロビンソンは、罵り声を上げると無線機のスイッチを押しっぱなしにして怒鳴った。
『ブレイク!ブレイク!!ブレイク!!!』
同時にスロットルレバーを全閉にし、操縦桿を思い切り倒してフレアを散布する。
彼のストライクイーグルは、急激に旋回をした。
だが、わずかに回避の遅れた最後尾の1機がミサイルにつかまる。
かろうじて直撃こそなかったものの、弾頭の近接信管が作動。
ミサイルの破片で左の翼をズタズタにされた部下は、フラットスピンに入り視界から消えた。
『8番機被弾……前、後席ともベイルアウトを確認。』
後席のスチュアート少尉が圧し掛かるGに逆らい、キャノピーに手をつくと周囲の状況を確認し始める。
『………あっという間に1機…』
2番機を操縦するパイロットからうめき声ともつかぬ声があがった。
『ニコラス!』
ロビンソンは無線機の送信スイッチを押し、そのパイロットの名を短く呼ぶ。
『はい!』
『頭を切り替えろ! 死ぬぞ!』
2番機のパイロットの返事と同時に、彼はそう怒鳴った。
『りょ…了解。』
気おされたように返事をした部下の機から視線を外し、再びレーダーへと視線を移しながら、ロビンソンは舌打ちしたくなるのを堪えた。

(しくじった。)
敵の狙いは、最初から自分の隊を分断し、各個撃破することにあったのだ。
どんなに格闘戦に強いベルカ軍といえども、圧倒的な数の差だけは覆しようもない。
だが、8倍の相手を一度に相手にしないのであれば話が別だ。
先ほどの攻撃で、彼は自分の部下に散開を命じている。
そして、敵はそのうちの1機の後方にすでに食いつこうとしていた。
Gに抗い首を捻る。
白い迷彩を施されたF-15―――
舌を巻くような機動と戦術で、自分たちを手玉にとろうとしている戦闘機の翼に描かれた黒い十字架。
そして、大きな垂直尾翼に描かれた「03」の番号。
それを目にした瞬間、ロビンソンは酸素マスクの内側で笑いを堪えることができなかった。

1995年5月28日 午前11時34分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度18,000フィート

笑い声が脳に響く。
ヘルメットに内蔵されたスピーカーからは、気味の悪い低い笑い声が聞こえていた。
『ここで再び出会えるとはな。』
かすれた声が、耳にそして全身にまとわりつく。
その声は、敵も味方も共通して使う周波数で発せられていた。
混線ということはない、明らかに私に向けての通信だ。
『…誰だ?』
私は、無線機の送信スイッチを押すと慎重に言葉をかける。
『忘れたか、ベルカ人?グラディサントの空を。』
『グラディサント…。』
私は、つい先日の出来事を思い出し、眉間を寄せた。
『あの時の…イーグル?』
その言葉を聴き終えるや否や、再び無線機から笑い声が響く。
『そうか、やはり覚えていたか。それなら話は早い。』
私は訝しげに目をすぼめた。
敵のパイロットが自分に何の用があるのかさっぱり分からなかった。

『少尉、グラディサントで被弾した時の相手ですか?』
後部座席のロベルトが恐る恐る声をかけてくる。
彼の脳裏にも被弾した時の衝撃が浮かんでいるのだろう。
『そうみたいだな。』
私はなるべく平静を装って返事をした。
『てっきり死んだとばかり思っていたが、運がいいなベルカ人。私はオーシア連邦空軍第4航空団第1飛行中隊長カート・ロビンソン大尉だ。ベルカ人、お前の名前は?』
言い終えた直後、再び気味の悪い笑い声が響く。
『ホルスト・ラインダース。ベルカ空軍少尉だ…。』
偽名を使おうかと悩んだが、私は正直に答えることにした。
しばらくの沈黙の後、カート・ロビンソンと名乗るパイロットは続けて訊ねてきた。
『ラインダースくん。君は、ニーナ・ディードリッヒという女性を知っているか?』
『ニーナ…ディードリッヒ!?』
知らないはずがなかった。
それは、ニーナのフルネームだ。
必死に逃げを打つ、眼前のF?18を睨みつけながら、私は以前ニーナが話してくれたことを思い出していた。
(…そうか、こいつがニーナの恋人か…)
何故か恋人だったと、過去形では言えなかった。
『やはり…そうか。ニーナはどうしている?収容所へ送られたのか?』
沈黙を答えと受け取ったのだろう。
ロビンソンと名乗る男は、さらに言葉を継いで問いかけてくる。
その言葉をかけられた時、私の頭の中には、ニーナの笑顔が浮かんだ。
『ニーナは無事だ。…今は、俺の実家に身を寄せている。』
本当のことを口にすることを少し躊躇ったが、私は正直に答えた。
『……なるほど、私は裏切られたらしいな。やはり、どう繕おうと、所詮ベルカ人はベルカ人か。』
落ち着いた冷徹な声。
だが、その声には明らかに侮蔑と嘲笑が含まれていた。
『ラインダースくん。君とこうしてめぐり合えて良かった。ニーナをたぶらかした男をこの手で殺すことができる。神に感謝しなければな。』
私は、ロビンソンが発する迫力に押し黙る。
『それにしても、若いのに君は良い腕だ。だが、どんなに頑張っても我々には勝てんよ。君はもう疲れている。そして、武装も残り少ない。そして、君はたった1人だ。グラディサントのようになる前に逃げても良いんだぞ?』
ロビンソンが挑発しているのは痛いほど分かった。
今すぐにでも残ったミサイル全弾を撃ち込みたい衝動にかられたが、奥歯を噛み締めてグッと堪える。
『あぁ、そうだ。ラインダースくん、逃げたほうが良い。逃げ帰って、あのあばずれに慰めてもらうことだ。』
その言葉を聴いた瞬間、カッと全身が熱くなるのが分かった。
ロビンソンの言葉に心の底から怒りが湧いたのだ。
自分を蔑まれるなら耐えれただろう。
だが、耳元で不愉快な言葉を並べ立てている男は自分の恋人をあばずれと呼んだ。
ニーナが垣間見せた悲しみや悩み、そして彼女の心から消えることのない痛み―――
そんなことすら考えようとせず、平気で侮辱の言葉を並べた男を許せなかった。

『少尉、やりましょう。』
グッとスロットルレバーを握り締めた私の背を押すように、ロベルトがきっぱりと言った。
『あのくそったれを叩き落しましょう。』
『1対7。しかも長話をしたおかげで、個別撃破の作戦は失敗。…悪いが、勝ち目は全くないぜ。』
私は、押し殺した声で事実のみを伝える。
私の一時的な感情で、後席のロベルトまで危険にさらすことを躊躇ったためだ。
『負けると決まったわけじゃありません。それに、奴の話を聞いて腹が立たない男がいたら、ベルカ人の恥ですよ。』
いつもより大きな声でロベルトが返事を返す。
彼の気遣いが、私は痛いほど分かった。
だからこそ、私は己の中の不安を押し殺して、わざと明るい声を出す。
『分かった。…ロベルト、いつでも全ての武器を使えるようにしといてくれ。思い切りいくぞ。』
『了解。空中分解する勢いでいきましょう。』
ロベルトの晴れ晴れとした声を背に、私はスロットルレバーを全開にし、急旋回を切ると、ロビンソンと名乗った男が操っているであろうストライクイーグルに機首を向けた。

薄く広がった雲により太陽の光がぼんやりと地表を照らす中、白と黒…相反する色に塗られた2機のストライクイーグルは、再び互いにレーダーに対するジャミングをかけながら接近し、機関砲を撃ちまくりながら交差した。
どちらもミサイルを発射しなかったのは、ともに大量のフレアを放出していたためである。
交差した直後、私は右に急旋回を切った。
猛烈なGとともに空が回る。
(どこだ・・・?)
Gによって押し潰されそうになりながら、私は強引に首を上げて相手の位置を探る。

コクピットに鳴り響く警報音―――

7倍の数の差はいかんともしがたい。
『ホルスト少尉!!ミサイルアラート!』
『くそったれ!』
完全にロックオンされれば万事休すだ。
私は罵り声を上げると同時にラダーペダルを踏み込み、操縦幹を捻って機体を強引な左旋回に入れた。
同時に、機動で失った速度を回復するためスロットルレバーを全開にする。
いくつものベクトルに分かれていたGが突然集束し、私とロベルトの身体を耐Gシートに押し付ける。
相手のパイロットの挑発にのったは良いが、1分もたずに撃墜されたなどとあってはベルカ空軍の名が泣く。
機体はどこまでも忠実に私の操作をなぞった。
敵機の射線から逃れた私のストライクイーグルは盛大な水蒸気を曳きつつ急旋回する。
機首が巡り、身体に受けるGは8Gに達しようとしていた。
血液が足元に流れ落ちようとする感覚を私は腹筋に力を込めて耐える。
機体がきしみ、下半身を覆う耐Gスーツが血管を締め上げていく。
不意に警報がやみ、ヘルメットの内側に静けさが戻った。
やっとのことで敵のロックから逃れることができた。
操縦桿を緩めGを抜き始めた時、ロベルトの怒鳴り声が再び耳を打つ。
『敵、5時方向!!撃ったっ!撃ったっ!』
敵機の機首が一瞬輝き、曳光弾が鞭のようにしなる。
反射的に左に機を滑らした瞬間、右翼端スレスレにオレンジ色の弾幕が流れていった。
それに安堵の息をつく間も無く、新たな敵機が自機の後方を占拠しようとする。
再びラダーペダルを踏み込んで、私は機を左へ、左へと滑らせる。
射撃は再び右翼端をかすめ、仕掛けた敵機は体勢を立て直すため上昇していく。
敵機の攻撃は、あまりに雑で単調だった。
敵機の射撃を立て続けに回避しながら、私の胸中には複雑な感情がこみ上げてくる。
単調な攻撃にも関わらず、数に押され反撃の機会すら掴むことのできないまま、無様にも追い回されている自分が情けなかった。
敵の狙いはこちらを撃墜することではなく、反撃の出来ない低空に追い込むことを狙っている。
周囲を舞う黒い翼―――
それはまるで、空を泳ぐシャチの群れのようだった。
そして獰猛なハンターたちは、こちらが弱るのを待って確実に仕留めようしている。
最初から無謀な攻撃だったのかもしれない。

耳触りの悪い電子音と共にHUDが赤く染まる。
『ブレイク!!左後方からミサイル!』
ロベルトの叫び声が耳を打つ。
いつの間にか後方に回り込んだ敵機が赤外線追尾式のミサイルを発射していた。
私は舌打ちで返事を返すと、自機を右下方へ捻り込みながらダイブさせる。
強烈なGで座席に押し付けられつつも、スロットルは全開にしアフターバーナーに点火。
降下しながら急旋回をかけるタイミングを計る。
ハーネスを外したロベルトが後方を見張っていた。
操縦桿を握る手が汗ばんでいく。
『バーナーカット!!旋回!!』
ロベルトが叫んだ。
私はスロットルを全閉にし、同時にフレアの放出スイッチを叩く。
力いっぱい操縦桿を倒して私は最後の足掻きとばかりに急旋回を打つ。
(外れた!)
明後日の方向へ飛び去っていくミサイルを見送りながら、私は内心大きく息をついた。

だが、再び警告音―――
ミサイルの回避に気を取られて敵の位置を見失っていた。
旋回を継続しながら、レーダーで敵機を捜す。
……いた。
相変わらず自機の周囲を取り囲むように飛ぶ複数の光点。
私は、右へ左へと全速で逃げ回りながら、この状況を打開できる策を考えた。
7対1…相手がよほどの下手糞でもない限り、この状況を無事に突破できるとは思えない。
味方の制空圏であるノルトベルカ側へじわじわと移動しながらも、打開策が見つからないことに私は焦りと苛立ちを覚えた。
『左上空!敵機回りこんできます!』
ロベルトの声に顔を上げる。
敵機の編隊が鋭く旋回をするところだった。
高度差は6,000フィートといったところだろうか。
巨大な翼端から水蒸気の帯が白く伸び、機首がこちらを向くのが分かった。
そのまま急速に距離を詰めてくる。
もう一度、レーダーに視線を飛ばした。
残り5機の敵機も、それぞれに旋回しながら自分を包囲しようとしているのが見て取れる。
このまま逃げ回っていても、そのうち手詰まりになって墜されるのが関の山だろう。
こうなったら、1機でも2機でもいいから道連れを作ってベルカ空軍の意地を見せてやろう。
そう考えると、急に落ち着いた気持ちになった。
『来い、腰抜け。』
ともすれば湧き上がる恐怖心に呑み込まれそうな心を鼓舞するため、わざと強気な言葉を口にする。
ヘッド・オン…交差までは5秒も無い。
兵装を機関砲に切り換え、ヘッドアップディスプレイの照準環を先頭のF‐15に向ける。
『プリースト3、フォックス・スリー』
淡々としたコールと同時にトリガーを一瞬だけ弾く。
それだけでも、愛機の機関砲は数十発の弾丸を吐出した。
ほぼ同時にF‐15かも機関砲の曳光弾の航跡が伸びて機体上面数フィートをかすめる。
外れたとはいえ、至近距離を通過した曳光弾に思わず首をすくめた。
私の放った弾丸も敵機の腹下をかすめるにとどまる。
無理な姿勢からの射撃は互いに命中弾を許さなかった。
相対速度 900ノット以上で愛機とF‐15の編隊が交差する。
そこで初めて私は相手にしているのが自分の機体と全く同じF‐15E<ストライクイーグル>であることに気が付く。
距離は僅か 10数フィート……すれ違う瞬間、ヘルメットのバイザー越しに相手と目が合った気がした。
右へ急旋回して敵機へ機首を向ける。
相手も右旋回でこちらに機首を向けようとしているが、降下の後で速度が出すぎていた。
編隊が旋回している内側に愛機が入り込んでいく。
狙われていることに気がついた敵機は、大型のエアブレーキを開いて急減速。
コクピット後方に一瞬巨大な背びれのような板がせり上がる。
旋回半径を小さくしてこちらをオーバーシュートさせるつもりだ。
私は、とっさに機首を引き上げてハイ・ヨー・ヨーの機動に入る。
相手よりさらに減速し、旋回半径を小さくして敵機に追いすがる。
こちらがオーバーシュートすると思っていたのだろう。
敵機は右旋回から左旋回に切り返しをかけた。
ハイ・ヨー・ヨーから降下を開始、ヘッドアップディスプレイには敵を示すシンボルマークが2つ写っている。
兵装を赤外線追尾式ミサイルへと切り替えた。
照準環が1つのシンボルマークと重なり、ヘルメットの中に敵機をロックした音が響いた。
『プリースト3、フォックス・ツー。』
私は、短くコールをすると発射ボタンを押し込んだ。
少し間を置いてもう一度。
左右の翼下から切り離されたミサイルが白い煙を螺旋状に曳きながら飛び出していく。
これで残りのサイドワインダーは2発。
狙われた敵機はフレアを弾き飛ばしながら、回避に入る。
最初のサイドワインダーはフレアに惑わされ、あらぬ方向に飛び去っていった。
だが、2発目は正確に敵を捉え、排気口へと飛び込む。
目の前でF‐15が膨れ上がり、火の玉となる。
私は、燃え落ちる敵機を見つめながら、大きく息を吐き出した。
これでもまだ6対1。
単機で飛ぶ戦闘機はネギを背負った鴨と同じ。
酸素マスクの中で唇を噛んだ。
手持ちの武器も残り僅か、じきに八方塞になるのは目に見えていた。

スチュアートは、ヘルメットの中に響くロビンソンの忍び笑いに背筋に寒気を覚えた。
その笑いは声には嬉しさを隠し切れないといった様子が含まれている。
「やるじゃないか。」
ロビンソンの独り言が耳を打つ。
「え?」
思いもよらないの言葉に、思わずスチュアートは聞き返す。
「敵機のことですか?」
ロビンソンはその問いかけには答えず、代わりに無線機の送信スイッチを押し込んでいた。
『トゥームスーン1より全機へ…』
一瞬の間を置き、ロビンソンは言葉を継ぐ。
『やつから離れろ。俺が仕留める。』
言い終わると同時に、跳ね上がるような急横転をかけて彼のストライクイーグルは急降下に入った。
間髪入れず2番機もまた、それに続く。
加速していく機体の先には、高度を取ろうする敵戦闘機の機影。
そして彼は、すでに敵に対し絶好の位置にいた。
「………終らせてやる。」
高鳴る鼓動。
これまで、いかなる敵を葬っても感じ得なかった身を震わす鼓動。
嫌な気分ではない。
――――むしろ、嬉しい。
殴り殺したいほどの敵機を前にして、ロビンソンの目には残酷な輝きが宿る。
はやる心を抑えながら、ヘッドアップディスプレイの照準環に敵を収めようとした瞬間――――

突然、眩く輝いた側面に慌てて視線を転じたロビンソンは頬から血色が引いた。
そこには、がら空きとなった背後より攻撃を受け、粉々となる部下の機体があった。
(………!!)
バックミラーに視線を移し、そこに映る機影に大きく目を見開く。
譲り渡す形となった上方には、いないはずの敵機が逆落としになって突っ込んでくる。
(いつの間に!?)
思わず回避行動を取るロビンソンを他所に、降下してきた敵機は疾風の如き機動で、さらにもう1機を血祭りにあげた。
空中に破片を撒き散らしながら姿勢を崩し、そのまま錐揉みに入った列機が視界から消える。

『ガーランド隊長!』
2機目の敵機を撃墜した直後、突如やってきた援軍に私は目を見張った。
防空戦の輪を抜け出したガーランド少佐の機が援護にやってきている。
『ホルスト見てたか?機関砲はああやって撃つんだ。』
何時もと変わらない、弾んだ声が耳を打つ。
私は操縦桿を倒して左旋回をかけると、ガーランド機を援護するポジションに就こうとした。
だが、それよりも早く、ガーランド機の後方にきらりと輝くものが視界に入る。
一瞬の輝きだったが、それが太陽の光を受けたキャノピーであることを私は経験から知っていた。
『プリースト1、ブレイク!敵機、後方上空!!』
躊躇うことなく、無線機のスイッチを弾きマイクに怒鳴る。
だが、次の瞬間、目の前で起こった光景を私は信じることが出来ずにいた――――――
ガーランド機が回避機動に入るよりも早く、上空から急降下してきた敵機が機関砲を放つ。
曳光弾がバラバラと降り注ぎ、ガーランド機を包み込んだ。
機体から無数の火花が散り、翼から白い霧状のモノが噴出す。
それが紅蓮の炎となるまで時間はかからなかった。
絶望的なフラットスピンに入り、眼下へと吸い込まれるようにして落下していくガーランド機―――
『隊長っ!!』
届くはずもないのに私は絶叫した。
一瞬にして、レーダーからガーランド機の機影が消える。
何が起こったのか、それを認識する暇さえないほどあっけないものだった。
「うわぁぁぁっっっ!!」
意味の分からない叫び声を上げ、地上へ向けて急降下をしようとした時だった。

一瞬背筋にゾクリと悪寒が走った。
反射的にバックミラーに視線を走らせる。
明灰色の空を背景に、黒い塊が私の背後に食らいつこうとしていた。
二枚の巨大な垂直尾翼―――
ストライクイーグルに間違いない。
そして、この状況で襲い掛かってくるのは…カート・ロビンソン、奴しかいない。
すでに絶え間なく襲い掛かるGに逆らって動かしていた身体は痺れ、ひどい脱力感を感じていた。
呼吸は浅く短くなり、酸素マスクから供給される酸素を十分に取り込めていない。
全身びっしょりと汗に濡れ、プレッシャーに胃が痛んだ。
ちらりと後ろに張り付くロビンソン機に視線を移す。
後席ではロベルトが首を捻って後ろを見ているだろう。
そっと武装を機関砲に切り替えた。
体力的も残された時間は少ない。
連続した高機動により、じりじりと失速していくのを感じながら、私は勝負をかけるチャンスを待った。
やがてロビンソンの機が真後ろに食らいつき、警戒装置が甲高い音を発する。
全身の毛穴が開くような感覚を堪えながら、後席に怒鳴った。
『掴まってろ!!』
それと同時に、私は思い切った行動に出た。
思い切り操縦桿を引き、スロットルを絞り込む。
弾かれたように機首を上げ空中に棒立ちとなるストライクイーグル。

聞こえるはずもない心臓の鼓動が頭の中に響き、世界がコマ送りのように進んでいくように見えた―――

そっと操縦桿を戻す。
愛機は即座に反応し、機首を下げた。
スロットルレバーを叩きつけるように押し込む。
その時、頭上を掠めてロビンソン機が飛び抜けた。
ヘッドアップディスプレイに浮かんでいるレティクルに、ロビンソン機がぴたりと重なる。
コールすると同時に操縦桿についている機関砲の発射トリガーを引く。
愛機の機関砲が火を噴いた。


突然の機動にロビンソンは目を剥いた。
眼前の敵機が垂直に立ち上がり、白い壁となって迫ってくる。
(コブラ!?)
心臓がせり上がってくるような恐怖感を覚えながら、ロビンソンは強引に敵機をかわす。
『死に損ないがっ。なめやがって!』
ロビンソンはスロットルレバーを押し出し、自機を加速させながら操縦桿を引いた。
『大尉、ブレイク!ブレイク!!』
耳元にスチュアートの叫びが弾ける。
同時に身体を襲う激しい衝撃―――
何が起こったのか分からなかった。
振り返れば、右の主翼は引き千切られ炎が噴出している。
コクピット内にアラート音が鳴り響き、再び衝撃と煙が操縦席を襲った。
このままでは助かる可能性はない。
ロビンソンは後席に声をかけ、躊躇うことなく射出座席のレバーを引いた。


『………。』
敵機が燃え盛りながら墜ちていく姿を、私は半ば放心したように見つめていた。
息が荒く、胸が苦しい。
たまらず酸素マスクを外して大きく息をつくと、全身が汗まみれになっているのを感じた。
ちらりとレーダーに視線をうつす。
そこには残りの敵機が戦闘空域から急速に離れていく姿が映し出されていた。
どうしようもない疲労感が全身を包み、身体が鉛のように重く感じる。
助かったという実感は、なかなかわかなった。
それどころか、自分がなぜここを飛んでいるかという現実感すら乏しかった。
『……勝った…のか?』
そう呟きながら、私はキャノピーの上に広がる蒼空を仰ぎ見た。
静けさを取り戻した空、もう一度大きく息をついた私はハッと現実に引き戻される。
『ガーランド隊長……!』
呼びかけに答えはない。
『プリースト1!ガーランド少佐!!隊長!!』
レシーバーに入ってくる空電音が、私の心をかき乱す。
はやる気持ちに抗いきれず、機首を下げ低空に舞い降りようとしたときだった。

『――――南方軍集団司令部より、全軍へ通達。』
『………。』
前置きも何もなく始まったAWACSからの通信に、私は無線に集中した。
『円卓中央戦区の我が軍の航空隊は撤退を開始。繰り返す、撤退を開始。円卓は……陥落した。これより命令を伝達する――エリアコードB7Rを放棄。全軍を撤退させた上で、戦線を再構築。北部円卓における迎撃任務に就いた各隊は、方位270に針路をとり早急に戦域を離脱。アルジャンタンに於いて、一時再編成を行え。』
一瞬、無線上を沈黙が包み込む。
だが次の瞬間、パイロット達の怒声が耳元に響き渡った。
それも仕方がない――円卓の空は、我々の誇りそのものだからだ。
『……連合の増援部隊に、例の”猟犬”がいたらしい。中央円卓の担当部隊は、ほとんどが猟犬と彼らが引き連れてきた傭兵に喰われた。増援に投入されたシュネー隊を初めとした各隊も全滅。このままでは今度は諸君が包囲されるぞ!――命令だ、脱出しろ!』
普段は憎たらしいほど冷静な管制官の声が人間味を帯びる。
つまり状況はそれほど逼迫しているのだろう。
『……少尉、どうします?…隊長の捜索は…』
おずおずとロベルトが声をかけてくる。
『…分かってる。』
私にはそれ以上の言葉を発せられなかった。
何度も経験したはずなのに、決して慣れることはない。
私はスロットルレバーからそっと手を離し、十字を切る。
(慣れるんじゃない。乗り越えるんだ。)
ほんの数秒の瞑目。
私は頭を上げ、薄曇りの空を仰いだ。
『プリースト3、了解。RTB。』
私は計器をチェックし、ヴェストファーレンへの帰投針路をとった。

1995年5月28日 午後7時08分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部地域

地面に靴が滑り、赤茶けた地面に右手をついて身体を支える。
大きな壁のようにせまる斜面をまるで這うように進む。
張り出した岩に手をかけると一気に身体を引き上げ、どうにか立っていられる程度の場所に出た。
振り返れば、眼下にはどこまでも続く岩山が見下ろせる。
うす雲に覆われて申し訳程度に差していた太陽は、すでに傾きだしていた。
額の汗をぬぐい、深く息を吐く。
サバイバルキットの中から水筒を取り出し、少し口に含んだ。
腕時計を見る。
登山道などまるでない斜面を登り始めて5時間が経とうとしていた。
敵機を追い越した瞬間、後ろから撃たれた。
警報も何もなかったから、恐らく機関砲でやられたのだろう。
撃墜されるのは初めてではなかったが、さすがに荒野に降り立った時は途方にくれた。
舐めてかかったとはいえ、たった2機の戦闘機に彼の中隊は完全に敗北を喫した。
大事な部下を失った痛手は大きい。
だが、悪いことばかりではない。
機体の射出座席は作動し、自分は五体満足で地上に降り立つことができている。
そして、脱出に成功した部下の多くが生き残っているのが、救いといえば救いだった。

「隊長、待って下さいよ。」
投げかけられた声に振り向くと、汗だくで彼を追う部下たちがようやく彼の立つ岩場に辿り着いたところだった。
彼らはそれぞれ適当な場所に腰を下ろし、荒い息をついている。
斜面を吹き下ろす風は冷たく、火照った身体を冷やしてくれた。
「いつになったら迎えが来るんでしょうね?」
1人の部下が水筒から口を離した後、ため息混じりに呟いた。
稜線の向こうに夕陽が沈んでいく。
そんなオレンジ色の空を震わせて、遠くから爆音が聞こえてきた。
遥か遠くの空を、数機のヘリコプターが高速で通過していく。
さらにヘリコプターを護衛するように、2機の戦闘機が上空を大きく旋回していた。
それが連合軍の差し向けた救助部隊なのか、ベルカ軍のものなのかは彼には分からない。
通信障害が多発する直径400kmの山岳地帯で、無事に救助される可能性は極めて低い。
座して死を待つよりかは、動けるうちに一歩でも味方の勢力圏に近づいた方が賢明だった。
「…今日のところは無理だろうな。さぁ、そろそろ行くぞ。」
ロビンソンは、感情を見せない瞳を部下に向けて言った。
「はい、大尉。」
部下たちはそれぞれに立ち上がり、両手でシャツやズボンに付着した砂埃を叩く。
ロビンソンは何も言わず、暮れていく西の空に視線を戻した。
「スチュアート……君は、夕陽は好きか?」
突然ロビンソンは、隣に立つ後席要員のスチュアートに顔を向けた。
「……わたしは嫌いなんだ。」
スチュアートの答えを待たず、ロビンソンは、そう呟いた。
「なぜですか?」
スチュアートは、ロビンソンの放つ雰囲気に気圧されながらも問いかけた。
「この沈む夕陽が、自分の見た最後の夕陽になるかもしれないからな……」
ロビンソンの目が遠くを見るように霞む。
「ですが、隊長。明日になれば、また太陽は昇ります…」
スチュアートの言葉に、ロビンソンはギリッと歯を噛み鳴らせた。
「そうだ……陽はまた昇る。この世界に、どんなことが起こってもな。……だが、わたしには明日の太陽を見られる保証はどこにもない。…翼をもがれた鳥なんてそんなものだ。…分かるか?」
スチュアートは黙って首を振った。
「ベルカ軍のパイロット。ホルスト……ラインダースとか言っていたな。」
「…たしか、そう名乗っていました。」
スチュアートは押し出すように返事を返した。
「次は……必ず殺す…必ずな。」
ロビンソンの声がひどくかすれ、周囲には聞き取り難くなる。
スチュアートは、ロビンソンの表情を見て背筋が寒くなるのを感じた。
彼の目にははっきりと殺意が浮かんでいる。
胸ポケットを探り、一枚の紙を取り出すと両手でビリビリと引き裂く。
あっという間に無数の紙片に変わったモノを、彼は無造作に投げ捨てる。
「……まあいい。」
何かに納得するかのように、ロビンソンは自分の言葉に頷いた。
「まずはB7R(ここ)を出なければな。」
振り返ったロビンソンの表情には、再びふてぶてしい笑みが浮かんでいた。
夕陽は沈んだ。
空を残照が赤く染めている。
一陣の風が駆け抜け、紙片を空へ巻き上げていった。

1995年5月28日 同時刻 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度12,000フィート

十分過ぎるほどの間隔を置いた2機の戦闘機が、円卓の北部空域を縦断しようとしていた。
愛機、F?14Dのコックピットから臨む空の一点――――ノルトベルカに続く空の彼方を、オーシア国防海軍第4空母航空団第42戦闘飛行隊を指揮するレイチェル・フォン・アルフベルガー中尉は睨むようにした。
戦闘機パイロットとしての直感の導くまま、夜の帳に包まれようとする北の空を無言で睨み続ける。
間もなく陽が沈む。
残照が西の空を赤く染め、稜線は血のように赤かった。
レーダーに映る機影は味方の救助部隊ばかり。
その友軍機も日没を前に帰路に着きつつある。
『――――どうしました。隊長?』
黙ったままの彼女をいぶかしんだ後席のRIO(レーダー員)が、インターコムを使って声をかけてきた。
『いや……なんでもない。』
我に帰ったかのように、レイチェルは前方に向き直った。
円卓の縁取る稜線が闇にまぎれ見えなくなるつれ、不安にも似た感覚は、レイチェルの胸中で度合いを強くする。
(何だ……この感覚は…)
何か得体の知れない、ちりちりとした感覚が肌を刺激する。
そんな漠然としたものをレイチェルは感じていた。
それは、円卓に侵入した直後から始まり、レイチェルを困惑させていた。

そして―――――円卓北部空域最西端。
作戦上この空域に存在しないはずのオーシア軍の救難信号を捉えた時、レイチェルの眉間に一瞬深い皺がよった。
『―――友軍の…いえ、オーシア軍の救難信号を捉えました。なんでこんな空域に…』
最初に声を上げたのは、後席のカーティス・オルトラーニ中尉だった。
『…………。』
レイチェルは黙って地上を見つめ続ける。
『―――ちょっ…中尉!指定高度を守って下さい!もう地上は暗くなってるんですよ!』
驚きのあまり声を荒げるカーティスの声に黙ったまま、レイチェルはゆっくりと愛機を螺旋状に降下させる。
瞬時に僚機が上昇し、上空からの敵機に備える。
わずか2機になったとはいえ、経験に裏打ちされたストームライダーズの連携は完璧だった。
舐めるように低空を飛び、比較的原型を留めた残骸にした時、レイチェルの表情に苦渋の色が宿り始める。
『部隊章を確認した。墜ちているのは空軍機だ。……バカが、深追いして喰われたか。』
F?14Dを上昇させながら、レイチェルはボソリと呟いた。
その表情から苦渋は消え、いつもの平然とした顔に戻っている。

『―――どうします? 隊長。』
おずおずと僚機から通信が入る。
このままの針路を維持すれば円卓を超え、ベルカの制空権下に入ってしまう。
救助部隊も離脱を開始した現在、残った燃料を考えても潮時だった。
『救助部隊の離脱を確認。上空援護を終了―――帰艦する。』
酸素マスクに仕込まれたマイクに、囁くように指示を出すレイチェル。
『―――了解』
僚機は返事をすると、大きく翼を傾けて旋回を開始する。
『憎しみは、憎しみを生み、復讐は、復讐を生み、暴力は、暴力を生む……か。憎しみの連鎖だな。』
同じように機首を向けながら、レイチェルは、もう一度背後の空を省みるようにした。
『でもそれは、仕方のないことではないですか?』
落ち着きを取り戻したカーティスが、静かに言い放った。
『…今は戦争なんですから。』
レイチェルは、ちらりとバックミラーに視線を飛ばす。
だが、すでに暗くなり始めた空では、後席の表情を読み取ることは不可能だった。
『どんな事情があれ…今は、ベルカ人は敵です。そう割り切らなきゃ、やってられないでしょう。』
その言葉に、レイチェルはわずかに目を見張った。
戦争だから、自分たちの側にある者たちを守るために殺さないといけない。
そして、この殺し合いを仕掛けてきたのはベルカ人だ。
彼女もそう信じ、そう割り切ってきた。
そうしないと生き延びてはこれなかったからだ。
だが、それは本当に正しいのだろうか。
今、祖国が行っている行為は、過剰防衛を通り越して、自分が忌み嫌っていた侵略行為そのものではないのか。
『分からねぇな…』
旋回を終え、再び僚機と編隊を組み直しながら、レイチェルはぽつりと呟いた。
日中に見た荒涼たる大地を思い出しながら、彼女は思った。
(今日1日で、敵味方、何人のパイロットが戦死したのだろうか。)
聞いた話では、友軍は投入された戦力の40%を損失したらしい。
この空域をベルカから奪うために支払われた「血の代償」は、釣り合いが取れているのだろうか。
感傷に浸ろうとする自分をブルリと首を振って追い出す。
ヘルメットの金具に手をやり、酸素マスクを外した。
唇の周りについた汗が冷め、ひやりと感じるのが心地よい。
戦いはまだ続くだろう。
そして、今日以上に苦い思いをするに違いない。
だが今は、昼夜を通しこの空域を生きて離脱できることが嬉しかった。
『間もなく変針点です。』
カーティスの言葉に返事をしながら、酸素マスクを固定し直す。
燃料は残り少なくなっていたが、母艦まで還り着くのは問題なさそうだった。
星が広がる空を2機のF?14Dは揃って海上へと機首を向けた。
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紺碧の空記事全文CM:1

紺碧の空?B7R制空戦(中編)?

2010/05/19 12:00

1995年5月28日 午前10時58分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R南部空域 高度20,000フィート

B7Rの南部空域には、多数の航空機が展開していた。
その多くはSu?27やMig?29などのベルカ軍の主力戦闘機である。
スーデントールやホフヌングで航空機の増産が進んでいるとはいえ、ベルカ空軍の保有する戦闘機の数は開戦時の半分近くにまで落ち込んでいる。
そんな中、この空域にはベルカ中からかき集めてきたと思うほど、大量の戦闘機が配備されていた。
「こちらグラオヴェスペリーダー。配置完了。」
警戒にあたる部隊の指揮官は、それら大量の航空部隊が空中集合し、大きな旋回に入ったところでAWACSに報告する。
すでにこのB7R南部空域、そして背後に位置する中央空域には、ベルカ空軍のベテランパイロットで編成される部隊が飛行している。
彼は、キャノピーから見える空を埋め尽くさんばかりの航空機の群れに、ベルカ空軍であることの誇りを再認識していた。
連合軍との戦いで、多くの兵力を失ってきた祖国でありながら、未だこれだけの戦力を有している。
自分の周囲で着々と決戦への時を待つ人間たちは、年齢や性別、階級の差こそあれ、間違いなく戦友であり同胞と呼べた。
そのことが彼に誇りを感じさせずにはいられなかった。
その時、レーダー画面に無数のノイズが走り、警戒装置が金切り声で声を上げる。
『ブレイク!』
躊躇うことなく彼は酸素マスクの内側に仕込まれたマイクに向けて怒鳴った。
同時に自らも愛機を右旋回に入れ、ジャミング装置のスイッチを入れる。
これが敵の攻勢の始まりであり、長距離ミサイルの一斉射であると歴戦のパイロットである彼には瞬時に理解できた。
彼の予想どおり、連合軍の長距離ミサイルはあっという間に南部空域に到達し、その空間を切り裂いていく。
戦闘機隊の大部分はそれを交わしたものの、運悪く直撃を受ける者もあった。
連合軍の長距離ミサイルは、まさに槍衾というべき弾幕密度を持っていた。
ベルカ軍航空部隊の先鋒を混乱させ、その陣形を崩し、あわよくば目視戦闘の前に少しでもその数を減らそうという狙いだろう。
愛機を急旋回させながら、彼は敵の意図をすぐに見抜いたものの、迫り来るミサイル群を交わすことが精一杯の状況ではどうすることもできない。
『C?14戦域に敵航空部隊侵入を確認。現在、長距離ミサイルの襲撃を受けている。』
Gにさらされ、出にくくなった声を必死に張り上げ、彼は無線を聞いているであろうAWACS(早期警戒管制機)へ状況を告げる。
『こちらAWACS、デンメルング。グラオヴェスペリーダー、撃退は可能か?』
どんな事態であっても決して動じることのない空中管制官の声が耳を打つ。
『ナイン。ミサイルを回避することで手一杯だ。すでに何機かは撃墜されている。編隊も分断された。我々だけでの撃退は困難だ。』
左右に目まぐるしく視線を送りながら、また彼も冷静に状況を報告した。
『デンメルング、了解。近隣の航空基地に緊急発進を要請する。部隊を再編成し、邀撃行動に移られたし。』
彼は水平飛行に移ると無線機のスイッチを入れた。
『グラオヴェスペリーダー、了解。部隊を再編し、邀撃行動に移る。』
徐々に高度を取りつつ、ミサイルが飛来してきた先の空間を睨みつける。
うっすらと立ち込めるうす雲に邪魔されて、未だ敵機の姿は見ることができない。
『ECCM(対電子妨害手段)を開始―――敵編隊の速度は450ノット。高度20,000フィート。距離80,000―――』
空中管制官が続けて情報を送ってくる。
彼は了解の合図として、無線機のスイッチを二度鳴らした。
すでに、先ほどのミサイルから逃れた友軍機があちこちで編隊を組み直している。
彼の周囲にも部下たちの機体が集まってきていた。
会敵まで、もうまもなく――――――
ちらりとレーダーに視線を移した彼は、思わずくぐもった声をあげた。
AWACSのECCMによって正常に動いているレーダー画面には、今まで見たこともない数の輝点が大きな群れのようになって映し出されている。
その大きな塊が、徐々に小さく分散し、こちらに向かってきていた。
(何て数だ…)
守る友軍機よりも圧倒的に多い敵の数に、彼は顔をしかめる。
その時、再びミサイル接近の警報音が耳に響く。
首を巡らせた。
視線の先―――
蒼い空を背景に白い航跡がこちらに向かって伸びてくるのが写る。
中距離射程のミサイル。
敵の兵装がなんであるか皆目検討がつかないが、この距離から放ってくるといえば、AMRAAMやスパローなどに違いない。
だとすれば、回避行動を取るにはあまりにもタイミングを失いすぎていた。
心臓をギュと鷲掴みにされたような感覚がはしる。
彼は胸のうちで己の不運を毒づいた。
数秒後、オーシア軍のF-18Eが放ったAMRAAMは、彼の愛機を簡単に引き裂き、オレンジ色の火の玉へと変えていた。

1995年5月28日 午前11時01分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度30,000フィート

―――――敵より優位な状況にある場合、指揮官の意図は一つしかない。
ロビンソンの場合、それは次のような命令に集約される。
『中隊全機へ。準備はいいか?』
編隊の先頭に位置する黒いF-15E<ストライクイーグル>の中で、ロビンソンの口元が冷酷に歪んだ。
後続の7機から抑揚のない声で、次々と準備ができたことを告げる通信が届く。
すでに後戻りはできない。
敵の後方に位置するファト空軍からAIM-54<フェニックス>(長距離空対空ミサイル)を放ったことを表すコールが入る。
敵は大きく4つの集団に分かれて飛行している。
ロビンソンは、そのうちの先頭集団、最も数が多いグループに目をつけた。
『トゥームストーン7、8、ECM開始。……諸君、狩りの時間だ。』
ロビンソンの呟きが合図だった。
2機のEA‐18G <グロウラー>がおこす電子妨害のもと、6機のストライクイーグルは一斉に編隊を解くと、高度差から加速を付けて眼下の敵機へ突っ込んでいく。
敵の編隊ははこの行動に気づかないのか、真っすぐに飛び続けている。
緊張感がないのか、それともただ慣れていないだけなのか。
いずれにせよ、待っているのは死だけだった。
『5、4、3 …』
淡々と命中までの時間を告げるファト空軍の声が耳を打つ。
はるか彼方から飛来したフェニックスが、最後尾のグループにいたJAS39グリペンの排気口に突き刺さった。
爆発とともに機体から部品が飛び散り、尾部が吹き飛ぶ。
尾翼と推力、両方を失ったグリペンは、錐揉み状態に陥りあっという間に視界から消えた。
時同じくして次々と面白いようにフェニックスが敵の編隊を襲い始める。
第2中隊も突撃を開始したようだ。
敵編隊は、そこでようやく襲撃に気がついたらしく、慌てて散開を始めるが、その動きは緩慢で、とても統率のとれた航空部隊とは思えなかった。
『見苦しい…。』
編隊を崩し、右往左往する敵機のうちの1機を、ロビンソンの操るストライクイーグルは瞬時に捉えた。
グリペンばかりで構成されている編隊の中、異色にも感じるトーネードGR.4―――
ヘッドアップディスプレイの中で敵機を表す四角い表示に、レティクルが重なり輝くと、ロビンソンは躊躇わずトリガーを引いた。
それが編隊長機であること――――そして、それを真っ先に撃墜すことの重要性を、ロビンソンは知っていた。
翼下からAIM-9<サイドワインダー>が切り離され、らせん状の白煙を曳いて敵へと迫る。
数秒後、必死に旋回行って逃げる敵の排気口に過たず吸い込まれ、空中に炎の華を作り上げた。
炸裂する火薬のエネルギーに機体構造をズタズタにされた機体はバラバラとなり、引火した燃料と破片を撒き散らしながら高度を下げていく。
『お見事。少佐。』
後席のスチュアート少尉が声をかけた時には、ロビンソンはすでに二機目の獲物に取り掛かっていた。
ダイブで稼いだ機速を生かして、スロットルを絞りがちに回り込んだ先には、実に頼りない舵さばきで飛ぶグリペンの姿。
兵装モードを機銃に切り替え、敵とレティクルが重なった瞬間、トリガーを軽く弾く。
胴体右寄りに埋め込まれた20?バルカン砲が、ほんの一瞬低いモーターのような唸りをあげて弾丸をばら撒いた。
オレンジ色の曳光弾がグリペンを包み込み、数発がボディで弾けて火花を散らす。
ガクンと機首を下げた機体は炎を上げ、錐揉みしながら眼下の大地へ突っ込んでいく。
グリペンの編隊を突き抜けたロビンソンたちは、敵の下方に降下すると、ストライクイーグルの機動性能を生かして反転上昇に移った。
2機ずつの編隊を組み直しながら、6機のストライクイーグルはそれぞれ1機のグリペンを追い始める。
追われるグリペンの動きは緩慢で、左右の機首を振ってフラフラと飛んでいる。
パイロットが後左右を、振り返り、振り返り操縦しているからであろう。
未熟な動きを続けるグリペンを見つめ、ロビンソンは知らず知らずのうちに残忍な笑みを浮かべていた。

1995年5月28日 午前11時15分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度2,000フィート

バルクホルンは混乱の中にいた。
編隊からはぐれた彼のストライクイーグルは、何度も連合軍機に食いつかれ、その追尾をはぐらかすだけで精一杯だった。
それほど敵は数が多く、優位な姿勢から攻撃をかけてくる。
円卓の南部や中部と対照的に、追う連合軍は狼の群れ、逃げるベルカ軍は羊の群れだった。
乗機を左右に滑らせながら、バルクホルンは背後へ眼をやる。
至近距離で炸裂したミサイルの破片で片方のエンジンの調子は悪く、機体の所々も傷付いていた。
2機の敵機が彼の背後をしつこく追っている。
時々放たれる機銃弾が、白煙を引いてキャノピー越しに彼を飛び越え、何度も機体をかすめた。
『――――だめですっ!敵機を振り切れませんっ!』
『――――こいつらオーシアでもウスティオでもない!!どこの部隊だ!?』
『助けてくれっ!!味方は…味方は何処にいるんだ!?』
『―――エンジン停止!!エンジン停止!!脱出する!』
レシーバーに入ってくるのは、情報と言うより、もはや悲鳴だった。
機体を滑らせる操作を休めずに、バルクホルンは眼下に広がる大地へ眼をやる。
機速を稼ぐため下へ逃げるという手段は、そろそろ打ち止めに近づいてきた。
下手に機首を下げると地面に激突する。
ヘッドアップディスプレイの高度計は、そういう高度を表示している
ベルカンユーゲントを基地まで連れて帰るという、当初の目的が既に達成できないことは、誰の目にも明らかだった。
視界に入ってくる味方機は、黒煙を曳くモノ、炎に包まれ破片を撒き散らしながら力なく高度を落としていくモノ、一度に数機の敵機に追われ反撃もままならないモノばかり。
すでに基地に還った気で飛行していた数分前とは打って変わった地獄絵図に、バルクホルンは言葉がでない。
やはりユーゲントたちを連れてB7Rの警戒飛行を実施したのがそもそも間違いだった。
B7Rを飛ぶとはいえ、絶対的な制空権を得ている北部空域で編隊長を勤めるパイロットたちに少なからず油断があったことも否定できない。
後悔は尽きない―――
だが――――――もう遅い。
バルクホルンは唇を噛み締めた。
地上が見る間に迫ってくる。
彼のストライクイーグルは、すでに地上すれすれに達しかけていた。
赤茶けた斜面に申し訳程度の潅木が生え、それらが猛スピードで後ろへ消えていく。
暑くもないのにだらだらと零れ落ちる汗に、バルクホルンは眉を顰めた。
後席のテオドールが何事か大声で喚いているが、それに答える余裕すらない。
ここまでか―――
度重なるGによって疲労した身体に弱々しく力を込めたまま、バルクホルンは心中で唸った。

1995年5月28日 同時刻

B7R北部空域付近 高度20,000フィート
私はF-15Eの操縦席で左右を見回した。
左にトーネード GR.4、右にSu-27 <フランカー>、フランカーの右後方にF-16C <ファイティングファルコン>がいて、雑多ながら編隊がフィンガーチップ隊形で飛行しているのが分かる。
酸素マスクの中で唇を舐める。
午前11時15分―――
この時期特有の霞がかった空を背景にして、同じような隊形で飛ぶSu-34<フルバック>4機が見えた。
B7R北部へと向かうヴェストファーレン基地飛行部隊16機の編隊は緩やかな陣形で飛行していた。
前方に褐色の山並みが見えてくる、円卓に間違いない。
『プファオリーダーから各機』
編隊を束ねるウィンストン・ペティグルー大尉からの通信が耳に届く。
『敵味方識別装置作動。B7R内では反応しないモノは全て撃ち落されるぞ。いいな?』
『プリースト3、了解』
他のパイロットたちに混じって私も了解の返事を返す。
レーダーで見る限り、すでにB7R全域は敵味方が入り乱れた混戦状態となっていた。
時折、黒煙を曳いてよたよたと飛んでくる友軍機を、私は上空から見下ろす。
『隊長たちじゃないですね……』
キャノピーに手をついて下方を覗き込んでいるロベルトが心配そうに呟いた。
空域を離脱し、こちらへ向ってくる機のコードは他の航空基地に所属する機体ばかり。
考えたくもなかったが、ヴェストファーレン所属部隊の壊滅という単語が頭に浮かんだ。

『チャンネル1まで、あと2分―――』
僚機からの返事がひと段落した頃、再びペティグルー大尉の声が響く。
チャンネルとはB7Rでの無線設定だった。
チャンネルは全部で7あり、チャンネル1はB7R北部で戦闘を行う部隊の共通周波数になる。
同時に上空で管制を行うAWACSとのデータリンクシステムが作動し、その管制下に入ることになっていた。
ちなみにチャンネル2は円卓中部、チャンネル3は南部を示している。
チャンネル4で臨時補給基地との誘導を、チャンネル5では国際緊急周波数を示していた。
2分後―――
『プファオリーダーからヴェストファーレン基地全機へ。チャンネル1―――』
ペティグルー大尉の声がヘルメットの内側に響き、私は無線機のスイッチに手を伸ばした。
『―――ナウ。』
声と同時にスイッチを切り替える。
『――――――A?09戦域へ移動中のヴェストファーレン所属部隊へ。こちら空中管制指揮官ゲシュテーヴァー。A?11、A?12戦域にも敵部隊の侵入を確認。おそらくそちらがファトとゲベート両国の主力航空部隊だろう。先ほど、エルザ基地所属の部隊を敵主力への邀撃に当てた。針路を維持し、A?09及びA?10戦域の制空権維持を最優先にせよ。幸運を祈る。』
一瞬の空電の後、聞こえてきたのはAWACSの冷静な声。
(……まだ生きてる。)
その指示を聞きながら、AWACSからリンクされた情報に目をやって、私は安堵の息をついた。
数を大幅に減らしてしまったものの、ヴェストファーレン基地の部隊はまだ戦っている。
ユーゲントの離脱を援護しつつ、増援の到着までの時間を稼いでいるのか。
それとも、自身が離脱することすら叶わず、いまだ不利な戦いに身を投じているのか―――
『プファオリーダーから各機、ここが正念場だ。火事場泥棒どもを地上へ叩き落せ。以上』
普段は物腰の柔らかいペティグルー大尉が珍しく感情的な言葉を口にする。
それほどまでに、FATOとゲベート両国が犯した暴挙に頭にきているのだろう。
それは私も同じ思いだった。
編隊を組む僚機のパイロットたちと同じく、その言葉に雄叫びで応じる。
その時、ストライクイーグルのレーダー警報装置が微かに警報を鳴らし始めた。
それはまるで、私たちに逃げるなら今だぞと囁いているようにも聞こえる。
『警報……まだ、だいぶ遠いですが。』
ロベルトが緊張感を増した声で呟く。
レーダーを見る限り、現在このB7R北方空域で私たちを含めた敵味方勢力比はおよそ3対1―――
他の基地から飛び立った増援部隊が、戦闘空域に到着するまでおよそ5分―――
それまでは、何としてもこの空域を守り通し、ユーゲントたちを逃がす時間を稼がなくてはならない。
無事に還れる保障はまるでない…だが、私は覚悟を決めていた。
逃げるわけにはいかない。
自分の背後には戦火に追われた人々が目指しているノルトベルカがある。
そして、ガーランド隊長をはじめヴェストファーレン基地に辿り着くはずだったベルカンユーゲントたち―――
これ以上、無駄に死なすわけにはいかない。
『こちらゲシュテーヴァー。敵が気づいた。敵機は20機……おそらくF?18とF?14の混成部隊だ。目標正面。高度差なし。交戦を許可する。』
AWACSの無機質な声が耳を打つ。
『ヤヴォール、ゲシュテーヴァー。プファオ、ベオ、ヴァイエは敵機を迎え撃て。プリースト3他の混成部隊は散開、味方機の援護へ向かえ。』
ペティグルー大尉の冷静な指示が飛ぶ。
それは私にとって、猟犬の首輪を外すのと同じことを意味していた。
命令が終わるやいなや銀翼を翻すと、スロットルを全開にして私は一直線に地上へパワーダイブをかける。
目標は低高度、友軍機を追う2機の敵機。
『ヤヴォール。ベオ隊各機、マスターアーム・オン。長距離ミサイルで先制攻撃をかける。』
『ヤヴォール。』
『こちらゲシュテーヴァー。敵は二手に分離した。包囲される前に、迎撃しろ。』
無線からは友軍機の交信が届き続ける。
他の機から切り離された増槽が、残りの燃料を吐き出しながらくるくると落下していくのが視界の隅に映った。
『ヤヴォール。…レーダーコンタクト。プファオリーダー、エンゲージ。シーカーオープン、ロックオン…フォックス3、フォックス3!』
『プファオ2、エンゲージ。シーカーオープン……フォックス3!』
『ベオ1、エンゲージ…シーカーオープン。…フォックス3。』
『……撃墜! 撃墜!』
僚機の声を耳にしながら、愛機は降下を続ける。
胴体と同じく白く塗られた主翼が太陽を反射して刀身のように煌き、翼端から噴出した真白いベイパーが勢いよく背後へ流れていく。
『敵機接近! 迎撃……敵機、ミサイル発射!!回避しろ! 回避!』
『ヴァイエ4、正面だ! ダイブしろ! ダイブ!』
『―――こちらベオ4、ベオ3が食われた! くそったれの泥棒野郎め! 叩き落としてやる!』
スロットルを握る左手にグッと力がこもった。
目を閉じて、冷たい冷気を出し続ける酸素マスクからありったけの空気を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
時間にすれば、わずか数秒――――――
瞼の裏に家族とニーナの面影、そしてガーランド隊長たち戦友の顔が浮かんでくる。
『神よ、我らベルカ人の心より愛する祖国を護らせ給え。この空で戦う全ての戦士に神の御加護の有らんことを―――アーメン。』
祈りの言葉を口にすると眼を見開いて――――私は交戦の開始をマイクにむけて呟いた。
『マスターアーム・オン。プリースト3、エンゲージ。』

ヘッドアップディスプレイの速度計の数値が弾かれたように上がっていく。
対照的に高度計の値は減少し、見る間に地表が迫ってきた。
私は操縦桿を引いた。
Gが襲い掛かり、頭がヘッドレストに押し付けられる。
毛細血管が圧迫され、ピリピリとした刺激が皮膚を打つ。
さらに操縦桿を引く。
逆さまだった天と地がひっくり返り、ようやく正常な状態へと戻る。
急降下を終えた私は、やや距離を置いて、地面スレスレを飛ぶ友軍機と擦れ違った。
白地に黒いマルタ十字…垂直尾翼に描かれたシリアルナンバーの末尾は『02』―――
(中尉に間違いない…!!)
『ロベルト、いくぞ。』
後席のロベルト准尉に声をかけてから、左にラダーペダルを踏み、操縦桿をわずかに左に傾ける。
それだけで加速のついたストライクイーグルは、上空から横殴りにFATO連邦空軍純正色に塗られた2機のF?14<トムキャット>に襲いかかった。

トムキャットの斜め後ろに、自機が吸い寄せられていく。
相手の動きから目を離さないまま、私は兵装選択を機銃へと切り替える。
HUD<ヘッドアップディスプレイ>に浮かび上がったコンテナマークと照準が重なる。
一瞬の出来事、だが私には、それで十分だった。
発射トリガーを軽く指で弾く。
鞭のようにしなった一連射が、トムキャットの大柄な胴体上で弾け、命中の火花を上げる。
バランスを崩した敵機は、地面に主翼を引っかけ、精悍なボディを何度も地面に打ちつけながら四散した。
驚いた僚機が慌てて機首を上げたその背後に私は喰らいつく。
再び放った一連射が、正確にトムキャットのコックピットを打ち抜き、キャノピーを吹き飛ばした。
派手に一回転して地上に打ちつけられるトムキャット。
天を突くように湧き上がった黒煙を背に、高度を取るべく私は上昇に移る。
『中尉!バルクホルン中尉!!』
緩やかな旋回姿勢のまま、私は酸素マスクに内蔵されたマイクに叫ぶ。
圧し掛かる重力に抗い必死に首を捻った先に、ようやく背後の脅威から解放され、上昇するバルクホルン機の姿があった。
『中尉!生き残っているユーゲントたちをまとめて離脱して下さい!援護します!!』
『……ホルストかっ!?』
無線からバルクホルン中尉の声が聞こえた時、加速のついた私のストライクイーグルは上空へ一気に駆け上り体勢を立て直していた。
『ゲシュテーヴァーよりプリースト3。正面に敵機4機。―――いや、方位090より新たな敵機。高度10,000フィート。』
AWACSからの警告にレーダーへと視線を飛ばす。
レーダーは、こちらに向けて急速に間合いを詰めてくるフリップを映し出していた。
その数2。
さらにヘッドアップディスプレイには、敵を示すフリップが4つ浮かんでいる。
多勢に無勢―――どんなに最新鋭の機体だろうと、どんなにパイロットが百戦錬磨の強者だろうと、6倍の敵を一度に相手にして勝ち目はない。
『プリースト3、ブレイク。』
AWACSが間髪をいれずに指示を告げてくる。
『ナウ』
私のF?15E<ストライクイーグル>は、その声と同時にアフターバーナーに点火、二つの排気口から炎を上げて右に急旋回をきった。
旋回を行いながら、私は操縦桿をついてストライクイーグルを急降下に入れる。
全開にしていたスロットルレバーを戻すと同時にアフターバーナーもカットした。
レーダー上の敵機のうち、2機編隊がなおもこちらに向かってぐんぐんと接近してくる。
明らかに私に狙いを定めた動きだ。
後席のロベルトがハーネスを外し、体をねじって後方を振り返ろうとしているのを感じる。
操縦幹を左手に持ち替え、私もキャノピーに手をつくと、体を前傾させて背後を伺った。
上空から2つの黒点が逆落としになって接近してくる。
目をすぼめ、黒点に焦点を合わせる。
大きな吸気口とそびえ立つような二枚の垂直尾翼、重厚感をたっぷりの角ばった大柄な機体―――
『敵視認!同型機!!』
声を失った私の代わりにロベルトがわめいた。
『くそっ』
ののしり声と共に向き直った私は、降下を続ける愛機にらせん状の横転を加えた。
Gのかかりがさらに激しくなり、視界が閉ざされそうになる。
(これで、諦めてくれよ…)
私は敵の追尾がやむことを祈りながら急降下を続けた。
『撃ってきた!撃ってきた!!』
ロベルトの叫び声が耳に響く。
即座にフレア弾をばら撒き、さらに強引な機動を行う。
激しい機動で、後席のロベルトがあちこち体をぶつけているだろうが、ミサイルに当たるより打ち身の方が何倍もマシだ。
赤く輝くフレア弾が、機体の左右へ飛んでいく。
敵の放った赤外線追尾式ミサイルが、その熱に惑わされ明後日の方向へ逸れていった。

そっと安堵の息をつくと、私は機体を水平飛行に戻した。
高度はすでに3,000フィート。
これ以上、急降下を続けることは自殺行為に等しい。
追従してくる2機のイーグルもこちらを追うようにゆっくりと機首を上げる。
機体を上下左右に激しく振り回すものの、後方から迫ってくイーグルから逃れる術はない。
『少尉!少尉!!撃たれちゃいますよ!!』
ロベルトが肩越しに後ろを見たまま怒鳴る。
『分かってるって!』
私もつい感情的になって怒鳴り返す。
途切れ途切れの電子音が耳に入ってくる。
何度の耳にしてきたその音は、間違いなく後方のイーグルが、こちらを照準している音。
全身の毛穴が開くような感覚が体を走った。
まもなく電子音がオーラルトーンに変わるだろう。
―――万事休す。
眉間に深い皺を寄せ、私は心中で唸る。
その時だった―――

『敵機離脱!上昇していきます!』
ロベルトが予想だにしなかった言葉を口にする。
その声につられ、思わず私は上空を見上げた。
そこには、アフターバーナーに点火し、急速に距離を取っていく2機の敵機があった。
(助かった…)
なぜ追尾を諦めたのか、その理由を考える余裕すらなく、私は暫し呆然とその機影を見送る。
敵機の姿が米粒ほどになった時、ロベルトが張り上げた声が私を現実へと引き戻した。
『中尉だ。バルクホルン中尉の機ですよ!』
ロベルトの言葉が終わらないうちに、下方から突き上げるようにして、1機のストライクイーグルが姿を現し横に並んだ。
コックピットからこちらの様子を伺うバルクホルン中尉が、酸素マスクを外した。
その下に現れた笑顔が、私には嬉しかった。
『大丈夫か、ホルスト?』
少し息が荒いものの、落ち着いた中尉の声が聞こえる。
『中尉、助かりました。』
手続きも手順もなく、2人の会話は始まった。
それにしても、バルクホルン機の損傷具合は酷い。
機体の各所には穴が穿たれ、エンジン付近からは薄く煙を吹いている。
きっとコクピット内には警報が鳴り響いているに違いない。
『中尉。酷くやられましたねぇ。』
『まぁな…』
レーダー画面や周囲に鋭く視線を走らせながらも、私はなるべくのんびりと話をするように心がけた。
『それじゃあ、戦闘は難しいでしょう。生き残っているユーゲントたちを連れて離脱して下さい。』
『そうだな。その前にいったん隊長と合流しよう。』
そういって、中尉がキャノピー越しに上空を指差す。
その指し示す先を、私は眼で追った。
その先に、空戦の環が広がっている。

多数の敵機に囲まれても、なお奮闘する少数の味方機。
その内の1機のIFFコードを目にして、私は目を見張った。
『隊長!!』
我々は揃って機首を向けた。
『目標までの距離22,000。敵の群れを隊長たちから引き剥がす。まずはそれからだ。』
バルクホルン中尉が落ち着いた声で指示を出す。
『ロベルト、用意は?』
『できてます。間もなくアムラームの射程を割り込みます。急ぎましょう。』
ロベルト准尉が間髪いれずに答える。
すでにアムラームは通常誘導モードに入れており、安全装置も解除してあった。
今の私にできることは、ただ後席の合図を待つことのみである。
『目標をロック…発射どうぞ!』
ロベルト准尉が短く声をかける。
ストライクイーグルの火器管制レーダーが、前方を飛ぶFATO空軍機を正確に捉えていた。
『プリースト3、FOX1』
私は無線機の送信スイッチを入れ、低い声でコールするとトリガーを4回引いた。
次の瞬間、機体に震動が伝わる。
一定の間隔を置いて4回―――
それは、アムラームが翼下から切り離され、正常に発射された合図だ。
蒼い空に、白いミサイルの発射煙が四筋伸びていくのが見えた。
それを追うように、私はストライクイーグルを加速させていく。
その後方を、同じように4発のアムラームを発射したバルクホルン機がやや遅れながらも追従してくる。
こちらが数に劣る場合、第1撃で相手をどこまで葬ることができるかが、その後の勝敗に大きく影響をしてくる。
連合軍機は、まだこちらの存在に気が付いていない。
数に勝る敵に圧し包まれたら勝ち目はない。
撃ちっぱなしが可能なアムラームを撃ち掛けて、一撃離脱に終始する。
私は、強烈な加速でシートに押し付けられるGに歯を食いしばりながら、まだ上空の敵機に向かって殺意をほとばしらせた。
後席のロベルト准尉が、命中までのカウントダウンを開始する。
レーダー上では、ミサイルに狙われた敵機が必死に回避しようとする様子が映っているが、覚醒したアムラームのアクティブシーカーは見逃すことはなかった。
カウントが10秒を切る…時間が経つのがもどかしい。
3…2…1…。
『命中、4機とも撃墜しました。』
ロベルトが淡々とした口調で命中を告げ、一呼吸置いて言葉を継ぐ。
『バルクホルン機も全弾命中。敵の脅威レベル低下―――敵部隊、空域より離脱、距離を取ります。』

1995年5月28日 午前11時20分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R北部空域 高度18,000フィート

接近し、ガーランド少佐をはじめとした友軍機の姿を確認できる距離まで来た時、新手の編隊が上空から接近してくる。
それは一緒に増援として円卓へやってきた味方機の編隊だった。
それらが、緩やかな旋回を続けるガーランド少佐たちと合流し編隊を組み直している。
私たちもそれらに加わりながら、敵の動きを見るためにレーダーへと視線を移す。
我々から不意打ちに近い形で攻撃を受けた敵編隊は、いったん距離を取った後、体勢を立て直しながらゆっくりとこちらへ回り込んでくる。
逃がしてくれる気も、逃げる気もなさそうだ。
もう数分もすれば、再び戦闘が開始されるだろう。
(それにしても―――)
ガーランド機の後方に着くよう機体を操りながら、私はぐるりと編隊を見回した。
誘導部隊として先発した8機のうち、今確認できるのは4機。
ベルカンユーゲントたちが乗っていると思われるグリペンは8機しか見当たらない。
敵に撃墜されたのか、それともすでに空域を離脱しヴェストファーレン基地を目指しているのか、その手前のアルジャンタン基地に降りたのか……戦闘中の現在ではそれを確かめる術はない。

ガーランド機のまるで雪の色にも似た真っ白な装甲に視線を移し、私は回線を開いた。
『プリースト3より1。ガーランド隊長、ご無事で何よりです。』
一瞬、空電の音がなった後、ガーランド少佐の声が耳元のレシーバーに響く。
それは普段と変わらない、聞きなれた声―――
『ホルストか。よく来てくれた。不意を突かれてこのザマだ。それよりも戦況はどうなっている?』
ユーゲントや他の部隊の前だからか、ガーランド少佐の声色は飛行隊長のそれだった。
詰問気味な口ぶりに、私は見知っていることを簡潔に報告する。
『現在、B7R全域で大規模な邀撃戦闘が行われています。南部及び中部にはオーシアを機軸とする航空隊が、北部にはFATO、ゲベート両国の航空隊が侵攻中です。数は大隊規模以上。南部空域は既に陥落、現在中部空域で敵の侵攻を食い止めています。北部は、エルザ基地航空隊が増援として接近中ですが・・・彼らを含めても多勢に無勢・・・制空権を奪い返すのは難しいのが正直なところかと。』
私の言葉に、ガーランド少佐が表情を硬くしたのが手に取るように分かった。
バラバラだった航空部隊が陣形を立て直したとはいえ、今のままでは戦局を変えるほどの航空機がない。
そうかといって、間もなく戦端を開くエルザ基地の部隊の他に増援は見込めないだろう。
すでに投入可能な全戦力がこのB7Rにつぎ込まれている。
だが、迷っている時間を敵は与えてくれるほど優しくはない。
『ホルスト、ここには何機で来た?』
『ヴェストファーレン基地からは16機が上がりました。現在は・・・自分を含めて14機残っています。』
ユーゲントたちや損傷しているバルクホルン機を除けば、合計17機。
いや、どの機体も大なり小なり損傷を抱えている。
まともに戦力なり得る機体はさらに少ないはずだ。
レーダーに映る敵との戦力差は3対1…いや、4対1だろうか――――――
生き残りの全てをぶつけても、一方的な、なぶり殺しが待っている。
『プリースト1より各隊へ。状況を報告せよ。』
しばらく沈黙の後、ガーランド少佐が再び口を開く。
『こちら、プファオ1。損害なし。4機とも無事だ。』
『ベオ1。3が喰われた。残りは損害なし。』
『ヴァイエ1。2と3が被弾、戦闘の継続は困難。』
少佐からの問いかけに、各隊から間髪要れず返事が返ってくる。
さらに私を含めた編隊を組まないパイロットからの報告が、各小隊の後に続く。
それらの報告を聞き終えたガーランド少佐は、黙り込み、しばらくしてからこう告げた。
『みんな聞いてくれ。今から部隊を分ける。』

『え?』
『少佐、それはどういうことですか?』
編隊を組むパイロットたちが次々と疑問を口にする。
それらの声に、ガーランド少佐は落ち着き払った声で、簡潔に説明を始めた。
『増援としてきてくれた部隊を軸に隊を組み直し、2つの航空隊を再編成する。1隊は私と共に敵の迎撃へ向かい、残りはそのバックアップに当てる。それと、ヴェストファーレンへ所属予定のベルカンユーゲントへ。現時点でB7Rにおける警戒任務を解除する。直ちに空域より離脱、ヴェストファーレン航空基地へ針路を取れ。バルクホルンを始めとした損傷機も同様だ。』
そう告げたガーランド機の左横に、ユーゲントが操る1機のグリペンが並びかける。
『ユーゲント特別飛行隊101号機、ハンス・ステンセル特務准尉であります。少佐殿、確かに我々には実戦経験がありません。ですが、自分たちもベルカ軍のパイロットです!自分たちも戦列に加えて下さい!』
だが、ガーランド少佐は即座に否定した。
『ダメだ。ただちに離脱しろ。』
私はレーダー画面にちらりと視線を走らせた。
敵の編隊は扇形に広がりながら、徐々に間合いを詰めてきている。
再び刃を交えるまで、あと僅かな時間しかない。
私は唇を噛んだ。
傷つき速度の出ない機や経験不足のユーゲントたちが、このB7Rから抜け出すのは一定の時が必要だった。
まごまごしていれば敵との交戦が始まり、逃げることすら適わなくなる。
『しかし、少佐殿、我々も仲間の仇を討ちたいのです…』
なおも食い下がるユーゲントの思いは手に取るように分かる。
だが、議論している暇はない。
咎めようと口を開きかけたところへ、ガーランド少佐の怒鳴り声が爆発した。
『我々に必要なのは戦闘機のパイロットだ。お前たちのようなヒヨコじゃあない!ガタガタ言わずにさっさと反転しろっ!』
声を荒げたガーランド少佐に、ユーゲントの准尉は弾かれたように黙りこくった。
(まるで先生に怒られた学生じゃないか・・・)
その様子に、私は思わず苦笑いを浮かべた。

『よし、行け!』
その声と同時に、バルクホルン機を含めた3機の戦闘機が、一斉に反転し離脱を始める。
やや遅れて、ユーゲントたちのグリペン8機が続く。
これでこの空域に残る味方は15機―――
ここまでくれば、やることは一つ。
(我が軍が誇りとする円卓の空で、最後の1発まで敵と戦う。それだけだ。)
私はグッとスロットルレバーを握る手に力を込めた。
だが、その思いはガーランド少佐の冷静な声によって打ち消される。
『プリースト1より3。』
『ヤー。』
即座に返事をした私に、ガーランド少佐は思いもよらない言葉をかけてきた。
『ホルスト、お前はバルクホルンやユーゲントの護衛に回れ。円卓から連中を無事に離脱させるんだ。』
だが、私は動けなかった。
ここで自分がユーゲントたちの後を追えば、稼動機を減らした部隊はさらに苦しい立場に置かれる。
『どうした、プリースト3? 何やってる。早く行け。』
ガーランド少佐が繰り返す。
『ユーゲントの連中は燃料が不安だ。ヴェストファーレンが無理なようなら、アルジャンタンに誘導しろ。』
『嫌ですっ!損傷もしていないのに1人だけ逃げ帰るような真似は自分にはできません!ここで最期まで戦います!』
それがその時の素直な気持ちだった。
このB7Rで戦っている全ての航空部隊のパイロットたちは、すでに生還を考えていない。
そんな中、増援として送り込まれた任務すらろく果たしていない自分が、どうして離脱する航空機を送り届ける役に回れようか。
『馬鹿野郎!』
突然レシーバーの中でガーランド少佐の声が炸裂した。
『ホルストっ!命令に逆らってまで英雄気取りでいたいのか!?昨日の一件で何を学んだ!お前が残ったとしても、ここで敵を減殺できる数はたかが知れている。それよりも生き残ったユーゲントたちを必ず地上に降ろしてやれ!それがお前のなすべきことだ!』
私は酸素マスクの内側でグッと唇を噛んだ。
ガーランド少佐の言っていることは正しい。
すでにレーダー上では敵編隊が押し寄せつつある。
間もなく中距離ミサイルが襲ってくるだろう。
生き残った航空機が、2機単位の編隊に分かれ始めている。
もう一刻の猶予もない―――
『ホルストっ!』
再びガーランド大尉から通信が入る。
『行け!もうすぐここは乱戦になるっ!追尾してくる敵が出たら、それをお前が排除しろ!いいな、お前が最期の砦だ。それまでは交戦は許さん。分かったら、さっさと反転しろっ!』
最期の言葉に押されるように私は機を反転させた。
速度を上げながら、見えもしないのに後方を振り返る。
どうか無事で――――――
決して叶わないであろう願いを私は心の中で祈り続けた。
紺碧の空記事全文CM:0

紺碧の空?B7R制空戦(前編)?

2010/01/16 10:59

ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R――――通称『円卓』。
制空権をめぐって、各国のエースが飛び交う場所。
そこには上座も下座も所属も階級も関係ない……条件はみな同じ。
『生き残れ』
それが唯一の交戦規定だった。

元ウスティオ空軍第6航空師団第66戦闘飛行隊
ラリー・フォルク
2005年12月31日放送 OBC特番『エースの翼跡』より

1995年5月28日 午前10時00分 ベルカ公国 ヴェストファーレン航空基地

必要最小限の照明しか使われていない室内は薄暗く、物音がしなければ不気味な空間でしかなかった。
バルトライヒ山脈の麓に位置するヴェストファーレン基地の地下格納庫は、飛行隊の出撃を前にした活気に包まれている。
規則正しい配列で収納された戦闘機。
その間を忙しなく行きかう整備員たち。
そして、乗機のコックピットに取り付くパイロット。
そんな光景を格納庫上部のキャットウォークから頬杖をついて眺める私は、海軍の航空母艦もこんな感じなのだろうかとぼんやりと考えていた。
空軍軍人の私には、当然のことながら航空母艦への勤務経験はない。
空母といえば、開戦前に北海や港湾上空で何度か目にしたことがあるだけだ。
そして、今ベルカ海軍の空母機動部隊はその働き場をほとんど失っていた。
歴戦の操縦士の多くも緒戦の激闘で失われ、生き残った航空隊の殆ども続く制空権を巡る間断なき消耗戦に次々と投入され、失われていった。
圧倒的に優勢な敵を前にし、本家本元の空軍ですら航空機の補充もままならない状況では、次第に縮小する戦線の中で、ただひたすら戦力の消耗を繰り返すことが海軍の航空隊にとって最後の任務なのかもしれない。
いや、それは我々空軍も同じことなのだろう。

未着任のベルカン・ユーゲントたちを迎えに行くというのが今日の任務だったが、私は編成から外されていた。
昨日の支援戦闘で勝手な行動を取ったというのがその理由だった。
「今回は基地の中でじっくりアタマを冷やしておけ。」
今朝、飛行前のブリーティングでガーランド少佐は私にそう言った。
実質的な謹慎命令……と言っても間違いではない。
私としては、力なく頷き処罰を受け入れないといけないし、少佐としても、攻撃隊の混乱を招いた形となった原因として、私の行動を咎めないわけにはいかなかったのだろう。
1機ずつ仕切られた区画に佇むストライクイーグルに乗り込むバルクホルン中尉と眼が合うと、中尉は手を上げて私に笑いかけた。
私も微笑を浮かべて、軽く手を上げて応じる。
「ま、昨日はツイてたのさ。現に敵のエアカバーは最後まで現れなかった。そして、敵の対空兵器も大したことなかった。もし戦闘機が出てきたり、SAM(地対空ミサイル)が装備されてたら……多分みんな基地(ここ)に帰って来てないさ。少佐もそれは分かってる…だから、上に対しての体裁を整えるだけで済ませてるのさ。」
ブリーティングの後、バルクホルン中尉はそう言ってくれた。
その言葉が私にとっては救いだった。
練習航空隊が駐屯しているハルツ基地に赴き、機材の調達及び補充パイロットの誘導。
少々前線に近いところを飛ぶとはいえ、絶対制空権内を片道500キロ少々。
まるで遠足か遊覧飛行の気分で飛べるはずだ。
ヴェストファーレン基地からは34、97、221の各戦闘飛行隊から合計8機が任務に割り当てられた。
この8機でベルカン・ユーゲントたちが操るグリペン32機を基地まで誘導してくる。
まるで牧羊犬にでもなるみたいだとパイロットたちは笑っていた。
機体搬送用のエレベーターが降下を始める。
それと同時に格納庫防御用の耐爆扉がゆっくりと左右に開いていく。
薄暗い格納庫の中に外の光が射し込み、まるでスポットライトのようにその一点を明るく照らし出す。
航空母艦と同じシステムを持つことは、固定基地であるこのヴェストファーレンの弱点と言っても良かった。
なぜなら、どんなに耐爆装甲を施したとて地上と地下を結ぶ通路は他の部分より強度的に弱い。
爆装や燃料補給中の機体が地下にいるところを狙われた場合、大惨事になる恐れがあった。
数分を経ずして、1機目の機体が注意喚起の黄色の回転灯が煌く中、トーイングトラクターに牽引されてエレベーターへ運ばれていく。
機体がエレベーターに固定されると、大きなブザー音と共に転落防止用のシャッターが閉まり、上昇が始まる。
地下基地というものに対する免疫が低い私にとって、そんな光景は何度見てもアニメの中の出来事にしか感じられず現実感に乏しかった。
間をおかずして、2基目のエレベーターも稼動を始める。
それを見た私は、キャットウォークから離れ地上へと足を向けた。

その朝、この時期特有の灰色の空からはシトシトと細かな雨が、霧のように降り注いでいた。
しかし、天気予報では晴れ間はないものの、これ以上悪化することはないだろうと報告が入っており、目的地のハルツ基地からも天候は概ね良好との観測連絡が届いていた。
そして、駐機場には最低限の武装を施された8機の戦闘機がきれいに並べられている。
ガーランド少佐やバルクホルン中尉のF?15E<ストライクイーグル>をはじめ、Su-34<ストライクフランカー>、トーネードGR.4と3種類の戦闘機が肩を寄せ合って並ぶ様はなかなか壮観な風景だった。
すでにエンジンを始動し終えた各機は、いつでも発進できる態勢だ。
開け放たれたキャノピー。
そこから覗くパイロットスーツ姿のガーランド少佐。
バイザーを上げ、頬から酸素マスクをぶら提げた姿が妙にかっこ良かった。
整備員が離陸前の点検を終え、機体から次々と離れていく。
彼らが十分に離れたのを見計らい、1番機であるガーランド少佐のストライクイーグルがゆっくりと前進を始める。
整備員たちの敬礼に答礼を返しつつ、8機の戦闘機は順序良く滑走路へと進んでいった。
ふと私が気付いたとき、駐機場は離陸の様子を一目見ようと集まった手空きの基地要員で鈴なりになっていた。
外野の気楽さか、あれこれとウンチクを並べ立てる者。
他者の離陸を論評する者―――基地内の人間模様が様々なことを感じる。
その中には、先着していたベルカン・ユーゲントたちの姿もあった。
売店で仕入れたのか、紙袋一杯に詰め込んだジャム入りの揚げパン「ベルリーナ」をコーラで口に流し込んでいる。
食べ盛りの頃とはいえ、決してヘルシーではない食べ物だ。
朝も早くから、あんなに食べて大丈夫なのか…余計なお世話だが、私は彼らの胃袋を少し心配した。
最後の機が飛び立つのを見届けると、見物していた者たちは三々五々それぞれの持ち場へと帰っていく。
ヴェストファーレン基地は、ゆっくりと1日が始まろうとしていた。
そうあの一報が入るまでは―――


1995年5月28日 午前10時45分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R附近 高度28,000フィート

時代が変わる――――――
縦横無尽に空中を動き回る小編隊の連なりは、一路ベルカの最重要空域へと向っていた。
ベルカ絶対防衛戦略空域B7R、通称、円卓――――――
隆起地形が円状に広がる、直径400kmの広大な地域。
ベルカ公国とウスティオ共和国の国境線上に位置し、はるか昔からそこに眠る豊富な鉱産資源を巡って幾度も争いが起こった地。
多くのエースパイロットと、それ以上の未帰還者を生み出し続けていることで、その存在は軍関係者ならずとも広く世に知られている。
所属、階級、性別、人種…この空間では、地上のしがらみなど何の役にも立つことはない。
そこには生と死しかなく、強い者が生き残り、弱い者から死んでいく。
ベルカ軍に所属するパイロットはその存在を誇りとし、逆に連合軍に参加するほぼ全てのパイロットは、その空域を嫌い…そして恐れた。
だが、それも間もなく変わる。
1995年5月28日、午前10時45分。
まもなく実施される世紀の大作戦の幕開けまで残り15分―――

出撃してから3時間近く経ち、途中で空中給油を挟んで幾度も編隊を組み替えても、崩れることなく緊密な編隊を維持している様子には、今までの訓練と実戦で積み上げられた技量の高さを伺えた。
しかし、オーシア連邦空軍第4航空団第1飛行中隊を指揮するカート・ロビンソン大尉にとって、それは見慣れた光景で、特別に感慨を抱かせるには経験を積みすぎたといって良い。
『――――先行小隊よりトゥームストーン1へ。我、円卓北端へ到達。ファト及びゲベートから発進した航空隊を確認。』
『トゥームストーン1より先行小隊へ。高度を上げ、本隊に合流せよ。連中にこちらの存在を探知させれば十分だ。』
このところの連合軍優勢となった戦局に、緒戦においてベルカと停戦協定を結んでいたはずのファト連邦とゲベートの両国が連合軍への参加を水面下で打診してきたそうだ。
まもなく終わるであろう戦争の戦後権益が目的なのだろうが、意外にもわがオーシア連邦をはじめ、サピン、ウスティオなどの国々は歓迎の姿勢をみせる。
もちろん無条件でというわけでもなく、このB7R攻略作戦『オペレーション:バトルアクス』において、南部及び中央部で邀撃してくるであろう敵航空戦力の背後を突くため、主力部隊の空域侵入と同時に、円卓北部への侵攻を条件としたそうだ。
うまく背後を突ければ良し、最悪、敵の航空部隊の一部でも北方に釣り上げることができれば当初の目的は達せられる。
良く言えば『囮部隊』、悪く言えば『捨て駒』―――
こうやってファト連邦及びゲベートの航空隊を援護するという名目で同じ空域に向かっているものの、実際は開戦当初、早々とベルカに停戦を持ちかけた『前科持ち』の彼らが逃げ出さないよう、背後から銃口を突きつけておくのが本当のところだ。
往けばベルカの鳥たちが襲い掛かり、退けば味方のはずの我々に撃たれる。
どう言い繕おうと、現在円卓へと向かっている両国のパイロットたちは無事では済まないだろう。

そしてそれは、正面切ってベルカ空軍をねじ伏せるため円卓へ向けて進軍中のオーシア空軍を中心とした主力航空隊にも同じことが言えた。
緒戦より大幅に数を減らしたとはいえ、ベルカ空軍にはまだ多数の精鋭航空部隊が存在する。
円卓に多数の航空部隊を送り込めば、当然ベルカ空軍はそれに負けない数の航空部隊を差し向ける。
敵の勢力が大きければ大きいほど、ベテランが操る戦闘機を差し向け、制空権の維持を図ろうとするだろう。
それこそが、この作戦の狙いだった。
ベルカ各地の航空基地から精強部隊を誘い出し、数で勝る連合軍の飽和攻撃で完膚なきまでに殲滅する。
これにより南ベルカの制空権を完全に掌握すると同時に、ベルカ空軍の再建を阻むことが出来るだろう。
昨夜のブリーティングでそう語った醜く太った参謀の顔が思い起こされ、ロビンソンは湧き上がった怒りを抑えるためにグッと奥歯を食いしばった。
ベルカの鳥たちを駆逐することに異論はない。
戦争を終結させるために、一日でも早くそうするべきだ。
だが、そのために流される兵士たちの血をまるで考慮していない上層部の発言には少なからず怒りを覚える。
今日の戦いは歴史に残るものになるだろう。
だが、それだけに流される血も多いはずだ。
(いったいどれだけの機が生きて地上を踏めるのか…。)
視界に映る部下たちの機を眺め、ロビンソンは心の中でそう呟いた。
『こちらゲベート防空軍AWACS<アステール>。作戦行動中の航空隊へ。間もなく円卓に到達する。各隊、所定の――』
沈黙が続いていた無線に、突然ゲベートのAWACSからの無機質な声が飛び込んできた。
円卓の影響だろうか、いつもより雑音が耳につく。
我々オーシア空軍が援護に就くと連絡したところ、ゲベートは急遽AWACSへの政治将校の搭乗と、独自の督戦隊の編成を行うと言ってきたそうだ。
何もそこまでと思うのだが、連合軍に加入早々に大国の機嫌を損ねることは避けたいという思いが強いのだろう。
計器パネルにあるデジタル時計が10時55分を指していた。
今頃、国連の会議で連合軍に参加した国々からB7R不可侵条約の破棄が決議され、一方的にベルカに通告されていることだろう。
目的を核査察からベルカ公国の屈服へと変える決議。
祖国オーシアの目的は、はじめからこれにあるとみて間違いない。
だとすれば、これからが祖国にとっても、自分自身にとっても本当の戦争なのだ。

はるか南の空に何条もの飛行機雲がゆっくりと伸びていく。
各国合わせれば200機近くに達する作戦参加機の第一陣が、各々割り当てられた空域へ向けて徐々に針路を取り始める頃だ。
操縦桿を握る手を持ち替え、何度か握りなおす。
ゆっくりと深呼吸をして息を整えながら、ロビンソンはフライトスーツの胸ポケットをゆっくりと撫でた。
ポケットの中にはMIA(戦闘中行方不明)とされた人と写った写真が入っている。
死亡が確認されていない以上、まだ生きている可能性はある。
他の人間に漏らすことはなくとも、彼はそう信じていた。
彼女の安否を確認するためにも、この戦争は早期に終わらせなければならない。
彼がそんな物思いからわれに帰ったその時、歴史を変える声がレシーバーに届いた。
『こちらファト連邦空軍所属AEW(早期警戒機)<ファルコ>。前進中の各機へ。連合軍統合司令部より入電。国連はB7R不可侵条約破棄をベルカ公国へ通告。ベルカ絶対防衛戦略空域B7Rへの侵攻作戦開始を発令。各隊は当初の打ち合わせどおり行動を開始せよ。作戦参加機、全員の武運を祈る。』
その指示を聞いたロビンソンは、一呼吸置いた後、努めて平静にマイクに声を吹き込んだ。
『―――第1中隊及び第2中隊各機、ファト空軍の後方から円卓へ侵入する。諸君、歴史を変えるぞ。』
ロビンソンの声に応じて、部下のパイロットたちがあげた声が無線を埋め尽くす。
ロビンソンはゆっくりと周囲を見渡した。
2個中隊、合わせて11機のF?15E<ストライクイーグル>と電子戦を受け持つEA‐18G<グロウラー>4機が、一糸乱れぬ動きでロビンソンの機を追従してくる。
『こちら<ファルコ>、前方に飛行中の航空機を多数捕捉。信号解析……IFFコードはベルカ軍機。その数40。3分後、探知圏内に入る……現在、政府による停戦協定破棄が通告中。通告の終了までは手を出すな。』
ファトのAEWが、強力なレーダーで遥か彼方を飛行するベルカ軍機の存在を知らせてきた。
転送されたデータによって、レーダーにフリップが映し出される。
そこには、やや乱れた形の編隊のまま緩やかに旋回を続ける光点がある。
その光点は時々ばらけたり、逆に危険なほど接近したりと、落ち着きが無い。
通常の哨戒機にしては数が多い―――
だが、こちらを待ち構えているにしては、あまりに間延びした隊列だ。
『ベルカ人め、のん気なもんだ。』
後席のスチュアート少尉がバカにしたような口調で言った。
『奴ら、緊張感のかけらもありませんね。お仕置きしてやりますか? 大尉。』
『ああ、たっぷりお痛を食らわしてやるさ。』
ロビンソンは、率いてきた2個中隊に散開を命じた。
一瞬にして編隊は2機単位分かれると、速度を増しつつ、敵の背後に回る針路を取り始める。
緊張感や闘争心…様々な感情がパイロットたちの心に現れ、誰もを無口にさせた。
そんなイヤなムードを断ち切るように、ロビンソンは無線機で第2中隊長のエリアス大尉を呼んでいた。
『…ジャック。』
『何だ?』
『お前たち第2中隊は、このままファトの連中の後ろにいてくれ。連中にまず手を出させなければ意味がない。分かるな?』
『――――了解。』
少しの会話で、エリアスはロビンソンの意思を感じ取った。
後方を飛んでいたエリアスの中隊が、一気に前面に進み出る。
それを見届けると、ロビンソンは言葉を継いだ。
『あ、ジャック。』
『ん?』
『生き残れよ。帰ったら、今夜もまた一杯やろう。』
『お前の奢りだぜ。』
これから戦闘を開始するのには似つかわしくない言葉に、にやりと笑うエリアスの顔が眼に浮かぶようだった。
だが、言ってみずにはいられなかったのだ。
ロビンソンは上空を仰ぎ見る。
『敵の頭をとる。第1中隊、各機、俺について来い。』
『了解!』
編隊は、一斉に銀翼を煌かせ、空の高みへと昇っていった。
それから数十秒後、B7Rの南部の空に無数の爆炎が花開く。
それが、後にB7R制空戦と呼ばれる戦いの幕明けだった。


1995年5月28日 午前10時59分 ベルカ絶対防衛戦略空域 B7R 高度20,000フィート

ガーランドは、眼下の光景を覗き込むように首を捻った。
足元に広がるは、荒涼たる赤茶けた大地。
その大地を切り刻む険しい断崖絶壁。
まるでこの星が誕生した時代にタイムスリップしたような光景にガーランドは目を細めた。
ベルカ絶対防衛戦略空域B7R、通称円卓。
直径400キロに及ぶ空域の北側をなぞるように、編隊は緩やかな旋回を続け飛行していた。
高度20,000フィート―――
ハルツ基地を離陸する直前、統合本部からB7Rへ連合軍侵攻の恐れありとの警報と、それに伴う空中警戒飛行が伝えられた。
急遽、対空兵装を施し配置に就くべく移動を開始したのであるが、統合本部からの指示は敵の侵攻が予想されている『C』戦区や『B』戦区ではなく、円卓の最も北方に位置する『A』戦区を警戒せよとのことだった。
もともと円卓の防衛線はA、B、Cと大きく3つの戦区で区分されている。
さらに、各戦区を細かく15に区切ることで、目標に対して邀撃機をスムーズに誘導することを可能にしていた。
5月28日の時点で統合司令部が敵の侵攻ルートと予想していたのは、ウスティオ共和国と隣接する『C』戦区であり、その背後の『B』戦区が必然的に防衛線を支える役割を負う。
このため、『B』戦区に隣接し、最もノルトベルカ寄りの『A』戦区は、敵航空部隊の圧力は比較的低いとされ、常駐する航空部隊は『A』戦区へ回されていた。
戦力的に空白地帯となった戦区を警戒しろということは、予備戦力か数合わせ程度の評価しかされていないということだ。
ガーランドには統合司令部の考えていることが手に取るように分かる。
司令部としては、B7R全域に多数の戦闘機が存在していることが大事なことであり、学徒兵ばかりの航空部隊の戦力には期待なぞしていないということだろう。
(ま、脇役扱いは至極当然だけどな…)
胸の内でそう呟くとガーランドは周囲を見回す。
ガーランドの率いる10機から3,000フィートほど後方に、バルクホルンが率いる10機が飛んでいる。
前方、約6,000フィート離れて、さらに10機の機体が先行し、さらにその向こうに残る10機が芥子粒のような機影が一塊になって飛行しているのが見えた。
まったくもって平和な光景だった。

円卓特有の磁場によってレーダーや無線に悪影響があるものの、今のところ敵の侵攻を示す兆候もなく、他の空域からも警報は出てはいない。
到着した頃は気を張っていた彼も、あまりにも単調に過ぎる時間の中で欠伸をかみ殺すことに気が移り始めていた。
円卓北部を警戒飛行し始めて20分が経とうとする頃、先行する機影が緩やかに右旋回に入り、針路を徐々に変え始めたのが分かった。
それについで、自機の前方の編隊も変針姿勢を取り始める。
航続距離の短いグリペンがそろそろ帰投する燃料を気にし始める頃だ。
ようやくヴェストファーレンに還れる。
ガーランドは後続の機に分かるよう大きくバンクを振った。
同時に緩やかに右旋回しつつ、速度を落としていく。
円卓を抜け、20分も経てばうっそうとした森に広がるヴェストファーレンの滑走路が見えてくるはずだ。
今夜には夜間襲撃の初陣が待っている。
いくらなんでも、帰ってからしばらくはゆっくりさせてくれるだろう…。
ガーランドは溜めていた息を吐き、何気なく後続機の方を振り返った。
(………?)
その時―――
何かが光った気がした。
うっすらと広がる雲に溶け込み、はっきりと確認できない…。
だが、確かに何かが後方にいる。
ガーランドは即座にレーダーに視線を移す。
円卓の影響だろうか―――いつも間にかレーダーには無数の細かいノイズが走り、その役割を果たしきれていなかった。
大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。
そうして、心を落ち着けておいて、改めてその方向に目をやった。
やはり、そこには薄い雲が広がるばかり。
(…まさかな。)
そう思う気持ちの方が強かった。
ここはベルカ絶対防衛戦略空域B7Rのノルトベルカに近い空域だ。
もし仮に何かいたとしても、それは味方機に違いない。
ここで無用の騒ぎを起こせば、それこそ昨日のような…いやそれ以上の騒ぎを引き起こすことになる。
その躊躇いが、彼に貴重な時間を浪費させた。
『隊ちょ―――』
編隊を組んでいたグリペンからの交信が途中で途絶え、左後方に火の玉が出現する。
それがミサイルによるものだと気がついたのは、レーダー警戒装置が金切り声で声を上げ出したからだ。
『ブレイク!』
躊躇うことなくガーランドは酸素マスクの内側に仕込まれたマイクに向けて怒鳴った。
同時に自らも愛機を右旋回に入れ、ジャミング装置のスイッチを入れる。
視界が暗くなってくる。
圧し掛かるGにうめき声を漏らしながら、ガーランドはシートに背中を押し付け、ひたすら重力に耐えた。
不意に警報が止み、静寂が戻ってくる。
敵のレーダーロックオンを外したのだ。
操縦桿を若干緩めたガーランドは後方を窺う。
すでに上空には無数の航空機が入り乱れていた。
数えるまでもない、敵味方合わせて40機はいるだろう。
翼端から水蒸気を曳きながら、縦横無尽に飛び回っている。
何か指示を出さなければ……口を開きかけたそこへ、またしてもレーダー警報音が鳴り響く。
間髪いれず左旋回に入り、フレアを放出させる。
瞬間―――
目の前を、黒い機影が轟音を発して通過していった。
(くそっ!)
何がなんだか分からない。
とにかく、敵の襲撃を受けたことだけは確かだ。
恐ろしい数の敵機の渦に、編隊ごとすっぽりと飲み込まれている。
また、手の届きそうな距離を機影が駆け抜けていく。
その長く伸びた主翼にファト連邦の国籍標示を認めた瞬間、ガーランドは事態をはっきりと認識した。
(裏切りか…!!)
連合側優勢に傾いた戦局に、戦後を見越して参戦してきたのだろう。

気がつけば、オーシア軍を中心とした大部隊が空域へ侵攻を始めたことと、それに伴う邀撃命令が緊急回線を通じて耳を打っている。
だが、示される座標は円卓の南部及び中央部であり、この北部空域に対するものはない。
右へ左へと機を滑らして敵の射線をかわしながら、ガーランドはマスクに内蔵されたマイクに向かってがなり立てた。
『こちら第4航空師団第34飛行隊!!現在、B7R ポイントA?09で敵の攻撃を受けている!敵は1個大隊規模!国籍はファト連邦!繰り返す、北部空域でファトの戦闘機に攻撃を受けている!』
そう叫びながらガーランドは顎を上げ、上空を探った。
耳元には通信を聞いていたらしい空中管制機の冷静な呼びかけが聞こえているが、絶えずかかるGによって応答できなかった。
機首を下げ気味にストライクイーグルは排気口から炎を噴射しながら右へ水平旋回をきり続ける。
『少佐っ! 6時上方よりさらに機影!』
はっとして、ガーランドは振り返り、その光景に目を剥いた。
座席越しではあったが、背後の雲を飛び越えるように、縦横無尽な白い航跡を曳いて向かって来る無数の光点を、ガーランドは見た。
それは、獲物の背後に突如として現れた猟犬―――いや、狼の群れだった。
そしてガーランドたちは、その罠に掛かった哀れな獲物だった。

1995年5月28日 午前11時04分 ベルカ公国 ヴェストファーレン航空基地

情勢が急変したのは昼食前。
予定では飛行隊が給油のためにB7Rを離脱し始めるくらいの時間だった。
飛行管制室はその慌しさを増し、付近を行き来する通信要員の数もまたにわかに増えていく。
『待機中の戦闘機パイロットへ緊急。装具を整え地下格納庫に集合せよ。繰り返す―――――』
基地内に流れる放送を、私は自室のベッドに身を横たえ、ぼんやりと聞いていた。
待機中のパイロットへの集合放送であって、謹慎中の身である私には何ら関係はない。
もちろん呼び出しに応じても良かったのだが、のこのこ顔を出したは良いが、お前には用がないと言われるのも嫌だったというのもある。
(いったいどうしたってんだ?)
寝返りを打つ間にも同じ放送が再び響き渡る。
血相をかいたロベルトがドアを蹴飛ばして部屋に駆け込んできたのはそのときだった。
「少尉ーッ!」
突然の大声に私はあわてて飛び上がる。
二段ベッドの1階部分を使っていたため、不用意に半身を起こした瞬間、2階部分の床に思い切り頭をぶつけた。
「いったぁー…」
頭を抱えて蹲ろうとする間もなく、にゅっと伸びた腕が私の両肩を掴んだ。
そのまま乱暴に身体を揺すられる。
「少尉、大変ですっ!何ボケッとしてるんですか!隊長たちがとんでもないことになっているのに!」
「なに!?」
そこから私の行動は素早かった。
ロッカーに吊るしてあった上着を引っつかんで部屋から飛び出し、飛行用の装具をぶら提げて格納庫に駆け込んだ頃には、すでに何機かの戦闘機が格納庫からエレベーターで運び出されていた。

管制室からスピーカーに流される戦闘機隊との切迫したやり取りに、キャットウォークを走る私の足が止まった。
『――――だめですっ!敵機を振り切れませんっ!』
『――――こいつらオーシアでもウスティオでもない!!どこの部隊だ!?』
『助けてくれっ!!味方は…味方は何処にいるんだ!?』
『―――エンジン停止!!エンジン停止!!脱出する!』
無言のまま、じっと立ち尽くして聞いているうち、背後からロベルトが追いついてきた。
「円卓の全域にわたって連合軍が侵攻してきたそうです。円卓の北方を警戒していた隊長たちも捕まって…。」
「…………。」
焦りと不安、様々な感情を浮かべたロベルトの顔を私は黙って見やった。
「少尉、隊長たちを助けに行きましょう!今ならまだ間に合います!」
「………。」
それでも私は黙ったまま動けなかった。
隊長たちの安否が気にならないわけじゃない。
だが、昨日の一件を気にしていなかったら嘘になる。
再び命令に背き勝手な行動を取ることで、穏便な処置で済ませてくれたガーランド少佐の思いを裏切ることになるとも思ったのだ。
「隊長たちを、ユーゲントの子供たちを少尉は見殺しにするんですか!?少尉が行かないのであれば、自分だけでも上がります!」
「…………!」
黙ったまま、私はロベルトを睨み付けた。
さらに何かを言おうとしたロベルトが、その気迫に押されて口を開きかけたまま黙り込む。
私は、再び歩き出した。
格納庫では、基地に居残っていた戦闘機パイロットのほとんどが集合し、ちょっとした人だかりが出来ている。
その中央に、第4航空師団司令のフリードリッヒ少将と副官のブルクハルト中佐、南部方面軍参謀クラウス少佐と昨日帰還時に顔をみた老将の姿があった。
参謀たちが地図や書類を片手に何やら議論を交わしている様子を、厳しい表情のまま黙って見守っている。
「南部、それに中央部でも敵との交戦が始まっている。方面司令部から全航空基地へ緊急発進の要請があった。」
「連合め、どれだけの戦力を投入してきたんだ。うちからは全機上げるのか?」
「全てはダメです。今後の作戦行動に支障が出る…。」
「……ユーゲントたちと合流できたとして、どう逃がす?どこへ飛べば良い?」
「ここはダメです。B7Rからの帰還機に対する補給基地として本来の役割があります。…野戦基地に回してください。」
議論が堂々巡り…いや、責任回避に夢中であるようにしか見えない。
わざわざ意を決するまでもなかった。
人ごみを掻き分け、私は参謀たちの前に進み出た。
「何だ、貴官は?」
突然現れた私に参謀の1人が訝しげな表情を浮かべる。
「第34飛行隊ホルスト・ラインダース少尉であります。友軍救援のため出撃許可を出してください。」
姿勢を正し、参謀の目から視線を反らさずに私は言った。
「は…?」
驚き…いや、呆れたのだろうか。
釈然としない表情を浮かべ、その参謀は私を見返した。
「まごまごしていれば、みんな死んでしまいます。」
「闇雲に出ては敵を駆逐するどころか、返り討ちにあうだろう!!」
参謀が語気を荒げる。
だが、その表情はどこか怯えているように感じた。
「現在、当基地の航空隊が最優先で行うべきことは、敵を撃墜することではありません。未熟な補充パイロットたちを安全圏まで逃がし、その上で改めて敵と対峙することだと思われます。…クラウス少佐殿、違いますか?」
私は、参謀の肩越しに見えたクラウス少佐に話を振った。
さらに視線を、背後の老将へと注ぐ。
私の発言は、明らかに周囲の参謀達の機先を制していた。
彼らは一様に言葉を失い、困惑したように床へ視線を落とす。
中には自分自身を納得させるように何度も頷く者もいた。
だが、クラウス少佐たち上層部は表情一つ変えることなく、黙ったまま私を見つめている。
周囲に集まったパイロット達は、いまや固唾を呑んで私たちの遣り取りを見つめていた。
「……少尉、君の言うとおりだ。今は論議の時間すら惜しい。」
少しの沈黙の後、口を開いたのはクラウス少佐ではなく、その背後に控える老将だった。
「閣下…!」
その言葉を聞いて参謀たちがざわめく。
クラウス少佐や他の参謀たちをゆっくりと押しのけ、老将は私たちの前にゆっくりと進み出る。
そこで、立ち並ぶパイロットたちを見回してから、一段と厳しい表情で命令を発した。
「…各パイロットは直ちに出撃。各基地の航空隊と共闘し、連合軍の航空隊を撃退せよ。ガーランド少佐たちを必ずこの基地に連れ戻せ!」

準備は早かった。
地上の駐機場へ並べられた各戦闘機の周囲はにわかに活気を増し、パイロット達はそれぞれの愛機に身を滑り込ませていく。
整備員達の顔も、心なしか明るい。
自分たちが送り出した航空隊の陥っている苦境は、何もせずに聞くにはあまりにも辛すぎた。
何かせずにはいられない―――
先ほどまで基地全体をつつんでいた、そんなやるせない空気は払拭されていた。
私も、その喧騒の中にいた。
『右エンジン、異常なしっ!』
機付の整備員がインターコムで点検結果を知らせてくる。
『了解。エンジン始動。』
右手でスターターのレバーを引く。
一瞬間を置いて、衝撃と共にスターターが始動した。
回転が上がってくるまでの時間を利用して、身に着けた装備を再確認する。
(急いでくれ…!!)
背中を焦がされるような焦燥感に、私はただ突き動かされていた。
数秒後、回転計がゆっくりと上昇し、タービンブレードの風切音にエンジンの排気音が加わり耳をつんざく轟音へと変わる。
駐機場は、十数機の戦闘機による朗々たる排気音が響き渡り、同時に鞘から抜き放った白刃のような冷たい殺気が基地全体を満たしていた。
すでに、基地上空の警戒任務に当たるグリペン4機が滑走路に進入を開始しており、残る戦闘機隊も後を追うようにタキシングを始めていく。
私は微かに首を振り、計器パネルに視線を戻した。
左右のエンジンは順調に回ってくれている。
ぐずぐずしている暇はない。
『ロベルト、閉めるぞ。』
インターコムで後席に呼びかけ、私はキャノピー開閉用のレバーを押した。
頭上のキャノピーがゆっくりと下り、外界と私たちを分け隔てる。
『チェック終了。異常ありません。』
機外のチェックを終えた整備員の声が耳を打つ。
『了解。』
私は短く返事を返すと、ブレーキを踏み込んでから両手の親指を外側に出し、そのまま広げた。
輪止めを外すようにとの指示だ。
『少尉殿。』
輪止めを外し終えた整備員が、機外のインターコムを抜く直前、珍しく言葉をかけてきた。
その声に顔を動かした私と整備員との視線が絡み合う。
『ご武運を。』
私はしっかりと頷くと、そっと操縦桿から手を離して敬礼をした。
背後のロベルトも同じように敬礼をしているのだろう、もそもそと動く気配が伝わってくる。

件の整備員は、背筋を伸ばして指を先までピンと張った教科書どおりの見事な敬礼で機を見送ろうとしてくれている。
いや、その整備員だけではない―――
他の機体に取り付いていた整備員、機体誘導員、そして基地守備隊―――ヴェストファーレン基地にいる全ての要員が出撃していく機体にむけて敬礼を送っている。
ふと視線を動かした先に、顔を真っ赤にして敬礼を送っているユーゲントたちの姿があった。
おそらく彼らは同行を願い出たものの却下されたのだろう。
空の向こうでは、彼らの同期生たちが無残に撃ち落されている。
自分たちの力不足を痛いほど味わっているのだろう。
彼らの気持ちに応えるため、1人でも多くのユーゲントを連れて帰ってこなければならない。
私はゆっくりと息を吸い込むと前方を見据え、ゆっくりとマイクに声を吹き込んだ。
『プリースト3、離陸準備完了。管制塔、滑走路への侵入許可を求む。』
紺碧の空記事全文CM:0

紺碧の空?選びし道?

2009/11/04 12:20

1995年5月27日 午前11時08分 ノルトベルカ ヴェストファーレン航空基地

ヴェストファーレン航空基地へ最後に着陸を果たしたガーランド少佐は、滑走路脇に行方が分からなくなっていたユーゲントたちの顔を認めて、ようやく安堵の表情を作った。
だが、そのいずれもが火器管制装置の入れ忘れを故障と勘違いしたり、対空砲火に驚いて離脱したなど、聞いていて頭が痛くなるような内容であり、安堵感を遥かに凌ぐ落胆に打ちのめされることとなった。
この無様な結果の根本的な原因は、やはり訓練と経験の決定的な不足が挙げられる。
戦闘の経過は、無線の遣り取りを通じ、すでに基地内に知れ渡っているようだった。
連合軍地上部隊と交戦してこれを撃退。
だが、敵の主力と思われる機甲師団の大部分を取り逃がし、アイフェルの守備隊が被害を受け無視できない死傷者が出た。
陣地を突破されなかったのは、ただ運が良かっただけだろう。
さらには、戦闘中に無断で脱落したユーゲントが3名。
未熟なパイロットを用いて作戦を実行するが、どれほど無謀なことか、開戦から生き残ってきたパイロットたちの心は重くなるばかりだった。
「何しに行ったのかねえ……連中」
「これじゃ先が思いやられるぜ。」
基地内のぼやきを他所に、基地に降り立った残りの6機はゆっくりと格納庫へ移動を始めていた。
その動きに精彩さはなく、まるで戦に破れ疲れ果てた愛馬と共に国へ帰る騎士のようだった。
「アハトゥンク!」
ヴェストファーレン基地の巨大な地下格納庫―――
そこで、首をうなだれて立つユーゲントたちをバルクホルン中尉が充血した眼で睨み付けた。
「お前ら、今日のザマは何だ!?」
ぐっと口を結ぶ者。
ますます頭を垂れる者。
反応はそれぞれだったが、抱いている心情はほとんど同じなのだろう。
「敵を見て騒ぐだけなら、その辺の子供でもできる。お前たちの任務は違うだろうが!敵を取り逃がすぐらいはまだいい。だが、編隊行動だけは絶対に崩すな! 単機で戦闘を行うのはお前たちじゃ無理だ! それと、ホルストッ!!」
「はい。」
空中集合した時の視線から、叱責があることをうすうす感づいていた私は背を正した。
「なぜ編隊から離れて独断で攻撃を行った?」
「敵の発砲及び友軍陣地内への突撃を確認したためでありますっ。」
ゆっくりと私に近づきながら、バルクホルン中尉が問いかけてくる。
その声は抑揚がなく、かえって気味が悪い。
「隊長の指示になぜ従わなかった。」
「敵の侵入を防ぐことが最優先事項だと判断したためであります。」
私の前に立つと、ジッと目を見たまま中尉が言葉を継ぐ。
その声色は、訊ねているというよりも、爆発しそうな感情を抑えているようにも感じる。
いや、きっとそうだろう。
「編隊長はお前か?」
「違います!」
「では勝手なまねをするな! 今後、命令なしに動くことは許さん!」
突き出された指が、私の胸を強く押し付ける。
普段陽気な中尉の表情が、険しさを増していた。
「分かりましたっ!」
「では、総員解散。2時間後に再び待機室に集合して反省会を行う。以上だ。」
ユーゲントたちと同じように更衣室へ向かおうとした私を、中尉は呼び止めた。
「ホルストは、俺と一緒に来い。」
ふと、見上げるとキャットウォークに佇む人間と目があった。
制帽から覗く瞳が、見下ろす対象を鋭く射抜くように見ている。
階級章は見えないが、服装から高級士官だとすぐに判った。
慌てて歩みを止め、姿勢を正して挙手の敬礼をする。
見下ろしていた浅黒い肌の男は制帽のひさしに軽く手をあてて答礼すると、ゆっくりと歩き去っていった。
取ってつけたようでありながらも、年季の入った敬礼だと感じる。
私は、遠ざかっていく背中をしばらく見つめ続けていた。

1995年5月27日 午前11時50分 ヴェストファーレン航空基地

「予想はしてたとはいえ…お前らがいながら何てザマだ。」
飛行隊の隊長室。
第4航空師団の飛行隊長であり、私が所属する34戦闘飛行隊の隊長でもあるガーランド少佐は大きく溜息をつき、手に持ったマグカップの中身に視線を落とした。
私にとって奇異だったのは、ガーランド隊長と同席しているのが、南部方面軍参謀クラウス・フォン・シュタウフェンベルク少佐だったことだ。
丁寧に後ろへ撫で付けられた金髪。
堅苦しい第1種軍装などではなく、スーツにシルクハットでも被れば絵に描いたような紳士が出来上がるだろう。
人の良さそうな笑顔は彼の穏やかな性格を感じさせるが、その身体から発せられる雰囲気は若くして参謀職に抜擢された才を伺わせた。
「ホルスト。」
ソファーに腰を沈めたまま、ガーランドは上目遣いで私を見つめる。
「だいぶ暴れたな?」
その眼光に、思わず私は背を正して口を開いた。
「いえ、主要目標の機甲部隊は、敵戦車3両撃破のみでありますっ。」
クラウス少佐が感嘆の息を漏らした。
「さすがガーランドの部下だな。若いのに大したもんだ。」
「味方の混乱を代償にした戦果だ。褒められたもんじゃねえよ。」
クラウス少佐の言葉を、一刀のもとに切り捨てたガーランド少佐の目は笑っていない。
返答に窮した私を不憫に思ったのか、バルクホルン中尉が助け舟を出した。
「ホルスト、言いたいことがあれば言ってみろ。」
その言葉を受け、私は無言で頷くと口を開いた。
「敵が陣地内に侵入するまで時間がありませんでした。あの場合は爆撃を続行すべきだと思います。先手必勝は、戦闘の鉄則だと思いますが…。」
上官であり、先輩パイロットでもある2人を前にして、我ながら勇気のある発言だと思った。
しかし、これは今後にとって必要なことなのだ。
攻撃が遅れたために、あるいは編隊の誘導が悪いために収拾が付かないのであれば、まだマシだ。
最悪の場合、編隊の壊滅を招く。
そんな経験を、私を含め目の前の2人は経験してきているはずだ。
「思い上がるな、ホルストッ!」
ガーランド少佐が、眼を剥いた。
「戦闘は、個人競技じゃない。お前がやるべきことは、自分が得た情報を正確に伝え続けることだ。勝手に突っ込んでおっぱじめることじゃない。戦争をやっているのは、お前1人じゃないってことを忘れるな。」
「しかし、隊長……」
「お前のやった行動を、子供たちが真似をしたらどうなる?それこそ目も当てられない事態が起こるだろうが。」
ガーランド少佐はカップを机に置き、胸ポケットからタバコを取り出しながら言った。
「ユーゲントのパイロットたちは、例えるなら乾いたスポンジと同じだ。良いことも、悪いことも全部吸収していってしまう。そこを頭に入れておけ。長機として、それができないのであれば…隊から外れてもらう。」
私は無言のまま俯いた。
隊長の言うことは正論であり、そして絶対だった。

私の表情の変化を見たのだろうか、ガーランド少佐は急に話題を転じた。
「……で、どうだった。ジャーヘッドの感触は?」
「ジャーヘッド?」
何のことか分からず、私は怪訝な表情を浮かべた。
「オーシアのマリーン・コー(海兵隊)のことだよ。ボケっとすんな、大事なことだろが。」
ガーランド少佐の眼が、いつの間にか笑っていた。
それが、私が知っているいつものガーランド隊長だった。
「強いですね。今回、エアカバーがついていなかったのは運が良かったと思います。上空の援護があったとしたら、支援どころではありませんでした。」
「向こうも学習したことだろうし、今後は、そうはいかないだろうな。」
ガーランドはわずかに口の端を歪めて笑った。
私は表情を変えないまま、言葉を続ける。
「ユーゲントたちが、夜間の地形追従飛行を習得しない限り、今後目標までの接近は極めて困難だと思います。それと、対地ミサイルのような誘導兵器は、彼らには荷が重過ぎるかと。」
「連中に戦果なぞ期待してはないが…夜に低空飛行なんかやったら、事故が続出だろうな。」
バルクホルン中尉が、結果は見えているとばかりに溜息混じりの声で言葉を挟んでくる。
「制空権が不安定な現状において、敵の陸上部隊を攻撃するのは非常に困難と言わざると得ません。うちの部隊で少しでも戦果を挙げるなら、敵戦闘機の少ない夜間に単独…もしくは少数機で銃爆撃を行うことが最良と思いますが……」
話しながら自然と語尾が下がった。
作戦立案のプロであるクラウス少佐を前に、一介のパイロットである自分が浪々と戦術論を述べるのがおこがましいことに気がついたのだ。
「なるほど、そのための夜間低空侵攻か。」
ガーランドは半ば独り言のように頷きながら言う。
「確かに、連中も今日で懲りただろうからな。今後は、白昼堂々と強襲なんぞ許しちゃくれんだろう。訓練の内容次第ではモノになるかもしれん。」
生意気な発言に、再び叱責を受けることを覚悟していた私は、その反応にとりあえずホッとした。
「…驚いたな。少尉、君は若いのに参謀本部要員になるだけの素質と技量を持っている。フライトスーツを脱いだら、すぐに制服を着て仕事ができそうだ。」
クラウス少佐が、感嘆する。
「そうだな、本人が希望するならそっちへ推薦してもいいぜ。こいつは。」
ガーランド少佐が笑いながら言った。
そこまで褒められると、私としても背中がむず痒い。
「……だが、すぐに天狗になるところが玉にキズだがな。」
期せずして上がった笑い声に、私は赤面するしかなかった。
「ホルスト、念のために聞いておくが、あの時、我々の任務は何だった?」
ガーランド少佐が、しばらくマグカップの中身を見つめた後、深みのある声で訊いた。
「それは……友軍陣地を守ることであります。」
僅かに考えた後、私はきっぱりと答えた。
その答えを聞くと、ガーランドは満足そうに頷く。
「実を言えば、俺はあの時ユーゲントたちの安全を確保することしか頭になかった。そこは反省すべきことだと思う。」
ガーランド少佐が難しい顔をして呟いた。
「守るというのは、難しいですね。」
私も、素直に思ったことを口にする。
「ああ、まったくだ。今頃になって、アイスホッケーのディフェンスの気持ちが良く分かるよ。」
「隊長はアカデミーのアイスホッケーチームでは名選手で通っていたそうですが。」
ガーランド少佐の発言に、バルクホルン中尉が視線を転じながら口を挟む。
「名選手どころか、こいつ、あの頃はペナルティのガーランドって呼ばれてたよ。」
クラウス少佐が、そう言って大声で笑った。
「参謀殿は、アカデミーで隊長と同期だったんだ。」
怪訝な顔をした私に、バルクホルン中尉が小声で教えてくれた。
「クラウスは、100年に一度の天才と呼ばれていたんだ。もっとも、一番大事な操縦の腕はからっきしで、座学での話だが……。」
ガーランド少佐がニヤニヤと笑いながら言う。
その顔は、まるでいたずら好きの児童のようだ。
「うるさいっ……誰のおかげで卒業考査をクリアできたと思ってるんだ。」
クラウス少佐が怒鳴り返す。
カップの中のコーヒーも、戦闘の総括もそっちのけで始まった奇妙なやり取りに、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。

1995年5月27日 午後0時30分 ヴェストファーレン航空基地 地下格納庫

その後、訓練内容の具体的な内容に話題は移っていった。
ガーランド少佐の基本的な考えはこうだった。
夜襲部隊として、敵陸上部隊や地上施設への銃爆撃を行うのだから、夜間航法訓練と低空侵攻訓練に力を入れる。
飛行休止や雨天の場合は、ユーゲントたちを集めてシュミレーターによる訓練はもちろんのこと、航法や通信、夜間の地上施設などの見え方、攻撃方法などの戦術、飛行機の構造に至るまで嫌というほど講義を行う。
手探りながら、今日の午後から実施に入ろうということで、話はまとまった。

雑談から開放されると、私は再び格納庫へと足を向けた。
機体の状態を自分なりに点検しようと、ふと思い立ったのだった。
キャットウォークから見下ろした格納庫の片隅に、自分のストライクイーグルが佇んでいるのが見える。
安堵にも似た気持ちを抱きながら、軽い足取りで階段を下りていく。
最後の段から足を離したところで、整備を受けるグリペンの隅に立ち並ぶ人影に気付いて私は歩みを止めた。
「…………。」
ベルカン・ユーゲントたちだった。
フライトスーツを脱ぎ、ラフな作業服へ着替えたユーゲントたちの顔を改めて見た私は目を見張った。
どの顔も、ひどく幼い―――
最も年長と思われる兵士でも、20歳に届いているようには見えない。
平均して、17?8歳だろうか。
中には、頬を真っ赤にした15歳ほどの少年もいた。
はっきり言って、軍服より学生服の方が似合う顔つきだ。
その彼らが、私を認めるや否や姿勢を正す。
『敬礼っ!』
最年長と思われる少年の号令に、ユーゲントたちは一斉に敬礼をする。
私も仕方なく答礼を返した。
『……何をしている?』
そう私は口にした後、感情的な言葉遣いだったかなと思わなくもなかった。
初陣であったとはいえ、戦力とはなり得ない実力の彼らを、私はまだ戦友だと認めていない。
そのことに触れるつもりはなかったが、口にしないことが、かえってさっきの語気にあらわれた気もする。
「あの……少尉殿」
1人の少女が姿勢を正し、恐る恐る口を開いた。
「…ん、なんだ?」
先ほどの語気もあり気まずかった私は、わざとポケットに手を突っ込みくだけた姿勢になる。
「先ほどは足手まといになってしまい、申し訳ありませんでした。」
そう言うと少女は黙り、他の者は視線を落とした。
「……いや、君たちの任務は敵地上部隊の掃討だ。任務外の空中戦に巻き込んでしまって悪かったな。」
沈黙が支配する沈んだ雰囲気を和らげるように、私はにっこりと、わざとらしいくらいの笑顔を浮かべた。
「……はい。」
だが、ユーゲントたちの表情は硬いままだった。
「とにかく、午前中のことは忘れて気持ちを切り替えてくれ。それより君たちの名前を聞いていなかったな。」
私は、ユーゲントたちの自己紹介を提唱すると、それに先立って自分の名前を名乗った。
黙って直立したままのユーゲントたちだったが、右端の少年がすぐにトゥーレ・イリルッシ特務准尉と名乗った。
「せっかくの自己紹介だ。イヤでなければ、出身地も教えてくれないか。」
私はそう言いながら、近くの工具箱に腰を下ろす。
「ティノ・ルーツィア特務准尉、17歳。出身はホフヌングであります。」
ティノと名乗った少年が真顔で答えると、最初に口を開いた少女が直立の姿勢を取った。
「ヴァネッサ・インゲブルク特務准尉。南ベルカの港町、アウクスブルクの出身であります。」
少女の言葉を聴いて、私は目を見開いた。
「アウクスブルクだと?」
「はいっ。」
ヴァネッサ特務准尉が、なぜ怪訝な顔をして返事をする。
「奇遇だな。俺もアウクスブルクの出身だ。…准尉、君は、いくつになる?」
「18歳であります。」
ヴァネッサは堅苦しい表情を浮かべ、真っ直ぐに私を見返した。
「18歳…学校は?」
「はい、この4月よりアウクスブルク大学の数学・コンピューターサイエンス部に籍をおいております。」
それでは、亡くなった妹と同い年ではないか。
改めて彼らの顔を見渡しながら、私は口を開いた。
「……それで、グリペンの飛行時間は?」
「80時間であります。」
「たったそれだけの訓練で………」
「はい。少尉殿がお考えとおり、我々の腕は極めて未熟であります。ですが、志願した以上やってみせます!!」
「…やってみせるだと?」
唖然として問い返す私に、若い少女は頷いてはっきりと答えた。
「家族や友人たちが1日でも平和に暮らせるならば、たとえ微力であろうと私たちは戦わなければならないと考えております。」
彼女たちの気持ちも分からないではない。
だが、美しくも勇ましい気持ちだけでは戦争はできないのだ。
私は工具箱から腰を上げ、彼女の正面に立つ。
「ヴァネッサ特務准尉。我々に与えられた任務は非常に過酷だ。……君はその年で死にたいのか?」
「覚悟の上です。敵と刺し違えてでも、作戦の目的を達成してみせます。」
そう問いかけた私の目を見据えたまま、ヴァネッサ特務准尉は即答する。
その言葉に、私の感情が弾けた。
「覚悟だと!?刺し違えるだと!?今のお前らが束になってかかっても、目標にたどり着く前に1機残らず撃ち落されて全滅だ!偉そうな台詞は、一人前になってから吐け!」
力任せに襟首を掴み上げ、大声で怒鳴った私に、少女の顔は見る間に蒼白となっていった。
全く、狂ってきてる。
このベルカ公国は、どこで進むべき道を間違え狂気に支配された国となったのだろう。
(いや―――。狂っているのは国だけじゃない…な。)
まだ年端も行かない若者を志願させ、わずか80時間ばかり訓練しただけで、最前線へ送り込んでくる。
彼らの志は、一様にひたむきで一途だった。
自己の命を犠牲にしてでも、この国を、ベルカを守りたいという決意が痛いほど感じられる。
だからこそ、未熟な技量の彼らと飛ぶわけにはいかなかった。
彼らが死んで喜ぶのは敵だけだ。
彼らには、これからのベルカを支えていく貴重な役割がある。
その役割がある以上、決して命を粗末にして欲しくはなかった。
(どいつもこいつも狂わされている…。俺もそのうちの一人だ…)
襟首を掴んだまま、ヴァネッサ特務准尉を睨み付けている私に、ティノ・ルーツィア特務准尉が恐る恐る声をかけてきた。
「少尉殿は開戦以来のベテランパイロットと伺っております。………私たちに戦い方を教えてください。お願いします。」
そして、深々と頭を下げる。
傍らに立つ少年たちも彼に続いて頭を下げた。
「ベテランなんて聞こえの良いもんじゃない。ただ、運が良かっただけだ。」
私は、ヴァネッサの襟首から手を離すと、その手をズボンのポケット入れながら少年たちに向き直る。
「…直接俺が教えなくても、今日の午後から講義や実習が始まる。教官の一挙手一投足を見逃すな。それが上達への一番の近道だ。…分かったか?」
「は……はいっ!!」
「食事を摂って、連絡があるまで待機所で身体を休めていろ。それも任務の内だ。」
そう言うと、私は彼らに背を向けて歩き出した。
「…敬礼はいい。」
ユーゲントたちが姿勢を正すのを感じ、背を向けたまま押しとどめると、歩を進める。
なぜだか分からないが、無性に悔しかった。

1995年5月27日 午後9時00分 ベルカ公国 ヴェストファーレン航空基地 隊員宿舎

「今日の講義はここまでだ。明日は、午前8時から訓練を開始する。以上…解散。」
「ヤヴォール!」
ガタガタと椅子から立ち上がり、疲労困憊といった様子のユーゲントたちを横目で見送って、私は大きく息をついた。
教官を務めていたパイロットが、電灯のスイッチを切り始めたのに合わせて講義室を出る。
昼過ぎから開始された教練は、夕食をはさんでたっぷり6時間行われた後、ようやく終わりを告げた。
教える側の我々にも、ようやく自由な時間が訪れる。
自由とは言っても、ベッドに倒れ込むまでに、まだやらなければいけないことがある。
着替えに、入浴、報告書の作成。
それらを全て無視して眠り込んでしまいたい衝動を必死に抑えながら、綿のようになった身体を引きずって、私は自室へたどり着いた。
ベッド脇に置いたままのボストンバッグを開いて着替えを取り出す。
今にも床に崩れ落ちそうな自分を叱咤しつつシャワールームまで歩き、備え付けの長椅子に座り込む。
目まぐるしく1日が過ぎたからだろうか、疲労感はイヤというほど感じるのに、なぜか夢の中のようで現実感に乏しい。
(シャワー……浴びなきゃな…)
意を決した私は、衣服を脱ぎ捨るとシャワールームに入り、シャワーの蛇口を思いっきりひねってお湯を頭から浴び始めた。
「……ふう」
少しばかり熱めのお湯が、肌を刺激する。
「疲れた…な……」
毛穴の一つ一つから何かが抜けていくような感覚に、私は小さくひとりごちた。
ふと意識が遠のき眠りの世界へ行ってしまいそうになるほど、心地良い。
老廃物が全部流れ去って、全てが新しいものに入れ替わる。
そんな錯覚さえ覚えた。
備え付けのシャンプーを取り、頭を洗う。
フローラル系の優しい香りが鼻腔をくすぐる。
(少数機による夜間攻撃、か……)
私は目を閉じたまま、蛇口を捻った。
目を閉じ、下を向いていても、浴室の照明が私の視界を僅かに照らしている。
耳に届くのは、意味のない、ノイズのような流れる水の音だけ。
全てが曖昧になり、世界に自分一人しかいないような、そんな錯覚に陥る。
それは奇妙に安心できる行為だった。
身体のあちこちに溜まっていた悪い血が循環を再開し、浄化されるためにゆっくりと全身を流れていく。
昨日から胸にこびり付いた雑念も、なんとなく血液と一緒に去っていくように思えた。
空気を軽く吐き出すと、滴り落ちる滴に雑念も溶け完全に抜け落ちていく。
「はあっ…。」
胸の中の空気を全て吐ききった私は、勢いよく顔を上げた。
髪をかき上げ、絡みついた液体をそぎ落とすようにして背後に流す。
それでも流れ落ちてこようとするお湯を、両手で擦るようにして振り払い、小さく頭を振る。
四肢に力が戻り、意識がはっきりしてきたように感じた。
私は再び大きく息をつくと、身体を洗うためスポンジに手を伸ばした。

1995年5月27日 午後9時40分 ベルカ公国 ヴェストファーレン航空基地 隊員宿舎

「それにしても、窓がないのは気味悪いな……」
シャワーのおかげでさっぱりした私は、宿舎の廊下を歩きながら呟いた。
地下通路なので窓がないのは当たり前なのだが、無機質に伸びる通路には言い知れぬ重苦しさを感じる。
打設したコンクリートがむき出しのままの内壁、薄暗く灯る蛍光灯、自分の靴が立てるコツコツという乾いた足音。
地上との隔絶に伴う心理的圧迫感―――景色を眺めることや風を心地よく感じれることが、これほど素晴らしいものとは思わなかった。
部屋にしても、備え付けの家具といえばスチールパイプ製の椅子と、ベニヤ板製の天板がついた机、それに小さなロッカーぐらいだろうか。
最小限の設備で経費を削減する実に合理的な部屋と言えばそれまでだが、密閉された空間での生活はどうも落ち着かなかった。
「こんなとこに長く居ると、おかしくなりそうだな。」
そう口にして、私は口許を皮肉っぽく歪ませた。
毎日のように連合軍と交戦し、さらには子供を実戦投入する手助けをしている。
もう十分普通じゃない。
いつの間にか、敵を撃ち落すこと、相手を殺すことに何のためらいもなくなっている自分がいる。
昨年までの自分なら、それを決して普通とは言わないだろう。
(…だいぶ参ってるのかな………こんなことを考えるなんて。)
そう自分自身に語りかけ、乾きかけた髪に手をやったその時、自室の前に誰か居ることに気がついた。
薄暗い灯りに照らされ、僅かに人の輪郭を浮かび上がらせていた黒い影は、近づくにつれ、バルクホルン中尉とガーランド少佐の形となって現れた。
「よぉ、ホルスト。」
ラフなスウェット姿に着替えたガーランド少佐が微笑む。
「なんだ、風呂だったのか。呼んでも出てこないから寝てるのかと思ったぞ。」
「ブリーティングですか?」
私は、2人がいる理由が分からず怪訝そうな表情を浮かべ尋ねた。
「そんなものは糞食らえだ。ビールだよ、ビール。ホルストの記念すべき新基地初夜だ、赴任のお祝いをせにゃならん。」
バルクホルン中尉が肩を叩いて私を促す。
その息からは微かにアルコールの臭いがする。
私がシャワーに行っている間に酒盛りが始まっていたらしい。
「少佐、いいんですか?邀撃命令でも出たら大変ですよ…。」
洗濯物を室内に放り投げた私は、扉を閉めながらガーランドをちらりと見て言った。
「言っただろ、そんなものは糞食らえだ。固いこと言わないで、たまには寝酒代わりに付き合え。」
そういうと、ガーランド少佐は先頭にたって歩き出す。
その後ろをにやりと笑ってバルクホルン中尉が続いた。
睡眠に対する未練が消えたわけではない。
だが、風呂上りの一杯という誘惑は、それを遥かに上回っていた。
私は自室のドアに一瞥をくれ、それから中尉の後を追って歩き出した。

広い部屋に長テーブルとパイプ椅子が並べられた、食堂には、10人ほどのパイロットが談笑していた。
ガーランド少佐やバルクホルン中尉に続いて私が入って行くと、男たちは飲み物を片手に我々を囲み、歓声を上げる。
「誰かビールをくれ。」
ガーランドが怒鳴った。
何人かのパイロットが、弾かれたように飲み物を取りに走って行く。
ほどなく、彼らは腕一杯にガッフェル・ケルシュの瓶を抱えて戻って来た。
それぞれの手にビールが行き渡ると、ささやかな乾杯が交わされる。
乾杯の声と共に瓶を差し上げた私は、一気にビールを流し込んだ。
炭酸が喉を刺激し、ほんのりとリンゴのような風味を持つキレのある液体が食道をすべり落ちていく。
330ml入りのビールは一息で空になった。
すぐに手近な瓶を手に取り栓を開ける。
髭についた泡を拭ったバルクホルン中尉が、身を乗り出して話し始めた。
「なぁ、ホルスト―――」
私が顔を向けると、バルクホルン中尉はビールをぐっと飲み干して続ける。
「酒がまわる前に、お前に聞きたいことがあってな。………お前、何があった?」
「何が……ですか?」
突然の問いかけに思わず私は聞き返した。
ガーランド少佐が短いため息をつきながら言葉を継いだ。
「離陸前からおかしかった。何か思いつめた顔して。それに朝の行動……お前らしくない。」
「あれは………頭に血が上ってしまって…」
歯切れも悪く答えるものの、黙って視線を投げかけてくる少佐たちの目を見ると、心の中を容易に見通されている気分になった。
ポケットからタバコを取り出して咥える。
側に座っていたロベルト准尉がライターを鳴らして火を点けてくれた。
どうしようかとしばらく悩んだが、意を決して私は言葉を切り出した。
「……休暇中に連合軍機の空襲に遭いました…」
口ごもった私の表情を見て、ロベルト准尉が思わず口を挟んだ。
「まさか…ご家族の身になにか…」
「妹が逃げ遅れ……機銃掃射に晒されて…」
一同が、しんと静まり返った。
込み上げてくる悲しみと後悔。
「……目の前で……即死でした。」
押し殺した呻きが、口から洩れ、握りしめた拳の上に水滴がポタポタと落ちる。
昨日から堪えていた気持ちが、堰を切ったように溢れ出し、悲しみの濁流となって一気に流れていく。
「助けることも、敵を退けることも……何もできませんでした…。」
ロベルトが、唇を噛み締めて俯く。
テオドール中尉は目を閉じて、ゆっくりと頭を振った。
しばらく、沈黙が流れる。
打ちっぱなしのコンクリートの壁が、なおさらに静寂をかき立てた。
「……そうか、そんなことが…」
バルクホルン中尉が、しんみりとした口調で言う。
沈黙に耐えられなかったのだろう、テオドール中尉がビールを乱暴にあおった。
肘を付き、まるで祈るように手を組んだガーランド少佐が拳の向こう側で静かに私を見つめる。
そして、短いため息の後、ゆっくりと口を開いた。
「……なぜ、出撃前に話してくれなかった。」
「……………。」
私は口をつぐんだままだったが、かまわずガーランド少佐は言葉を続けた。
「これから先、戦況はさらに困難になっていく。連合軍との戦力差は少なく見積もっても3倍。我々は、1機で3機分の働きをしなくてはならん。だから、パフォーマンスの低下を招く不安材料は、今ここで全て吐き出してしまえ。そんな話も出来ないほど、我々の信頼関係は薄いものじゃないだろう。口にすることで楽になることもある……違うか?」
ふと、顔を上げると、席に着いていた全員の顔が私に向けられていた。
その表情は決して哀れみや同情などではなく、親愛の情が浮かんでいる。
バルクホルン中尉とテオドール中尉が気取った仕草で瓶を掲げた。
ロベルト准尉も照れくさそうに笑う。
それに釣られて、私も少し唇を歪めた。
その硬かった食堂の空気が、ほんの少しだけほぐれたようだった。
「…そうですね。少し、楽になった気がします。」
私は、その心情を素直に口にした。
「よしっ、今夜はとことんやろう!」
バルクホルン中尉が、いきなりテーブルを叩いて言った。
理由はどうあれ、飲めることが嬉しくてしょうがないらしい。
それを横目にガーランド少佐は組んでいた手を解くと、軽く鼻をならす。
そして言ったのは、あっさりとした一言。
「明日は、新米どもを迎えにいく。午前7時の離陸に差し障りのない程度に…大いにやれ。」

その夜、私は夜の更けるまで痛飲し、したたかに酔った。
もうビールの味は分からない。
分かるのは、温くなった液体が喉を通過していくことだけだった。
食堂にいる誰もが同じような状態だった。
浴びるように飲み、近くにいる者に肩を叩いて語りかけ、挙句は肩を組んで大声で歌い始める。
喚き声は次第に大きくなり、ついには憲兵が駆けつけて来る騒ぎになったが、私たちは一向に気にかけなかった。
これから共に、明日なき戦いを戦わねばならない私たちにとって、今この時だけが確かなひとときだった。
私たちは、苦りきった顔の憲兵を追い出し、苦笑してそれを眺めていたブルクハルト中佐やクラウス少佐まで引き込んで、ひたすら飲み、ひたすら笑った。
深夜に至り、酒とつまみが尽きると、多くのパイロットたちはその場に転がって、高いびきをかき始めた。
私は、ロベルトやバルクホルン中尉を始め、34飛行隊の面々で彼らを抱き起こし、兵舎に引き上げさせると、再びテーブルを囲んだ。
「みんな、いい奴ばかりだ。」
バルクホルン中尉が、とろんとした目で言った。
倉庫から強奪してきたワインを注ぎ、6人はグラスを打ち鳴らした。
「えーと、何の乾杯でしたっけ?」
「おいおい、ロベルト。」
テオドール中尉が笑って言う。
「俺たち全員の武運長久を祈って乾杯するべきじゃないのか?」
「あ、そりゃそうだ。それじゃ、もう一度。乾杯!」
「乾杯!」
6つのグラスがカチンと音を立てた。
一気に飲み干したロベルトが、太いため息を吐いて頬杖をつくと言った。
人のことは言えないが、だいぶ目が据わっている。
「隊長……これから、自分たちはどれくらいの頻度で出撃するんですか?」
「そうだな深夜か黎明、天候しだいだがほぼ毎日になると思う。ま、戦力を維持できればの話だが。」
ガーランド少佐も半分瞼が閉じた顔でポツリと答えた。
その口ぶりは自嘲にも似た響きを微かに含んでいる。
「数は……?」
デオドール中尉が、真っ赤なった顔をゴシゴシとこすりながら問いかける。
「4機から6機くらいだろうな……。ゲリラ戦なんてそんなもんだ。」
「6機で、どこまでやれますかね?」
バルクホルン中尉が手酌で酒を注ぎ、またぐいっと飲み干す。
「酒が入ってから言うのは真剣さに欠けるが……部隊として、最初の出撃は明日の夜。ご苦労だが、ハルツ航空基地からユーゲントたちを連れ帰ってからになるそうだ。」
「…………。」
周囲が押し黙った。
その顔に暗いものを漂わせて、少佐は話を続ける。
「目標は……マインツ市にあるブルヒヴェーク・シュタディオン競技場とヒルトンホテル。」
「競技場にホテル!? それじゃあ、都市爆撃じゃないですか!?」
ロベルトが、眼を剥いた。
「連合軍の侵攻開始直後に、マインツ市が非武装宣言をして街を無血開城したのはニュースで知ってるだろう?おかげで人的被害も街の損傷も免れたが、マインツ市は交通の要所だ。あっという間に、連合軍が補給拠点にしちまいやがった。物資集積所として使われている競技場と、補給部隊司令部があるとされるヒルトンホテルを叩くそうだ。利敵行為に対する良い見せしめになると総司令部の連中は言っていたそうだ。」
苦々しさと苛立ちをたっぷりにブレンドして、少佐は吐き捨てた。
「出撃するのは我々だけですか?」
バルクホルン中尉はグラスを弄びながら訊ねた。
「出るのは、うちとベオ隊の合計6機。全てストライクイーグルで編成する。」
「のっけから大盤振る舞いですね。」
テオドール中尉が鼻を鳴らす。
「爆撃は精密誘導弾で?」
私は身を乗り出して訊ねた。
思い出したくはなかったが、昨日の空襲が生々しく頭をよぎる。
任務とはいえ、住民を巻き込むことだけはごめんだった。
「そうだと思うがな。……明朝にでも確認しておこう。」
そう言って、中佐は髪をかき上げた。
「とにかくだ……連合軍の狙いは、短期決戦だ。戦いが長引けば連中の足元でも厭戦気分が広がる。それを恐れて、奴らは過剰とも言える戦力で我武者羅にこちらに進軍してきているのが現状だ。そんな相手に正面切って戦いを挑んでも、物量で押し切られるのが目に見えている。だが、連中にもアキレス腱はある。それは弾薬や兵糧補給を担当するトラックや鉄道部隊だ。無抵抗な部隊を一歩的に叩く…決して褒められることじゃない。」
少佐は、こみ上げる感情を胸の内に溜め込むかのように、しばらく黙って後に再び口を開いた。
「後世の歴史家からは他に取るべき道もあったと言われるやもしれん。だが、我々は軍人だ。命令を守り、現実を分析して最善の作戦を立て、それを着実に実行する。分かりきった事だがこの繰り返ししかない。それが、人間の醜い面をさらけ出し、汚名を着ることになったとしてもだ。」
ガーランド少佐の言葉は、我々の心にずしりとのしかかった。
量の減ったグラスを両手で包み込むようにしながら、私はその中身に視線を落とした。
黒い影となった私が液体に映り込み、ゆらゆらと揺れている。
やがて今の会話を忘れようかとする様に二度三度と頭を振った。
自分たちの行いは、敵にも味方にも忌み嫌われることだろう。
だが―――もはや、それ以外にこの部隊が有効な策を持たないのも事実でもあった。
衆寡敵せず、ベルカは急速に追い込まれている。
既に連合軍を追い返すなど遠い夢物語になってしまったことを、上層部は未だに理解していないのだろうか。
私は唇を噛み締め、もう一度小さく首を振った。
紺碧の空記事全文CM:2

紺碧の空?流血へのシナリオ(後編)?

2009/11/04 12:17

1995年5月27日 午前9時12分 南ベルカ アイフェル防衛陣地近郊

高度を下げ、地面を舐めるような低空で侵攻を開始して、すでに数分が経過しようとしていた。
『少尉、右上方に航空機……』
我々の上方を飛び抜けようとする航空機を最初に捉えたのは、後席のロベルト・キルステン准尉だった。
『ロベルト、どこだ?』
『2時方向…高度差は10,000フィートくらい。反航してきます。』
彼が示す方向にジッと目を凝らすこと数秒……、ほんの一瞬キラリと光ったものを私は見逃さなかった。
それは肉眼で見るにはあまりにも微かで、瞬きをすれば、すぐに見失ってしまいそうな黒点として空間に浮かんでいる。
一瞬光ったモノ、それが太陽の光を反射したキャノピーであることを、私は経験から知っていた。
『プリースト3より1。2時上方、敵味方識別不明機。』
ただでさえ緊張の続く低空飛行中だ。
ついてくるのが精一杯のユーゲントたちが動揺しないよう、短く丁寧な言葉で話すよう心がける。
『ホルスト、どこだ? 見えないぞ。』
私は相手に聞こえない程度に舌打ちした。
煌きは、すでに機影となって私の瞳に飛び込んでいる。
速度をさらに上げながら向かってくる機体は、もう我々の真上に入ろうとしていた。
鋭く尖った機首に太いボディ。
直線的な形で作られた大きな主翼と、機体後部に設けられた2基の排気口。
日頃から、識別表や講習でベルカ軍が保有する機体は頭に叩き込んである。
頭上を通過していく機体がF-4<ファントム?>であることは間違いがない。
だが、その機体はベルカ軍で使われているファントムとはどことなく違うような印象を受ける。
使い古した衣類ではなく、パリッと糊の利いたシャツのような…外見は見慣れた姿でも、中身はまるで違うぞというような感じがしたのだ。
もしかしたら、それは機体ではなく乗り手が与える気迫なのかもしれない。
『G型……いや、偵察型?』
首を捻り、食い入るように不明機を見上げているロベルトの独り言が耳を打つ。
『どちらにしても、こんなところを単機でウロウロするなんておかしい。IFFも味方とは示してないし、確認した方が良さそうだな。』
意を決した私は、主翼をバンクさせると機体を反転させる。
『ホルスト、編隊から離れるな!』
部隊を離れて追尾しようとした私の耳に、険しさを含んだ声が入ってきた。
『隊長、すれ違ったファントムを追尾すべきです。』
『我々の任務は陸軍の支援だ。それを放り出して戦闘行動は取れん。』
私の進言を、ガーランド少佐は強い口調で遮った。
『だったら、自分だけでも!』
『お前は、列機を置いて行くつもりか!?そんな勝手な行動は許さんぞ!』
言い募る私を少佐は一喝した後、幾分口調を和らげて言葉を継いだ。
『…まもなく目標のエリアに入る。あの機体は後方の防空部隊に任せれば良い。分かったな?』
『……了解。』
ユーゲントを連れていることで戦闘行動を取れないことに、ほとほと嫌気を覚えながら私は愛機を元の位置につけ直す。
「あと5分か。」
この時期にしては珍しい雲ひとつない蒼穹を背景に、20機の戦闘機が歪な編隊を組んで突き進んでいた。
その編隊の中央、純白のF?15E<ストライクイーグル>の操縦席で、私は酸素マスクの内側で唇を噛み締める。
まもなく支援要請があったアイフェル上空に到達する。
だが、いざ戦闘入った時、我々の分が悪いことは誰の目にも明らかだった。
敵の規模や種類など、支援爆撃を行う上で必要な情報が殆ど入手できていないのだ。
手探り状態では、効果的な攻撃も行えないし、仮に敵に対空戦力が存在した場合致命的な損害を蒙る恐れがある。
おまけに数こそ20機いるといえ、そのうちの6機は未熟練で実戦行動など期待する方がどうかしている。
―――私は溜めていた息をそっと吐き、肩の力を抜いた。
(固くなるな…平常心だ。)
ヘッド・アップ・ディスプレイに表示される速度の数値はゆっくりと上昇している。
状況を考えれば、すぐにでも加速し、高速で突入したいところだが、低空飛行に慣れないユーゲントの実力と、彼らの乗るグリペンの残存燃料を考えると過度な消費はできなかった。
『少尉、楽にいきましょう。』
後部座席に座るロベルトが明るい声をかけてくる。
『ユーゲントのマイナス分はハイマートの連中がカバーしてくれるでしょう。さっきの不明機にしたって、数は1機。もし何かあればもう邀撃機が上がってるはずですし、そんな深刻なことにはなりませんよ。』
『それもそうだな。』
わざと明るく振舞ってくれるロベルトの心遣いに感謝しながら、私も少し明るい口ぶりで返事をした。
予定ではそろそろ陣地が見えてくる頃だ。
私は身体を固定しているハーネス越しに右胸を撫でた。
そこには、お守り代わりにしている家族とニーナの写真、そして彼女の認識票が入っている。
(ニーナ…)
私は、遠い故郷に想いをはせながら、目の前の計器類をザッと見回す。
すべて問題はなかった。
ちらりと兵装パネルにも目をやる。
安全装置は随分前に解除し、爆撃モードにセットしてある。
この日、私は爆装だったため、対空用の装備は自衛用の赤外線追尾式ミサイルAIM-9L<サイドワインダー>4発と20?バルカン砲に400発の実弾を搭載しているだけだった。
その代わり、翼下にはクラスター爆弾とAGM-65マーベリックミサイルを、それこそ離陸できる限界までえ吊るしている。
私は、左肩越しに後方を確認した。
列機であるグリペンが1機、辛くも位置を保って飛んでいる。
丘陵地帯を抜け、水平飛行に入ったところで、操縦桿を左手に持ち替え、右手をキャノピーにつくと強引に身体を捻って右後方を見た。
もう1機もギクシャクとした飛びかたながら何とかついてきている。
それを確認して、再び操縦桿を持ち替えながら前を見た。
『心配ですね。』
ロベルトが少しため息を含んだ口調で訊いてくる。
『今のところは大人しくついてきてくれてるが…。可哀想だが、戦闘になったらかまってやる余裕はないな。』
私は諦め口調で答えた。
しばらく重苦しい沈黙がコクピットの中を満たしていたが、やがていつもの調子に戻ったロベルトが口を開いた。
『間もなく、目標上空に入ります。もっとも、この高度じゃあ敵が対空レーダーを装備した部隊だった場合、こちらはとっくの昔に捕捉されてますけど。』
『違いない。…やっぱりユーゲントに低空飛行の訓練はするよう進言しなきゃな。』
私は僅かに頷きながら低い声で答えた。
空は澄み渡り、太陽は地上に暖かな日差しを降り注いでいる。
見つけるために、陣地が存在するはずの方向に目を凝らす。
(………!!)
森林地帯の間に、まるでアクセントとつけたような焼け焦げた大地が広がる。
そこに見えたのは、もうもうと立ち上る多数の煙と、時折稲妻のように光る発射炎―――
それが何を意味しているのか、誰にでも分かる。
『目標を視認…』
インターコムでロベルトに告げた後、私は舌打ちをした。
『少尉、どうしました?』
ロベルトが怪訝そうな声で尋ねてくる。
『戦闘が始まってる。』
『戦闘中!?』
ロベルトの声が高くなった。
背後で前を覗き込もうとしているが分かる。
『陣地周辺が黒煙と砂煙で殆ど視認できない。最悪だな、こりゃ。』
私は緊張感を悟られないように、わざとゆっくりとした口調で話した。
『少尉、呆れてる場合ですか。味方は?』
ロベルトが幾分緊張した声で言葉を返す。
おそらく酸素マスクの下では思い切り顔をしかめていることだろう。
『煙の位置からして、だいぶ押し込まれてる。』
今、上空から見て取れる情報だけでは、戦況をはっきり認識することは困難だった。

編隊が、徐々に高度を上げ始める。
着弾の衝撃から機体を守るため安全な高度を取り始めたのだ。
もちろん、ユーゲントたちの墜落を防ぐためでもある。
直進飛行をしているため、ぐんぐん距離が詰まっていく。
それにつれて、戦況が少しずつはっきりとしてきた。
凄まじい数の爆発炎が断続的に閃いている。
幾重にも張り巡らされた塹壕とトーチカ―――
だが、その多くがすでに敵の手によって沈黙させられたらしく、味方の発射炎は数えるほどだ。
おそらく、敵の機甲師団に突破されたのだろう。
もうぐずぐずしてはいられなかった。
自然と武器の選択スイッチに手が延びる。
『プリースト3より1、目標は既に交戦中。…どうしますか?』
『…だいぶ苦戦してるな。』
彼の目にも陣地の状態は分かったはずだ。
打つ手を考えているためか、それっきり少佐は押し黙る。

沈黙を破ったのは、レシーバーに響いたコーリブリからの焦りを滲ませた声だった。
『コーリブリより、作戦行動中の各機へ。アイフェル守備隊より入電。周波数を78.10へ。』
『了解。』
ガーランド少佐の返事と同時に、私も無線を指定された周波数へと調節する。
一瞬の空電音の後、様々な経験に裏打ちされたような力強い声が耳をうった。
『友軍機なんて久しぶりに見たな!こちら第13歩兵師団司令部のゲルトルート少佐だ。悪いがご覧のとおりの状況だ。さっそく空から掃除を頼みたい!!』
砲弾の炸裂音と発砲音、そして友軍のものと思われる叫び声をBGMにした男の声が響く。
『待たせてすまない、第4航空師団第34戦闘飛行隊のガーランドだ。敵の足を止める。ヘルメットの顎紐しっかり締めて、しばらく頭を下げていてくれ。』
地上を安心させるためだろう。
冗談を交え、砕けた口調でガーランド少佐は言葉を返していた。
『プリースト1より編隊各機へ。敵の掃討を開始する。俺とバルクホルンで敵の足を止める。ラーベ隊は、敵の退路を断つ形で爆撃を頼みたい。ホルストは、指示があるまでユーゲントを連れて上空待機。いいな?』
『ヤヴォール。』
私はそう言いながら肩をすくめた。
こちらはこの空域の制空権を握っており、敵を完全に圧倒している状況だ。
今、全機で襲いかかり、装備する全ての火器を打ち込めば、それこそ一瞬で駆逐するが可能だろう。
それにもかかわらず、ユーゲントたちの安全を第一に確保しようとするガーランド少佐の考えが私にはもどかしかった。
ユーゲントたちに指示を出すガーランド少佐の声を聞きながら、私はさらに目を凝らす。
黒い箱のようなモノが動き回っているのが見えてきた。
おそらく敵の戦車とみて間違いないだろう。
『敵勢力、多数を確認。見えないだけで歩兵もいるだろう。ザッとみて、こちらの3倍以上だな。人もモノも余っていて羨ましい限りだ。』
ラーベ隊の誰か呆れたような呟きが、目の前の状況を端的に表す。
心の中でそれに同意しながら、ふと眼下に目をやった時、オレンジ色の塊がこちらに向けて伸びてきた。
1本、2本、3本―――
それは数を次々と増やし、飛来してくる。
『注意!2時下方に対空砲!!』
オレンジ色の光、そう高射機関砲の曳光弾に気がついたロベルトが叫ぶ。
その瞬間、やはりボロが出た。
今まで編隊を組んで飛んでいたユーゲントの機がいきなり四方八方に散らばり、そうそう当たる筈も無い敵弾から逃れるかのように勝手に回避機動を取り始めたのだ。
それに釣られて、ラーベ隊も同じように回避行動に入る。
『落ち着け!編隊を維持しろ!』
唖然とする私たちを尻目に急旋回、急上昇、降下を繰り返すユーゲント機向けて、ガーランド少佐がイラついた声で怒鳴った。
そうしている間にも、編隊は見る間に陣地に近づいていく。
一度、接敵をやり直すことも考える程の距離だ…だが、支援が遅れればそれだけ味方にも被害が及ぶ。
『だからっ!!』
そう叫ぶと、私は爆撃の姿勢を取った。
スロットルレバーを壁に叩きつけるように前進させる。
F100-PW-229 ターボファンエンジンが唸りを上げて機体を加速させていく。
『ホルストッ……編隊から離れるな!』
ガーランド少佐の声が耳に届くが、あえて無視をした。
加速した機体は、急速に陣地に接近。
戦車やその周囲を動き回る歩兵の姿が大きくなってくる。
一気に距離を詰め、敵のディティールが判別できる距離にまで近付くと、躊躇うことなく投下ボタンを押した。
『投下…』

無事に切り離したことを告げる軽い手ごたえが身体に伝わってくる。
機体から離れたクラスター爆弾は、一呼吸後、小爆発とともに無数の子爆弾を空中にばら撒いた。
今回、愛機にぶら下げてきたクラスター爆弾は、対人・対装甲車両用のCBU-87Bというものだった。
子爆弾1つ1つは小型の爆弾であり、鉄筋コンクリートビルやトーチカのような強固な建造物に対する破壊力は低い。
つまり、随伴している歩兵や装甲車はともかく、攻撃の核となっている敵戦車への打撃力は期待できなかった。
だが、これはあくまでも牽制球。
敵の進行方向に投下することで、相手を怯ませるつもりだった。
敵にとってこの襲撃のタイミングは、予想と違ったらしい。
いや、そもそもベルカ空軍が出てくるはずはないとでも思っていたのだろう。
高速で上空を通過する瞬間、遮蔽物に隠れようとする兵士達の姿がちらりと見えた。
だが、次の瞬間には無数の子爆弾が彼らに死の雨となって降り注ぐ。
地面が波を打ち、永遠に続くかのような地鳴りを起こした。
同時に、まるで砂嵐でも起こったように土煙の壁が出来上がる。
機首を上げ、高度を取りながら、私は首を振って周囲を確認した。
黒々とした葉を茂らす木立の間を何台もの車輌が移動するのが目に映る。
一見する限り、装備は最新鋭のオーシア製。
この部隊が先遣部隊だとしたら、考えられる組織はただ1つ―――
「マリーン・コー(海兵隊)か…」
オーシア軍の中でも精鋭部隊とされ、各地の紛争地帯に投入されているオーシア軍の殴りこみ部隊。
その勇敢さと展開力たるや、最強を自負するベルカ陸軍を上回るそうだ。
だからと言って、他国との連携もなしに戦端を開くとはかなりの力の入れようだ。
戦後を見据え、利権配分への発言権を一層強固なものにしようとする意図がありありと分かる。
だが、その代償は大きいことを彼らにも教えてやらねばならない。
武器を対地攻撃用ミサイルAGM‐65F<マベリック>に切り替えて、眼下を見下ろす。
気分はまるで獲物を狙う猛禽のようだ。
視界の隅に、再度突撃を敢行しようとする戦車が入った。
さすが海兵とも言うべきなのだろうか、その勇気ある行動に私は少なからず賞賛を禁じえなかった。
だが、未だ立ち直っていない味方にさらなる被害を与え、混乱に拍車をかけることはできない。
私は強引な旋回を行うと、目標に機首を向ける。
じりじりとした数秒間が過ぎ、やがて、翼下のマベリックの弾頭が敵を感知した音が耳に響いた。
『ロックオン!』
ロベルトが短く叫ぶ。
『………。』
私は黙ったまま発射ボタンを押し込んだ。
右の翼下から切り離されたミサイルが白煙を曳きながら一直線に飛び出していく。
さらにもう一度ボタンを押し、念押しの2発目を放つ。
敵の戦車は狙われたことも気がついてないのだろう。
わき目も振らず防御陣地に向けて突進を続けている。
白く伸びるミサイルの航跡が違うことなく目標に迫っていく。
『当たれっ』
ロベルトの祈りにも似た呟きが耳に入った。
数秒後、命中を知らせる真っ赤な炎が彼方で相次いで花開いた。
『スプラッシュ……』
(まだくるか…?)
いつまでも撃破の余韻に浸る暇はない。
操縦桿を右に倒し、思い切り引き付ける。
主翼を垂直に立て、右旋回しながら戦車兵が必死になって振り向けようとする対空機関砲を避ける。
砲塔上に身をさらし、機関砲を操作する勇気は認めるが、スタンドオフ能力に優れた戦闘爆撃機が相手では、兵士たちの気休め程度の役割にしかならないだろう。
やや高度を取り自機の安全を確保すると、私は周囲に視線を廻らせた。
バルクホルン機が、私のはるか前方で森に逃げ込もうとする敵をたて続けに撃破している。
十分なエアカバーを得られない陸上部隊では、ストライクイーグルの爪から逃れるは不可能な話だった。
私の視界に入って数秒後、再び主翼の下から飛び出した白煙が、地上に吸い込まれ大きな火柱を上げさせた。
突然の襲撃によって指揮系統が混乱したためか、敵地上部隊の多くは体制を立て直すべく、一時的に部隊を後退させ始めていた。
もう一押し、あと一押しで後退から敗走に持ち込むことができる。
再び敵部隊へ攻撃をかけるべく、後席のロベルトに話しかけようとした私は、そこで無線から流れ続ける複数のわめき声に気がついて、開きかけた口を閉じた。
(ユーゲントたちか?)
ザッと周囲を見回すと、あっちこっちでそれらしい機体が飛んでいるのが見えた。
敵の姿が見えないのか……明後日の方向でぐるぐると旋回を繰り返している機。
ドロップタンクを切り離さないまま飛んでいる機。
当たるはずもない距離の敵に対して、闇雲に機関砲を発射している機。
なし崩しの初陣となったわけだが、ユーゲントたちは突発的に起こった事態に完全に混乱していた。
初めから期待などしてはいなかったが、援護どころかこちらの動きについてくるなど論外だった。
レシーバーに飛び込んでくる血相を欠いた声から、その混乱振りは手に取るように分かる。
『敵は! 敵は何処にいる?』
動転するあまり、敵が見えないのだ。
『ロケット弾が発射できません! 撃てないっ!』
動転するあまり、安全装置の解除を忘れているのだろう。
『敵の対空砲がこちらを狙ってきてます!避けれないっ!!』
そんな対空砲など、何処にもない。
「落ち着けっ!もっと視野を広くしろ!」
私は、焦燥感を隠せなかった。
再び前方へ向き直った先に、こちらに砲塔を向けたM163対空自走砲が視界に入ってくる。
機甲部隊お抱えの対空戦車だろう。
とっさにバレルロールをうったのと、敵の機関砲が鈍い煌きを放ち、曳光弾が機体を掠めていったのはほぼ同時だった。
『次も当たらないという保証はありませんからね。』
ロベルトが今にも泣きだしそうな声で言った。
『そう言うなよ。』
私は、動揺を隠すため努めてのんびりした声で返事をした。
それ以上お互いに手を出さないまま、至近距離を高速ですれ違う。
ここでようやく味方陣地からの反撃が始まった。
反撃の口火を切ったのは、陣地正面に据え付けられた1基の対戦車砲。
敵の前衛から200mほどの位置だろうか。
その対戦車砲から真っ赤な発射炎が煌く。
それがきっかけになったのだろうか、生き残っていた火器群が猛然と火を噴いた。
幾重にも掘られた塹壕の中から1発のミサイルが飛ぶ。
生き残った8基の対戦車砲が独自の判断で連続的な発砲を続ける
高射機関砲が、それで戦車の破壊はできないと知りつつ、いくらかの効果を狙って40mm機関砲を撃つ。
実際のところ、味方の対戦車砲PaK95の55口径120?滑空砲をもってしても、エイブラムスの強靭な正面装甲を打ち抜ける可能性は低い。
逆に対戦車砲の装甲板など、戦車砲の前は紙にも等しい。
実際、敵が損害を気にすることなく、圧倒的な物量で攻勢に転じていれば勝負は一方的についていたのかもしれない。
だが、敵にはそれができなかった。
上空を飛び回る我々に狙い撃ちされることを必要以上に恐れたのだ。

戦線の崩壊が始まった。
まず、敵の歩兵隊の前に煙幕の壁ができはじめた。
続いて生き残った各戦車が全周囲に煙幕弾を展開し、装甲車もそれに続く。
見通しの悪い森林地帯では、それで十分だった。
完全に煙で覆い隠された敵機甲師団は、間違いなく撤退を始めているだろう。
私は上空で緩やかな旋回を続けながら、味方の陣地に視線を下ろす。
対戦車砲は、今もなお真っ白な煙の中に向けて発砲を繰り返していた。

同時刻 アイフェル防衛陣地 第1対戦車砲壕

甲高い排気音と、聞きなれない連続した炸裂音にエーベル大尉は目を覚ました。
見上げれば、ハッセが自分を抱きかかえたまま呆然と空を見上げていた。
どれくらい気を失っていたのだろうか、いつの間にか上空には戦闘機が舞っている。
その翼には、見かけなくなった友軍を示す記章―――
周辺の空軍がなけなしの航空機を出してくれたのだろう。
「……何してる、ハッセ二等兵。」
「大尉殿……!!」
エーベル大尉は血塗れの顔でニヤリと笑うと、ハッセの肩をポンと叩いた。
「お前の仕事は、砲手だ。それが、何もせずにどうした?」
エーベル大尉は指揮を続けようと、身体を動かそうとするが、背中から頭にかけての裂傷の痛みにうめき声をあげる。
そんな大尉の姿をみて、ハッセの心は決まった。
ハッセは黙って頷くと、大尉を通信兵が立っていた場所に横たえて素早く砲手席に戻る。
「大尉殿は?」
隣の壕から、クリストファー少尉が尋ねてくる。
通信兵が有線通信を切断したため、周囲の騒音に負けじと大声を張り上げるものの、微かにしか聞き取れない。
「大尉殿は大丈夫です!」
ハッセは照準器を覗き込んだ。
敵戦車群は、砲座から300mほどの地点でクモの子を散らすように散開を始めていた。
同じ色をした数機の戦闘機が、逃げ惑う敵戦車を駆り立てている。
敵戦車はすでにこちらを相手にするどころではない状況に陥っていた。
「少尉殿!誰かこちらに寄こして頂けませんか!砲弾の装填をお願いします!」
「何を言ってるんだ! 空軍の支援中にエーベル大尉を担いで退がるのが先決だ!」
「今なら、敵を奇襲できます。1人で結構です!急いでください!」
クリストファー少尉からの返事はそれっきり途絶えた。
ハッセが砲の点検をしていると、少尉が坑道を通って砲座に入ってくる。
手には、どこからか調達してきた大型救急箱を持っていた。
「大尉殿!」
クリストファー少尉は、救急箱から脱脂綿と包帯を取り出すと、応急手当を始めようとする。
「クリス、俺のことはいい。ハッセを手伝ってやれ。」
「しかし、大尉……」
「いいから、やれ!」
大尉の大声にクリストファー少尉は驚き、慌てて砲弾を抱える。
防弾板が欠けた程度で砲自体に不具合はない。
ハッセは再びパッドに顔を押しつけると、装填手の位置についたクリストファー少尉に怒鳴った。
「少尉殿、撃ったらすぐに装填してください!連続射撃を実施します!!」
「わ、わかった」
ハッセは砲を気づかれないように、少しずつゆっくり回した。
味方の爆撃を避けるため、敵の戦車や歩兵は物陰に身を隠そうとしている。
照準器の真ん中に、樹の陰に隠れるM1エイブラムス戦車の無防備な姿が納まった。
ハッセは引き金を引き絞る。
発射音と同時に命中音が響く。
命中したAPFSDSは、比較的薄い後部を貫通し砲塔内の弾薬庫を誘爆させる。
自動消火システムで守られた乗員がハッチから転がり出ていくのが見えた。
「次弾装填!」
言うが早いか、安全装置が解除されたことを示すランプが点灯する。
彼は砲を旋回させると、歩兵を乗せ林に逃げ込もうとするAAV7A1水陸両用強襲車に照準をつけた。
徹甲弾が撃ちだされる。
AAV7A1は射弾をかわそうとして、先に破壊されたM1にぶつかって停車する。
そこに徹甲弾が命中、AAV7A1は炎を吹き上げ動かなくなった。
敵に混乱が起こりはじめる。
航空攻撃をかわそうと茂みに隠れれば、どこからともなく狙い撃たれ、その砲撃を避けようと動けば航空機に見つかるのだ。
ハッセは照準の微調整も構わず次々と砲撃を続けた。
時々榴弾が炸裂し、辺りに土混じりの破片をばらまく。
撃っていなくては、恐くてどうしようもなかった。
装填を担当しているクリストファー少尉もそうであった。
彼の場合、外を見る暇がない分恐怖感が大きいのだ。
徹甲弾も榴弾も発煙弾も構わず、触った砲弾を次から次へと装填する。
前方が、発煙弾が作り出す白い煙で覆われ始めた。
彼は、その中に目掛け闇雲に砲弾を放った。
時々、命中したような手ごたえもあったが、どれだけの損害を与えたかはわからない。
不意に煙幕が濃さを増した。
敵の陸上部隊が煙幕を展開したのだ。
ハッセは射撃をやめて、敵の出方を伺う。
上空の航空機も深追いを止め、高度を取ってゆっくりと旋回を繰り返している。
しばらくの間、敵の戦車と思われるエンジン音と、敵の兵士が発する聞き取れない言葉が響いていたが、それも段々静かになっていった。
煙幕が晴れた時、そこには撃破された車輌の残骸と、くすぶり続ける樹々があるだけだった。
40%以上の損害を出しながらも、防衛陣地は今回も敵の攻勢を凌ぎきったのだ。
彼らの戦力差を考えた時、それは奇跡とも思える結果であった。
ハッセは深いため息をつくと、額の汗をぬぐった。
喉は渇き、吸い込んだ砂で口の中がジャリジャリとする。
クリストファー少尉も上着を脱いで、水筒の水を頭から被った。
「……よくやったぞ、二人とも。」
エーベル大尉の言葉に、ハッセとクリストファー少尉は顔を見合わせて照れ笑いをした。
その上空を、空軍の戦闘機たちが翼を振りながら通過していく。
戦争全体では局地的な勝利だったのかもしれない。
だが、彼らの支援がなければ今日のささやかな勝利はなかったはずだ。
―――ありがとう。
次々と通過していく空軍機に向けてハッセとクリストファー少尉は大きく手を振った。

1995年5月27日 午前9時58分 南ベルカ アイフェル防衛陣地上空6,000フィート

どれくらい時間が経っただろうか―――
旋回を止め、機を水平に戻したとき、すでに地上の煙幕は薄れ始めていた。
思ってもみない航空機の出現に敵の方でも慌てたのだろうが、これが事前の打ち合わせなら見事なものだ。
通り魔のような引き際のよさは、部隊の損害を最小限にとどめるための条件でもある。
すでに周囲は友軍だけになっていた。
多くの兵士たちがこちらを見上げているのが分かる。
『全機集合。繰り返す、全機集合。』
友軍機に呼びかけるガーランド少佐の声は心なしか上ずっている。
よたよたと集合を始める列機を見やりながら、私も少佐の機に愛機を接近させた。
『コーリブリ、コーリブリ。こちらプリースト1。応答願います。』
地上の管制官は、呼びかけを始めて4度目にようやく返事を返してきた。
『プリースト1。こちらコーリブリ。無事ですか?状況を報告してください。』
こういう遣り取りの間にも、息の荒さが伺えた。
集合したのは、わずかに6機。
ハイマート基地の部隊は早々と全機揃っての引き上げ始めたが、我々の方はユーゲントたちの乗るグリペンが3機足りない。
敵にやられたのか、それとも途中で離脱したのか―――現時点では全く分からなかった。
侵攻してきた敵陸上部隊は撃退できた。
だが、防御陣地は所々炎を上げ、二度と使用できないほど破壊された箇所も少なくない。
せめてもの救いは、多くの陸軍兵士が無事でこちらに大きく手を振ってくれていることだろう。
ノックダウンとはいかないまでも、判定で我々の勝ちと言って良かった。
ヘルメットのバイザーを上げ、酸素マスクを外した時、奇妙な視線に気付いて私はその方向へ首を廻らせる。
いつの間にか、隣に接近していたストライクイーグルのコックピットから、ガーランド少佐がこちらを見つめていた。
その険しい視線に、私はコックピットの中で無言のまま視線を伏せるしかなかった。
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紺碧の空?流血へのシナリオ(中編)?

2009/11/04 12:15

1995年5月27日 午前8時00分 南ベルカ 南ゴートイェーク州 アーフェル防衛陣地

「……いいか、まずは落ち着くことだ。」
エーベル大尉は、自分の傍らに立ち尽くす兵士に向かってそう言った。
「は、ハイッ!」
兵士は上ずった声で返事をすると、何度も大きく深呼吸をする。
それでも肩がガクガクと震えていた。
それを見たエーベルは、兵士に気がつかれないよう、そっと小さくため息をついた。
これで自分が、神の御下に行くのが早くなるであろうと思うと、何だかやりきれない気持ちで一杯になったのだ。
「クリストファー、こいつは悪い冗談か?俺たちは戦争“ごっご”をしてるんじゃないんだぞ。」
積み上げられた土嚢に身を預けると、後ろを振り返りもしないで声をかけた。
「……まったくです。」
彼の背後でクリストファーと呼ばれた若い少尉が、双眼鏡を覗き込んだまま、遠慮がちに言葉を継いだ。
「先月、我々はフトゥーロにいたんです。それが、あっという間に本国に追い返され、そして今は……このざまです」
彼が指で指し示した先には、直立不動の姿勢で立つ兵士たちの姿があった。
その腕には大袈裟な金文字がプリントされた赤い腕章が着けられ、居並ぶ兵士たちの顔はどれもみな幼い。
そして、例外なくどの顔にも、恐怖と緊張の表情が張りついていた。
「負けに負けて、子供まで戦線投入……か」
ベルカ軍は現在までの何度となく、撤退を経験してきている。
フトゥーロ運河に始まり、ディレクタス…グスタフライン―――エーベル自身もそんな戦闘を何度も経験してきた。
その時は、戦線を可能な限り維持したまま秩序だって後退し、軍隊としての形は保たれていた。
だが、目の前の光景は違っていた。
陣地内を移動する歩兵に秩序は見られず、銃すら持っていない者もいた。
ドロドロに汚れた戦闘服に身を包み、暗く沈んだ表情のまま、黙々と動いている。
所属も兵種も階級もバラバラな兵士たちが目の前を通り過ぎていくその光景に、エーベルは眉を曇らせてあごをなでた。
「偉いさんはバルトライヒで決戦だと息巻いてたけどな…。」
連合軍の攻勢阻止に失敗したベルカ陸軍は、戦線各部を文字通り食い破られ、5月17日から26日の9日間で大打撃を蒙った。
西部戦線だけで約10,000.名の将兵が戦死及び行方不明になり、その大半は開戦時より陸軍の屋台骨を支えてきた歴戦の将兵だった。
ベルカ軍総司令部は、崩壊寸前の兵力を立て直すべく、数少ない予備兵力であった第5装甲師団と第12装甲師団“ベルカン・ユーゲント”を戦線に投入した。
勢いづいた連合軍…いや、オーシア陸軍は、次々に兵力を戦線に投入。
ベルカ軍が損害から立ち直る隙を与えずに、ノルトベルカの玄関口、バルトライヒ山脈まで一気に圧し上がろうと、昼夜を問わない攻撃を続けていた。
だが、第5装甲師団と第12装甲師団、比較的損害の少なかった第204対戦車猟兵団が、急派された第21機甲師団の到着まで遅延陣地を確保することに成功し、戦線は南ベルカ中央部で一時的に安定する。
損害を受けた各師団は後退し、残存する全車輌と各種兵器をベルカ陸軍第26軍団及び第21機甲師団に引き渡して、方面司令部があるスーデントールに後退。
第22国民擲弾兵師団からの将兵を受け入れて、長期再編成作業に入った。
同様に第10重砲兵師団もスーデンドール南部の丘ゼーロウで、再編成及び防御陣地の構築を行っている。
情報部は、ここ数日の連合軍の部隊移動や無線交信の量などから「総攻撃近し」という報告を総司令部に挙げており、総司令部もその考えで一致していた。
しかし、ベルカ軍の数倍の戦力を擁する連合軍の攻勢を食い止められるかどうかは、将兵の奮闘と運に期待するしかないのが現実だった。
エーベルが所属する第13歩兵師団は、ディレクタスでの戦いから帰国後、グスタフラインでの戦闘で大損害を蒙った。
後退したエーベルたちは、火器と兵員の補充を受けると、再び最前線となるここアイフェルへと派遣される。
だが、受け取った武器のほとんどは使い込まれたG3突撃銃か、戦場で捕獲されたオーシア軍のM-16で、補充された兵員も一度も実戦を経験したことのない新兵ばかりだった。
だがそれでも、ベルカン・ユーゲントの子供たちや、老人と女性で組織された国民擲弾兵が補充されなかっただけマシというものだろう。
「こんなガラクタばかりで、どうしろってんです?」
クリストファー少尉は頭を掻くと盛大なため息をつく。
目の前にある4連装の動力付き対空銃架は、見かけは何ともないように見えたが、ベアリングに致命的な損傷を負っていた。
「我々に必要なのはオモチャじゃなくて、まともに動く武器ですよ。」
「少尉殿、あまり怒ると精神衛生に悪いですよ。」
銃架の脇で修理を行っていた若い兵士が、顔を上げ疲れた表情で微笑む。
工科大学出身というこの兵士の知識と腕は、下手な整備中隊の整備兵より確かだった。
そのため、彼はここ数日満足に眠ることもせずに故障した機械の修理にあたっている。
丘陵地帯一面に造られた隠蔽陣地には、兵士たちが群がって増築作業を続けていた。
戦車不足を補うため、工場に在庫として眠っていた55口径長砲身120mm滑腔砲を流用して作られた12.0 cm PaK 95が、巨大な四本の足を広げて壕に据えられている。
新兵たちが土嚢袋を次々と担ぎ入れ、その横では、並べられたMG3機関銃とVz.61スコーピオン短機関銃の分解整備が行われていた。
「この火力じゃ、敵が来ても満足に戦えません。」
「クリストファー、ぼやいても現実は変わりはせんぞ。まぁ、魔法使いでもいれば、簡単に武器を用意してくれるだろうが。」
エーベルが大きく伸びをしようとした時、甲高いサイレンの音が聞こえた。
監視所からの警報―――
作業をしていた兵士たちは、慌てて偽装ネットや木の枝を防御陣地に被せ、自分たちは車輌の下や土嚢の陰に隠れる。
しばらくして、1機の航空機が上空を通過していった。
長距離偵察だろうか…陣地の上を無造作に通過した航空機は、そのまま内陸部へと姿を消していく。
「……まったく、驚かせやがる。」
敵機が十分に遠ざかったのを確認してからエーベルは木の枝を払いのけ、ポケットから潰れた煙草を取り出し1本銜えてから少尉にも勧めた。
「遠慮をするな。」
「では、頂きます。」
使い慣れたオイルライターで火を点けると、深々と吸い込み、やがてゆっくりと煙を吐き出す。
身体の隅々にまでニコチンが行き渡り、急に頭がすっきりしたような錯覚を覚える。
そのまま、暫く2人は黙って紫煙をくゆらせた。
「とにかく、状況がどうあれ、我々は最善を尽くすだけだ。」
そう言ってエーベルは目だけを動かし、じろりと周りに視線を配る。
先ほど声をかけた新兵は、ヘルメットをしっかりと被り、緊張した横顔のまま前方を凝視していた。
「……まぁ、軍上層部のツケを我々現場が支払うのは癪に障るがな。」
そう言ってエーベルは、またため息をついた。
エーベルは、新兵特有の落ち着かない態度が嫌いだった。
おまけにこのところのバタバタ騒ぎで、配属された兵士たちとは言葉を交わすことすら少ない。
語りかけても返ってくるのは、堅苦しい敬礼と了解の言葉だけだった。
それでも、しばらく寝起きをともにすれば、言葉を交わさなくても言いたいことが分かってくる。
―――が、今は時間がなかった。
敵は目の前まで近づいてきている。
地面に投げ捨てたタバコをブーツでもみ消すと、エーベルは件の新兵の肩を叩いて言った。
「待機だ。今のうちに飯を食っておけ」

1995年5月27日 8時30分 南ベルカ バルトライヒ山脈上空

高度20,000フィート。
透明なキャノピー越しに広がる空は澄み渡っていた。
地平線はかすかに丸みを帯び、少し霞んで見える。
徐々に上っていく太陽が照りつける中、9機の戦闘機が飛行機雲を曳きながら飛んでいた。
ヴェストファーレンを離陸してから20分以上は経っただろうか―――
事前に割り当てられた2機のグリペンとは編隊を組むことは諦めていた。
どうにか集合し水平飛行に入ってからも、あれやこれやと速度や高度の微調整を繰り返すので、秩序だった編隊を組むことなど、不可能な話だった。
計器パネルのデジタル時計にちらりと視線を走らす。
まもなくハイマート基地から飛び立った爆撃機と合流する時刻が迫っていた。
首を回して周囲を確認した後に、前方へ目を凝らす。
自機から、かなりの距離を置いてバルクホルン中尉が飛んでいた。
その後ろをユーゲントたちがフラフラと飛んでいる。
後ろから見る限り、彼らも私たちと同じように秩序だった編隊ではなく、歪んだ三角形を描くような位置に各機が飛んでいる。
それが、編隊とは言えないことくらい、幼稚園児にも分かるだろう。

『プリースト3、何をやっている? ホルスト、もう少しこっちに寄ってこい。』
バルクホルン中尉の苛立った声がイヤホンを打った。
彼が不機嫌なもの当然だろう。
ろくに編隊すらも組めないのだから……。
(だから、連れて上がるのは無茶だと言ったのに……)
私は内心嘆息しながら無線を小隊用にバンドに切り替える。
『プリースト3より後続の各機へ。前方の編隊に追いつく、少し速度を上げろ。』
『ヤヴォール!』
返事だけは良い列機を一旦振り返り、私はスロットルを少し開いて増速する。
バルクホルン中尉率いる3機は、私たちに合わせて速度を抑えてくれていたらしく、たちまち追いついた。
それから先頭を飛ぶガーランド隊長が率いる3機の後上方300メートルに覆いかぶさるように機体をつける。
少し遅れて列機も追従してきたが、相変わらず近づいたり離れたりとまとまりのない動きだ。
『プリースト3より後続各機、聞こえるか。』
私は、自分の後方にいるはずの2機を呼び出した。
『はッ……はい!』
緊張のあまり上ずった声は、経験の乏しい兵士特有のものだ。
よく考えれば、離陸前から今に至るまで事務的な会話しかしていない。
突然話しかけられたことで慌てる彼らの反応に、私は苦笑を隠せなかった。
『まもなく攻撃機と合流し進撃を開始する。君たちはめでたく初陣を飾るわけだ。』
『は…はい。』
どちらが発したかはわからないが、戸惑い気味の返事が返ってくる。
『知っていると思うが、我々の主目標は敵の陸上戦力だ。当然、制空権は連合軍が握っていて接近は困難を極める。だから低空を這うように接近するしかないわけだが……できません、やれませんは通らない。できなければ、撃ち落されて死ぬ。生きて地面に足を着けたければ絶対についてこい。いいな?』
『ヤ…ヤヴォール。』
不安を隠しきれない列機の声を聞きながら、私は肩をすくめた。
その時、ヘルメットの内側に仕込んであるスピーカーがちりちりと音を立てる。
やがて、ガーランド少佐の声が聞こえた。
『プリースト1、予定空域に到達。』
ガーランド少佐が、地上の管制官に目的の空域に着いたことを告げる。
この時期、ベルカ軍の航空管制はAWACSを用いず地上の管制塔から行われることが多くなっていた。
レーダーは敵を探知できるが、逆を返せば自機の存在を暴露するようなものだ。
対レーダーミサイル等の技術が向上している現在、電波を出し続けて飛ぶことは先手を打たれる可能性もある。
そのため主戦場が国内に移行されてからは、戦闘時以外はレーダーを切り、誘導や警戒は専ら地上のレーダーサイトが当たっていた。
『あ、はい。コーリブリ(はちどり)からプリースト隊。し…針路を095へ変更せよ。』
空電の音が僅かに響いた後、女性の声が響く。
コーリブリは、この辺りを管区としているバン・ハーゲラー山に造られたレーダー基地のコードネーム。
無線機の前にいる女性兵士のあどけない声に、私は思わず酸素マスクの内側で頬を緩める。
後ろについてきているベルカン・ユーゲントと同じような年少兵なのだろうか、熟練した管制官特有の無機質な声色ではなく、実に人間味を帯びた声をしていたからだ。
『プリースト1、了解。針路095へ……ライトターン。ナウ。』
ガーランド機が緩やかに右へ旋回し、私を含めた残りの8機がそれに続く。
眼下には、バルトライヒ山脈に降り注いだ雨が集まってできた川の豊かな流れが見える。
我々9機は崩れた編隊のまま、その流れに沿うように飛んだ。
『そろそろだな。プリースト1よりコーリブリ。デートの相手は時間通りにくるんだろうな?』
ガーランド少佐が件の管制官に問いかけた。
フトゥーロ運河を失って以降、ベルカの燃料事情はかなり悪くなっている。
戦闘用の燃料にも不安が出始めている現在、時間通りに合流できず待ちぼうけをして、貴重な燃料を垂れ流したくないという思いが感じられた。
『こちらコーリブリ、間もなくハイマート基地からの部隊は間もなく視界に入ります。それと、通信は明瞭かつ的確に願います。』
ガーランド少佐の冗談に、まともに応じる態度に私はもう一度笑みを浮かべる。
だが、心のどこかに何か引っかかるような感覚に捕われてもいた。
(なぜだろう……?)
周囲に目を配りながら、私は、自分の気持ちの裏側を探ってみた。
クリスのことがあったからだろうか?
それとも、ベルカン・ユーゲントの子供たちを連れて飛ばなければならないから、気が滅入っているのだろうか?
しかし―――
それだけとは思えない。
何か、もっと心の奥深いところから……この憂鬱な気持ちは湧き上がっているように感じる。
そう、今思い返せば、私は未来を感じていたのかもしれない。
嫌な予感とでも言うのだろうか、まるで、これから先に訪れる未来が、決して晴れやかなものでないことを無意識に私は感じていた。

それから数十秒後、遥か彼方の空にポツリポツリとゴマ粒を撒いたような黒点が見えた。
『こちらプリースト3。隊長……方位098、同高度に編隊を確認。攻撃隊と思われます。』
私は送信スイッチを入れ、ゆっくりと落ちついた声でガーランド少佐告げた。
『プリースト1よりコーリブリ。攻撃隊を視認した。これより編隊に合流する。』
『コーリブリ、了解。プリースト1、交信を許可します。周波数は335.20。編隊に合流し、進撃を開始して下さい。』
『ヤヴォール。』
私は、周波数をレーダーサイトとの交信から近距離友軍用へと切り替えた時、ガーランド少佐が攻撃隊に話しかける声が耳に飛び込んできた。
『前方の友軍機、こちら第4航空師団所属34戦闘飛行隊、コールサインはプリースト。これより編隊に合流したい。許可を請う。』
しばらくの間、ザーッという雑音がヘルメットを満たしていたが急にその耳障りな音が晴れて男の声が飛び込んできた。

『確認した。こちらは第704戦闘攻撃飛行隊所属A‐4スカイホーク、コールサインはラーベ。プリースト隊、噂は聞いている。歴戦の猛者と一緒で頼もしい、宜しく頼む。』
『ダンケシェーン、ラーベ。残念ながら、うちもルーキーが多くてね。足を引っ張るかもしれないが、ひとつお手柔らかに頼むよ。』
『了解、しっかりエスコートさせてもらうよ。』
攻撃隊の隊長と思われるパイロットが笑いを含んだ声で応じると、通信はいったん切れた。
『スカイホークなんて、5年も前に退役した機体じゃないですか。』
会話を聞いていたらしいロベルトが、インターコム話しかけてくる。
その声には、戸惑いの色が浮かんでいた。
『聞いた話じゃ、試作機や試験機まで実戦に投入しているそうだ。機材は武装親衛隊に優先配備されてるらしいからな……5年前の機体が出てきたって不思議じゃないさ。』
私は、徐々に近づいてくる機影を見つめながら独り言のように呟いた。
『武装親衛隊って、陸軍じゃないんですか?』
ロベルトが身を乗り出すようにして声をかけてくる。
『ガーランド隊長の話だとな。武装親衛隊の上級将校が、国防軍の基地司令等に横滑りしてきているそうだ。数こそ少数だが、海軍や空軍の中にもそういったことが起きているらしい。そういった基地がどうなるか、言わなくても分かるだろう?』
『陸海空、全軍の親衛隊化…。』
『そういうことだ。国が滅んでも戦争を続けそうな連中だからな。…グリペン配備の一件もあるし、案外、うちの基地も目をつけられてるかもしれないな。』
『なんか、イヤな話ですね…それ。』
それっきり私たちは押し黙る。
コーリブリからの通信もなく、しばらく眼下の森を眺めるだめの静かな飛行が続いた。

1995年5月27日 午前9時02分 南ベルカ アーフェル防衛陣地

砲撃ですきかえされ、かつては森林だった荒地が視界に入る。
エーベル大尉は双眼鏡をのぞきながら、配給された黒パンを噛った。
生き残った森林の間に僅かに見える平原には、直撃を受け各坐した車輌の残骸があちこちに佇み、その間に、オーシア軍の濃緑色の軍服が動いていた。
おそらくは偵察か、仲間の遺体を回収しに来ているのであろう。
無数に掘られた壕にいる兵士たちは食事を優先しており、連合軍の邪魔をする者は誰一人としていなかった。
不足しがちな弾薬を温存するため、本来ならこのような兵を排除するために配置されている狙撃兵も壕に篭り、他の兵士と同じように食事を摂っている。
歩哨につく分隊が、重そうな装備を背負い硬い表情のままエーベルの傍らを通っていく。
彼は、その列の中に居た同期の士官を呼びとめると、配給の煙草を投げ渡した。
士官は、硬い表情を崩すことなく礼の言葉を口にすると、おもむろにタバコの封を切り一本を口にくわえ、残りを部下に渡した。
各部隊の消耗品は除々に不足しはじめていた。
弾薬や燃料は当然のことで、食糧や生活必需品も兵達の間に行き渡らなくなり始めている。
ベルカ自体の物資が底を尽き始めたことも要因にあるが、それを運ぶべき補給部隊にも損耗が続き、満足に活動できなくなってきているのだ。。

エーベルは、双眼鏡を下ろすと耳を澄ました。
遠くから砲声が聞こえてくる。
今ではすっかりお馴染みとなった連合軍の155?榴弾砲のものであろう。
半分噛っただけの黒パンを背嚢に押し込める。
硬いばかりの黒パンと言えど、今は貴重な食料に変わりはない。
水筒を取り上げると、中身が入っていることを示す微かな水音がした。
キャップに手をかけたその時、陣地の遥か手前で砲弾が次々と着弾を始めた。
土が掘り返され、破片と焼夷弾片の混じった灰色の爆煙が立ち上る。
まともにこちらに届くまでには、少なくともあと数回は弾着修正をしなければならないレベルだ。
「大隊司令部より各部隊へ。敵陸上部隊が接近中、総員戦闘準備。」
耳にはめ込んだイヤホンの砂が流れるような雑音の隙間から、司令部要員のやけに落ち着き払った声が響く。
その声を聞きながらエーベルは水筒の水を一口含み、ゆっくりそれを飲みこむ。
「戦闘用意。」
彼がそう告げると、陣地内に緊張がはしった。
「PaK 95、APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)……いやHEAT(対戦車榴弾装填)。安全装置は外しておけ。」
黒い弾頭の120?対戦車榴弾が装弾手の手によって薬室に装填されると、自動的に閉鎖器が閉じる。
「ハッセ。落ち着いてな。大丈夫だ、訓練と同じだ。」
彼がハッセと呼んだ砲手席の新兵が小さく頷く。
彼の名前はハッセ・アルノルト。
親衛隊色の濃いベルカン・ユーゲントとは違い、国防軍へ直接志願した二等兵であった。
その顔は緊張で青白く強張っている。
再び遥か彼方から爆発音が響く。
それから10秒近くを経てから、着弾の大音響と激しい突き上げに陣地内が激しく揺れた。
「まるで地震じゃないか!」
隣の壕でクリストファー少尉のわめき声が聞こえる。
続いて2発、3発と周囲に落ち始める。
さすがにエーベル大尉の首をすくめた。
一段落すると、埃があたりを漂い始め、周囲を白い霧のように包み込んだ。
大尉は、壕から身を乗り出すようにして周囲に目を凝らす。
セオリーならば、この制圧射撃の後には必ず敵の主力がなだれ込んでくるはずだった。
双眼鏡を覗き込み、目を皿のようにして探すこと数分―――
エーベル大尉の目は、木々の間を進んでくるお目当てのモノを捉えた。
「11時方向。距離1,500。目標接近中の装甲車。」
砲煙立ちこめる戦場に、野太いエンジン音と共に巨大な影が姿を現わす。
オーシア軍の装甲兵員輸送車LAV-25だ。
それらが2輌、左右を警戒しながら前進してくる。
LAV-25は、90年代から主に海兵隊に実戦配備が始まった水陸両用車である。
特徴として、走行に使う駆動輪を8輪または後4輪のいずれかを選択でき、最大時速100キロを超える高い走行性能を持っていた。
オーシア陸上部隊の機械化の一翼を担っている装甲兵員輸送車であり、本来の兵員輸送の他に偵察任務などにも用いられている。
「装甲は薄い、ど真ん中を狙え。中隊各砲、射撃用意。俺が撃ったら撃て。わかったな。」
エーベル大尉のヘッドホンに、各砲座から了解の通信が返ってくる。
ハッセは足元のペダルを踏んで対戦車砲を小さく旋回させると、傍らの俯仰ハンドルを回して砲の照準調整を行った。
照準器に描かれた十文字の左寄りに、前進してくるLAV-25のボディをあわせる。
「照準よし!」
「800まで引き寄せる。まだ撃つなよ。」
ハッセはゆっくりと息を吐いた。
射撃装置が電子制御に進化したとはいえ、撃つ瞬間に呼吸を止めてしまうのは人間の本能なのだろう。
LAV-25がゆっくりと前進してくる。
その後方から、シルエットが一回り大きな影が悠然と姿を現わした。
1両、2両……数分後には、全部で12機の車輌がLAV-25の後方に出現する。
「くそっ! もうM1が来やがったか。」
M1とは、オーシア軍主力戦車M1エイブラムスのことである。
オーシア連邦が単独開発し、80年代から実戦配備が始まった戦車で、特徴として、ガスタービンエンジンを採用し、当時としては最先端機器を用いた高度な射撃管制装置を採用した事で、初弾からの高い命中率を誇っていた。
オーシア陸軍機甲師団の中核を担っている戦闘車輌であり、開戦以来、イヤという程目にしてきている。
「各砲座に通信。弾薬をけちるな。思いきっていけ」
歩兵にとって、戦車を始めとした装甲車輌は大敵であった。
LAV-25に先導された戦車部隊が迫る。
巧みに偽装された陣地のおかげで、ハッセたちが潜むPAKフロントは見つかっていないようである。
「目標変更。後方のM1。その先頭車両…砲塔は硬い、覆帯を狙え。」
「了解。」
ハッセは、そっとハンドルを回した。
緊張で手のひらに汗がにじみ、手袋の内側が濡れていく。
LAV-25が距離の目安にしている半壊した民家の横を通過していく。
距離は800mを切った。
エーベル大尉は積み上げられた土嚢を拳で軽く小突きながら、敵の戦車隊が前進してくるのを待った。
あと数秒待てば、PaK 95の必殺距離に入る。
強力な装甲で有名なM1といえども、これだけの至近距離で120?砲弾を受けて無事で済むはずがない。
彼は、少なからず勝利を確信した。
「そのまま……」
大尉がニヤリと笑った瞬間。
右翼に布陣した1基のPaK 95が突然発砲した。
戦闘の経験に乏しい砲手が、緊張に耐えられなくなったのだろう。
「ば、バカヤロウ!」
砲弾は戦車隊の真ん中を飛び抜けていく。
一瞬の間の後、敵戦車の砲塔から次々と反撃の砲火が上がった。
あっという間に先走った砲座は弾着の煙と巻き上げられた土砂に包まれ、地鳴りのような音が響き渡る。
数斉射でPaK 95があった陣地は掘り返され、士気崩壊を起こした歩兵が近くの塹壕から走り出ていく。
「くそっ! 撃て!」
エーベル大尉は作戦が失敗した恨み言を飲み込んで、大声で叫んだ。
ハッセは反射的に引き金を引き絞る。
轟音と共に砲弾が射出された。
砲撃の爆風で、偽装に使っていた枝木がすべて吹き飛ぶのが横目に見える。
放たれたHEAT(対戦車榴弾)は、まっすぐM1に向かって伸びて命中したものの、分厚い砲塔に当たったため空しく弾き返された。
やはり正面切って打ち合った場合、対戦車榴弾程度では主力戦車の複合装甲には致命傷を与えにくい。
「照準そのまま、次弾APFSDS、装填急げ!」
左右に布陣した砲座からも射撃が始まった。
砲弾は敵戦車隊めがけて殺到する。
だが、そのほとんどが装甲に弾かれるか、高々と土砂を巻き上げるだけに終わった。
そんな中、先頭を走行していたLAV-25に命中弾の閃光が奔る。
一瞬の間をおいて、後部ハッチから敵の歩兵が転がり出てきた。
直後LAV-25が爆発し、砲塔が吹き飛ぶ。
「修正。距離、480!」
ハッセは荒々しく息を吐きながら、俯角ハンドルを回した。
流れ出た汗が顎からしずくとなって落ちる。
もう1台のLAV-25が砲塔をこちらに向け、走行状態で射撃を開始した。
装備している兵装は、口径25?の機関砲。
砲弾が陣地の周囲に着弾し、土の塊と破片を防弾板に叩きつけ、衝撃が身体を揺さぶる。
「この距離じゃあ、この装甲板を貫通することはできん。落ち着いて狙え!」
着弾の音に負けじとエーベル大尉は、ハッセの耳元で怒鳴った。
そう言われても、破片が装甲板を叩く音は、聞いていてあまり気持ちのいいものではない。
ハッセは早く発砲し、丸い照準器の視界から相手を消し去りたかった。
必死に押さえ込んでいた、恐怖が身体中を駆け巡っている。
「装填よし!」
装弾手の声と同時に、照準器の脇にあるランプが赤から緑へと切り替わる。
安全装置が解除された合図だった。
ハッセはそれを視界の隅に留めながら、照準の微調整に取り掛かる。
照準器の中で、M1エイブラムスの砲塔がゆっくりと旋回し、真っ黒い砲口がこちらを向く。
彼が声にならない悲鳴を上げた時、発砲煙が照準器いっぱいに広がった。
僅かな後、正面から物凄い衝撃が彼らを襲う。
砲弾が砲座脇の土手に着弾し、深さ1メートルのほどの穴を掘った。
土砂が陣地を襲い、崩れた土嚢の間から土ぼこりが吹き込み、兵士たちを咳き込ませる。
「……損害を報告しろ。」
「給弾装置異常なし!」
「機関銃小隊の何名かが土のシャワーを頭から被った程度です!」
「砲手?ハッセ、どうした?無事なら何とか言え。」
装弾手が必死に土に埋もれた砲弾箱を取り出そうとしているのを横目に、エーベル大尉はふと気になって声をかけた。
ハッセは俯いたまま黙ってままだ。
近づいてさらに声をかけようとしたエーベルは、座席の下に小さな水溜まりができているのに気付き、彼が黙ったままの状況を理解し、真面目な顔をして口を開いた。
「気にするな。最初は誰でもそうだ。俺も最初の戦闘で、クソをもらした。それに比べればお前はマシだ。」
そう言って、恥ずかしさのため顔を真っ赤にして泣きそうになっているハッセに笑いかけた。
「さあ、仕事だ。照準をやり直せ、距離400。目標は、右側面で射撃中のM1だ。さっきのお礼をしようじゃないか。」
エーベル大尉は、この新兵が今まさに戦友となったと確信した。
自然と彼を励ます言葉が口から出たからだ。
ハッセが涙を拭い、照準器のパッドに顔を押しつける。
彼の動かすハンドルと共に砲がゆっくりと回り、M1を捉え始めた。
ハッセは、何度も口の中で「ちくしょう」とつぶやきながら俯仰ハンドルを回し続ける。
M1の側面を、装具をかついだ歩兵たちが銃剣を煌かせて前進を始めた。
「機銃座、1時方向小隊規模の敵歩兵。駆逐しろ!!」
土嚢据えられたMG5にクリストファー少尉が取り付き射撃を始めた。
それに俯角をつけた4連装高射機関砲が加わる。
一瞬にして数百発の弾丸が周辺を包み、歩兵たちをなぎ倒していく。
「今日の連中は肝が据わってますね。退くつもりはなさそうです!」
MG-5の激しい発砲音を伴ったクリストファー少尉の大声がイヤホンに響いた。
「弾種変更!榴弾装填。距離200。2時方向!」
黄色に弾頭を塗られた榴弾が装填され、閉鎖器が閉じる音が響く。
もともと戦車砲として生産されたラインメタル120?L44を流用しているPaK 95は成形炸薬弾をはじめ
とした各種砲弾を使用できる。
状況次第では、簡易の野砲としても使用が可能だ。
「照準よし!!」
「撃てっ!」
吐き出された榴弾は、果敢に迫ってくる歩兵部隊のど真ん中に落ちて爆発した。
舞い上がる煙は小さいものだが、その周囲には無数の弾片が飛び散る。
突撃してきた歩兵は、一瞬にして小さな肉片になってしまった。

「大物をやるぞ!10時方向、距離450! 目標M1!」
「了解!!450で照準……照準よし!」
エーベル大尉は発射命令を口にしようとした。
だが、その命令を発しようとした瞬間、彼は突然飛び込んできた光に目を奪われる。
衝撃―――
ドサッという鈍い音が響き、エーベル大尉がハッセの背に倒れこむ。
オレンジ色の曳光弾が頭上を掠め、防弾板が不愉快な音を立てて歪んでいく。
その中に1発が、防弾板の角を吹き飛ばし破片が大尉を直撃したのだった。
「た、大尉殿!」
エーベル大尉の頭からヘルメットがこぼれ落ちる。
その内側は真っ赤に染まっていた。
「大尉がやられた!」
装填手が叫んだ。
『こちらPaK 95第1砲座から司令部へ。指揮官が負傷。』
冷静な通信兵の声が背後で聞こえる。
まだ周辺への制圧射撃は収まっていない。
ハッセは小さく呻いている大尉を抱き抱えると、衛生兵を探した。
だが、気が動転していて、見つけることができない。
そうでなくても、不足気味な衛生兵を捕まえられるのは運が必要だった。
「衛生兵は!?早くっこっちへ来てくれ!!」
ハッセは悲鳴にも似た声をあげた。
「砲を放棄するぞ。」
そう言うなり、装填手は装具を抱えて背後の坑道へ駆け込んだ。
通信兵も、無線器の有線ケーブルを外すと、同じように暗闇へ身を消していく。
ハッセは、エーベル大尉を抱いたままオロオロするしかなかった。
その時、不意に敵の砲撃が止んだ。
そのことに気がつきハッセが顔を起した瞬間、上空をザッと影がよぎる。
思わず首をすくめた彼の耳に届いてきたのは、金切り声を上げるジェットエンジンの轟音と、無数に響き渡る炸裂音だった。
空を見上げる―――
そこには純白に染められた戦闘機が、猛然と機首を上げ上昇していくところだった。
紺碧の空記事全文CM:0

紺碧の空?流血へのシナリオ(前編)?

2009/11/04 12:13

1995年5月27日 午前7時10分 ベルカ公国 ノルトラインエリア・ヴェストファーレン航空基地

―――こんなところで戦えというのか?
それがヴェストファーレン基地に着いた私の率直な感想だった。
バルトライヒ山脈を南に望む広大な針葉樹の森、ノルトベルカでは見慣れた樹、モミやカラマツがうっそうと生い茂っている。
その壮大な風景を刈り取るようにして作られた1本の滑走路と、申し訳程度に建ち並ぶ附帯施設。
建造されてかなりの時間が経っているらしく、コンクリートの壁は苔が生え、レンガ造りの建物は一部が崩れ落ち、自然に飲み込まれようとしている。
ずっと昔に放棄され、今は軍の記録からも名前が消えた基地、平たく言えば、ただの廃墟……少なくとも私の目にはそうとしか映らなかった。
だが、注意して見れば、そこが放棄され荒廃した施設跡地ではないことが分かる。
滑走路にはひび割れ一つはなく、耐熱性に優れた素材で舗装され、引き込まれた線路の枕木や砕石は昨日敷設されたように新しい。
さらに周囲の情景に目を凝らせば、あちこちに詰まれた土嚢の中で、高射機関砲や地対空ミサイルが偽装ネットを被り、静かに佇んでいる。
張り詰めていながら、どことなく投げやりな雰囲気が漂い、ゲートではチェックすらおざなりだった。
「驚いたな、これは。」
レンガ造りの大きな塔の前で車から降り立った私は、呆気に取られてあたりを見回した。
ヴェストファーレンの駅から基地まで私を運んでくれた年配の軍曹が、トランクから積み下ろした荷物を傍らに置いて言った。
「少尉殿が驚かれるのも無理はありません。ここは、第二次オーシア戦争末期フィーゼラー Fi 103を生産、輸送する工場でした。それを国家防衛計画の見直しに合わせてB7R付近で戦闘が発生した際に、帰途中の友軍機を収容し再出撃のための整備や補給を行う前線基地の一つとして再整備されたものです。地上にある建物の大半は敵の偵察を欺くための物で、主要な設備は地下にあります。」
そう言って、滑走路を指差す。
「着陸した航空機は、駐機場の左右に設けられたエレベーターによって地下の格納庫に降ろされます。格納庫は一層式で収容能力は約24機。収まらない機体は地上の援体壕へ分散格納され、地上と地下合わせて40機を実戦配備できます。ガルテンブルクやハンザ基地のような立派な設備ではありませんが、十分作戦行動に耐えうる施設と思って頂いて結構です。……ただ、問題もありまして…」
流暢に説明をしていた軍曹が、口ごもり露骨に顔をしかめる。
言葉を続けるのを戸惑う彼に、私は黙って先を促した。
「…配備予定数をはるかに超える機体が輸送されてきたため、基地の収容能力がパンク状態です。現在、掩体壕の増築を急ピッチで進めておりますが、完成までの間、それらの機体は野ざらしという状態でして。あそこに並んでいるのがそうです。」
彼が指差した先に見えたのは、練習機として使用されているはずのBAe ホークがシートをかけられた状態で無造作に並べられていた。
「練習機じゃないか。まさか、あれも実戦に投入するつもりなのか?」
「一応、軽攻撃機としても使用は可能です。」
軍曹は肩をすくめて言葉を継いだ。
「偉いさん方は、なりふり構わず機体を集めてノルトベルカを守ろうってんでしょう。もっとも、最高の設備を有していようが、最新鋭の戦闘機が何百機あろうが状況は変わりないと思われます。何しろまともに飛ばせるパイロット自体が少なくなってしまったのですから。」
私はかすかに頷いた。
有力なベテランパイロットを次々と失い、教育課程を少数精鋭主義から変更できなかったツケ……これ以上低下しようがない水準のパイロットを実戦投入。
それが何を意味するのか、子供にでもわかる結論だった。

軍曹が敬礼をして立ち去ると、着慣れない第二種軍装に軍帽という格好で、私は後にザォバークンスト(魔法の技)の愛称で呼ばれるレンガ造りの第1管制塔下にじっと立ち尽くしていた。
認めようと認めまいとザォバークンストから臨む一帯、つまり、私の目の前に広がる光景がヴェストファーレン航空基地の主要構成施設である主滑走路と各種支援施設だった。
古ぼけた建物に、乗り手のいない航空機……そして、あちこちで増設工事に入っている対空陣地と掩体壕。
朝早くにもかかわらず、それら諸施設に携わる人々の織り成す喧騒が、独特の熱気となって私の心に吹き込んでくる。
その時、薄暗い掩体壕の奥からゆっくりと飛行機が引き出されてきた。
トーイングトラクターに牽引されていく機体は、三角形の主翼と機首に小ぶりの翼を付け、そのボディは無駄な贅肉をそぎ落としたマラソンランナーのように細身で引き締まっている。
最初に見えたのは1機だけだったが、その後すぐに2機だと気がついた。
列機が見えなかったのは、眼前の機体にそれが隠れていたからだ。
サーブ 39 グリペン戦闘機だった。
戦闘、攻撃、偵察を全てこなすマルチロール機として開発され、航続距離などで妥協する代わりに運用の容易性と高いコストパフォーマンスを実現した新鋭戦闘機。
1人の整備員と簡単な訓練を受けた予備役兵5人で整備可能であり、ターンアラウンドも短いため、人力でミサイルを装備でき、エンジン始動中にも燃料補給が可能など実用性を最優先にした機体。
短距離の直線道路で離着陸でき、自動着陸機能も装備することで未熟なパイロットでも扱いが可能なことから、総司令部は決戦兵器と位置付けてスーデントールでの急造を開始していた。
雑誌でしか見たことのない新型機に自然と胸の鼓動が高まっていく。
(そういえば、初めてストライクイーグルを見た時もこんな感じだったっけ……)
胸中に混在する緊張と興奮が、頬を熱く火照らせた。

「ホルスト!ずいぶん早く帰ってきたじゃないか。」
感慨を破ったのは、いつの間にか傍にいた第34戦闘飛行隊2番機のバルクホルン中尉の調子良い呼びかけだった。
「てっきりニーナちゃんとの別れが惜しくて長居すると思ってたのにな。」
私にニヤリと笑いかけると、中尉は言った。
「…この戦況下でそんなことできるわけないじゃないですか。」
私の素っ気無い返事に、バルクホルン中尉は、タバコを口に咥えたまま唇を少し歪めて笑った。
「戻ったばかりで悪いが、上がれるか?」
まるで、近所の公園へ散歩にでも行くような口調で中尉が言った。
私が黙って頷くと、バルクホルン中尉は首を振り、それからあくびをして頭をかきむしった。
「昨日辺りからアイフェルの方が大変なんだ。」
少し声をひそめ、中尉が続ける。
「敵が大攻勢に出てきて、味方は相当の苦戦を強いられているらしい。陸軍から航空支援をと矢のような催促がきてるそうだ。そこで、司令部から展開を終えた部隊をもって支援に向かうよう指示が下りた。」
アイフェル―――
南ベルカ中央部に位置する拠点で、先週以来ゼーロウと同様に陸軍による本格的な陣地構築が展開されていた。
仮に我が方がここで敗退するようなことにでもなれば、南ベルカにおける戦況全体に測り知れない影響が及ぶ。
しかし、ここで当初の計画を変更してまでヴェストファーレン基地から攻撃隊を出すことに私は疑問の念を抱かずにはおれなかった。
「補充パイロット連れて兵站叩きって話は白紙ですか?」
私は怪訝な表情を浮かべたまま、中尉の顔を見やった。
「その補充パイロットが6人しか着いてなくてな。残りの30名は、明日機体と一緒にこちらに飛んでくるそうだ。今回は先着の6人も連れていくことになってる。」
「―――観光旅行じゃないんですよ。」
中尉は私の皮肉を受け流すと、歩くよう促した。
「ハイマート基地からも航空隊を出すそうだ。」
「ハイマート?爆撃隊の基地じゃないですか。よく大型機が残ってましたね。」
私は驚きの声を上げた。
「大型機かどうか分からないがな。事前の連絡じゃあ、爆装機が5機に護衛機の戦闘機が6機と聞いてる。」
相変わらず火の点いてないタバコを咥えたまま中尉が答える。
私は、ひょこひょこと小刻みに動くその先端を見つめながらさらに言葉を継いだ。
「護衛機がたった6機?連合軍に補足されたら守りきれませんよ。無茶苦茶しますね……」

「それでもうちのように素人まで動員していないだけマシってもんだ。戦争さえなければ学生生活を満喫できていた子供をいきなり実戦に放り出す方がよっぽど無茶苦茶だ。」
私の言葉に鼻を鳴らすと中尉はぽつりと呟いた。
バルクホルン中尉の答えに私は眉間に皺をよせた。
中尉の言っていることは正論だった。
いくら志願してきたとはいえ、本来なら高等専門学校やギムナジウムなどに通っている年頃だ。
世の中が平和でさえいれば、今頃勉強やスポーツに打ち込み、恋愛のひとつもできていたかもしれない。
そんな子供たちの生活を一変させ、幸せな未来さえも平気で剥奪する―――
救いがたい現状に先ほどまでの高揚感は消えうせ、私はそっとため息をついた。

パイロット待機所までの道すがら、バルクホルン中尉が基地施設の大まかな説明をしてくれた。
滑走路や格納庫は軍曹の話と同じだったが、それ以外の基地設備は驚くべきものだった。
各施設は格納庫と同じ15メートルの深さに併設され、各施設は地下道によって繋がっている。
内部は厚さ4メートルのコンクリートで覆われ、重さ5tの耐爆ドアで仕切られているそうだ。
隊員の生活の場として、宿舎をはじめ、食堂、医療施設、運動施設、売店などの他、非常用の電源装置なども備えており、ちょっとした地下要塞と言っても過言ではない。
「連合軍の目をくらますためと言え、暗い穴の中でコソコソ生活するなんてな。自分の国だってのに情けない。」
地下を走る廊下の照明は節電のために照度を落とされ、まるで夕暮れ時のように薄暗い
少し自嘲気味にぼやきながら、バルクホルン中尉がパイロット待機所の扉を開ける。
扉をくぐると同時に、一斉に踵が打ち鳴らされ、敬礼する右手がややバラバラに上がった。
話題に出ていた先着しているベルカン・ユーゲントからの補充パイロットたちだった。
まだ幼さの残る少年パイロットの顔は緊張に青白く、女性パイロット達の敬礼はいささか頼りない。
私は簡単に返礼すると、バルクホルン中尉に続いて室内に足を踏み入れる。
「お、帰ってきたか。」
真っ先に声をかけてきたのは、戦闘機部隊の飛行隊長であり、所属する第34戦闘飛行隊小隊長のガーランド少佐だった。
飛行隊長との兼任に尉官では不適当との判断から、基地移転と前後してフリードリッヒ少将の推薦により昇進を果たしている。
「はっ……2日も抜けてしまい申し訳ありません。」
背筋を伸ばし姿勢を正すと、私は私用で部隊を抜けていたことを詫びた。
タバコを左手に持ち替え、口元に笑みを浮かべて、ガーランド少佐は私の肩をポンとひとつ叩いた。
「遠路ご苦労だった。残してきた家族やお嬢ちゃんのことが心配だろうが、もうひと働きしてくれ。」
「はい…もとより、自分はそのつもりです。」
ガーラントは、にやっと笑いかけると、タバコを咥え直し深々と吸い込んでゆっくりと煙を吐く。
「ふん、お前も一人前の口をきくようになったな。……よし、まずは着替えて来い。話はそれからだ。」
茶色の瞳をきらりと光らせて頷くと、ガーランド少佐の表情は小隊長のそれへと戻っていた。

この日―――
飛行前に必ず行う待機室でのブリーフィングは、私が待機室に入ったときにはすでに終わっていた。
ようするに私がメンバーに加えられたのは、それほど急な予定変更だったとも言えた。
その代わりといっては何だが、フライトスーツに着替え終わった私は、ガーランド少佐にバルクホルン中尉を交えて軽く飛行内容の打ち合わせを行う。
作戦はいたってシンプルで、バルトライヒ山脈を越えたところでハイマート基地からの部隊と合流。
アイフェルの手前100キロ地点で高度を落として目標空域に進入する。
目標は主に機甲兵器とし、ユーゲントたちは1航過目の投弾後は直ちに空域から離脱するといった内容だった。
任務に当たる機は、私やガーランド少佐のF-15E<ストライクイーグル>3機の他、ベルカン・ユーゲントたちを合わせて9機。
私たち3人が、それぞれ2人のユーゲントを率いて飛ぶことになった。
「少佐。よろしいですか?」
一通り打ち合わせを終えた私は、ガーランド少佐に問いかけた。
「何だ?」
「本当に子供(ベルカン・ユーゲント)を連れて行くんですか?」
「そういう命令だからな。」
「しかし、もし敵の航空部隊に遭遇した場合―――」
「―――逃げろとしか言えないな。機体の性能はともかく、子供たちに空中戦を命じても……な。」
後年、異国で出会ったパイロットが空中戦はチェスに似ていると言っていた。
頭をフル回転させて相手の挙動の先を読み、その動きを封じていく。
戦闘の原則で言えば、空中戦では奇襲攻撃を第一とし、最初から格闘戦を行うことはあり得ない。
むしろそれを避けるよう努めるのが本筋だ。
だが、第一撃に失敗……もしくは攻撃を終えて、なおも継戦する必要がある場合は、当然ながら近接格闘戦(ドッグファイト)へと移行する。
ここでパイロットの操縦技術が問われるのだが、離着陸と基本操作が精一杯のベルカン・ユーゲントたちに近接格闘戦を求めるのは酷な話だろう。
“戦闘”になるどころか、あっという間に敵機に捉えられ、ロクな回避機動も出来ないまま、なぶり殺しの状態で火だるまになって終わるだけだ。
どう贔屓目に考えても、待っているのは絶望的な答えのみ―――
「グリペンは今のベルカにとって貴重な航空戦力だ。それを年端もいかない子供に預けて飛ばす……たとえ連中の主任務が対地攻撃だとしても、若い命と機材を犠牲にして得られる戦果と釣り合いが取れるとは思わんよ。」
ガーランド少佐が、テーブルに両肘を付き口の前で手を組んだままボソリと呟いた。
眉間に深く縦皺を刻んだその表情は暗く厳しい。
傍らのバルクホルン中尉も腕を組み押し黙ったまま動かない。
(戦争が始まって、わずか2ヶ月……たった2ヶ月で、最強と呼ばれた空軍がこのザマかよ。)
立て続けに示される現実にやりきれなくなった私は、グッと唇をかみ締めた。

1995年5月27日午前7時25分 ベルカ公国 バルトライヒ山脈上空

DHC-7、通称「ダッシュ・セブン」は、スーデントールから北へバルトライヒ山脈の真上を真直ぐに飛んでいた。
グレーに染められた長い主翼と、ドライソーセージをくっ付けたような細身の胴体に黄色の味方識別帯を巻いた機体からは、かつては真っ白な塗装で各地の空港施設を拠点に空を舞い、地方航空路線の主力として活躍していた姿を微塵も感じさせることはなかった。
DHC-7は、1975年に製造を開始して既に20年以上が経過している4発、高翼の大型輸送機だ。
強力なターボプロップエンジンを主翼に4基配置し、葉巻状の機体は人員なら最大50名、貨物なら最大2,000?を積載できる。
また、エンジン排気口を主翼上面に設置し、従来のターボプロップ機よりも低騒音性に秀で、翼幅の80%にも達する二重隙間フラップによる高いSTOL性能を併せ持っていた。
プロペラブレードの改良、客室内の与圧化、ドーサルフィン付の大型T字尾翼など度重なる改良を経て、現存する71機が世界各地の民間や軍で広く使用されている。

広くピンと伸びた主翼を翻し降下姿勢に転じる機体。
垂直尾翼に描かれたベルカ国旗と所属番号が、軍用機であることを示していた。
DHC-7の乗員はパイロット、副パイロットの他、機体付整備士の3人で構成されている。
「まもなく、ヴェストファーレン航空基地に進入します。」
スピーカーを通じてパイロットの声が入ってくる客席。
その一角で南部方面軍参謀クラウス・フォン・シュタウフェンベルク少佐はスケジュール表を修正するペンを止め、次第に近付いてくる地上の光景へと目を転じた。
客席にいるのはクラウスを含め僅か6名。
いずれも再編成された第4航空師団に異動する参謀たちだった。
クラウスは、基地が近付くにつれ膨らんでゆく焦燥感を懸命に押し殺そうとしていた。
確かに、ノルトベルカの防衛体制が整うまでの遅滞攻撃を立案・具申したのは自分だった。
だが、正規のパイロットを確保できなかったばかりか、補充されるパイロットたちは一部を除いてベルカン・ユーゲントからの志願兵。
持ち込まれる航空機こそ新品だが、それを扱うパイロットが未熟では戦果はとても期待できない。
軍人としての途を選び、参謀という立場になった以上、いずれは自らの決断に責を負う場面に直面することは判っていたが、いざ現実となると、何もかも放り投げて逃げ出したい衝動を抑えるのに必死だった。
赴任地となる第4航空師団は部隊の展開を概ね完了し、現在は設備を増築中とのことだ。
さらに、明日には速成教育を終了したベルカン・ユーゲントたちが大量に送り込まれてくる。
同じく、雑多ではあるものの守備隊も組織されているらしく、連合軍の侵攻速度を削ぐための体制は、クラウスの思いとは逆に着々と進んでいたのだった。
「この戦争。どうなるかな……。」
「これが競馬だったら連合軍のオッズは1.1倍だろうな。俺たちゃ大穴も良いところだ。」
「競馬か……明日の命も分からんのに、よくそんな発想ができるな。」
「そうじゃなきゃ……やってられんよ。」
背後で、参謀たちの話し声がした。
そんな話を聞き流しながら、クラウスは斜め前の座席に視線を転じる。
背もたれに遮られ、そこに座っている人間を直視することは出来なかったが、その席にこそ、機内で最も重要な人物が腰を下ろしていたのだった。
背もたれが下がっているところを見れば恐らく、いつものように軍帽で顔面を覆い寝入っているのだろう。
周囲は、いつの間にか真っ白な雲に覆われている。
その飽和した水蒸気に包まれ、機内が少しうす暗くなった。
雲を抜け、機内が再び明るさを取り戻してもDHC-7は降下を続ける。
雲間から、窓に飛び込んでくる陽の光に、クラウスは思わず目を細めた。
窓の外には、豊かな森が広がり、生い茂った枝々によって黒い絨毯を敷いたように見える。
その大地にアクセントを付けるように、舗装されていない街道や集落と思われる家々が建ち並び、遠くには豊かな水を湛える湖も見える。
その光景はあまりに平和そのもので、一見別世界に迷い込んでしまったような感覚をクラウスに与えた。

だが、よくよく目を凝らしてみれば、その景色を刈り取るように大きな直線道路が1本伸びている。
クラウスは思わず感嘆の息を漏らした。
基地の周囲は柵で隔てられてはいるものの、引き込まれた1本の線路の他は無残に崩れ落ちようとしている古びた建物ばかりで、ひと目では航空基地とは判別するのは難しい。
これほど念入りに偽装された陣地を見るのは、士官学校時代読んだ第二次オーシア戦争の資料集以来だった。
目が慣れるにつれ、戦争遺産にしか見えない瓦礫の間を、トーイングトラクターが川面のミズスマシのようにせわしく動き回り、あちこちで重機が地面を掘り起こしているのが確認できた。
基地の周囲を一周して滑走路へと進路を取るDHC-7の上空を、護衛機に囲まれた大型輸送機の編隊が水蒸気を曳きながら独特の存在感をもって北上して行く。
「あれは……西部戦線からの便だな。連合軍に奪われる前に出来る限りノルトベルカへ運び出すつもりなんだろう。」
誰ともなしに声が上がる。
「連合軍は近いのか?」
「この乗合バスで行くには、ちょっと遠いな。」
「ライプチヒ地方が連合軍に陥ちたというから、もうすぐこちらの攻撃圏に入ってくるはずだ。」
「南ベルカから何を運んでいるんだ?」
「物資さ。武器、弾薬、食料……何もかもだよ。そのうち、俺たちも経験するさ。」
俺たちも経験できる………さりげない一言が、クラウスの胸に引っかかって離れなかった。

1995年5月27日 午前7時38分 ベルカ公国 ノルトラインエリア・ヴェストファーレン航空基地

私が使い慣れたヘルメットを片手に再び屋外に出た時には、すでに地下格納庫から出されたストライクイーグルがその身を静かに佇ませていた。
装備は当然爆装―――
翼下には自衛用の火器を除いて、重そうな対地兵器がぎっしりと吊るされていた。
一足先に機体に取り付き、各部を点検していた後席のロベルト准尉が私の姿に気付き立ち上がる。
そして、底が抜けたような笑顔を浮かべながら足早に近付いてきた。
純白に塗られた胴体に大きく描かれた黒いマルタ十字とベルカの記章…磨き上げられたキャノピーが朝日を反射し、その光の強さに私は思わず目を細める。
今まで幾度となく繰り返してきた、いつもの光景だった。
この国に暮らす全ての人の安らぎを守るため―――今まではそう信じて戦ってきた。
だが、今は違う。
クリスティーナが受けた恐怖と痛み、残された家族が負った心の傷……向かってくる全ての連合軍兵士に流された血の対価を支払わせる。
(子供の世話を焼いている場合じゃないのに…)
それがその時、私の心の中にあった素直な思いだった。
「やっと帰ってきたと思ったら、何、難しい顔してるんですか?」
ロベルトが訝るような眼つきで私の顔を覗き込む。
「眉間に皺寄せて、何か悩みでも?」
「そんなわけないだろう。」
反論した直後、ロベルトはポンと手を打った。
「あ、分かった。ニーナさんがいないから機嫌悪いんでしょ!」
「中学生のカップルじゃあるまいし、バカなこと言うな。」
ロベルトの見当違いな推測に、私は呆れたような口調で返事をした。
「いやいや、男女間の物理的な距離が遠いほど心理的な距離は広がるって本に載ってましたよ。会いに行くわけにも行かないし、頻繁に連絡を取るしかないですもんねぇ…少尉も苦労が絶えませんね。」
ロベルトは腕を組むと、何度か大きく頷いてみせる。
「くだらないこと言ってないで、さっさと点検済ましてしまおうぜ。」
私は、その大げさなリアクションに苦笑いを浮かべ、彼の肩を軽く叩くとラッタルへと足をかけた。

1995年5月27日 午前7時54分 ベルカ公国 ノルトラインエリア ヴェストファーレン航空基地

『―――――航空隊が発進する。手空きの地上要員は全員退避せよ。繰り返す、地上要員は全員退避―――――』
『――――ヴェストファーレンコントロールより航空隊へ、滑走路への進入を許可する。』
轟々たるエンジン音の連なりは、それに関わる者全てに興奮を掻き立てる。
順調なタービンの吸気音、淡々と進む管制室とのやりとりに私の鼓動は自然と落ち着いていった。
無線機越しに、いつもと変わらないガーランド少佐の声が聞こえてくる。
『新米ども、肩の力を抜け。基本通りに飛べば問題ない。お弁当と水筒はないが、ちょっとした遠足だ。ただ、敵さんが真っ赤なアイスキャンデーをいっぱい用意してくれてるからな。食いすぎて腹を壊さないようにしろ。』
『ヤヴォール!』
『よし、行こう。』
ガーランド少佐がコックピットから指を突き出した。
エプロンで待機する航空機誘導員に対する合図だ。
両手をかざした誘導員が、エプロンに並ぶ戦闘機を1機ずつタクシーウエィへと誘導しようとしたときだった。
『――――コントロールより各隊へ、接近中の輸送機の着陸を優先する。滑走路への進入は待て。』
無機質な管制官の声がスピーカーから響く。
声につられて空を見上げれば、低空の薄い雲を突き抜けて、スマートな4発機が姿を現した。
それが、車輪を下ろし、フラップを開いて、ぐんぐんと降下してくる。
何度か見たことがあるのだが、機種が思い出せない。
葉巻のような胴体とすらりと伸びた主翼形状―――
4発機にしてはサイズが小さい。
以前、ルインブルグ基地へ移動する際に乗り込んだダグラスDC-6より、ひと回り以上コンパクトだ。
その4発機が、エンジン音も高らかに滑走路に滑り込んできた。
垂直尾翼にはベルカ国旗と、JGで始まる部隊番号が書き込まれている。
言うまでもなく「JG」は「戦闘航空団」の略字であり、その機体が軍に所属していることを示していた。
フラップを目一杯開き、かなりゆっくりした速度で接地した機体は、いったん滑走路の端まで滑走して行き足を殺してから、そこで向きを変え、こちらへゆっくりとタキシングしてくる。
『発進前の航空部隊を止めてまで着陸とは……どこのお偉方がいらしたんですかね?』
ロベルトが、呟くように言う。
『さぁな。ま、子供たちが実戦に就いてるからな。プロパガンダにでも利用しようとしてるんじゃないか?』
私は輸送機を目で追いながら答えた。
『実際に世話を焼くこっちの苦労も知らないで、いい気なもんですね。』
ブツブツと文句を言っていたロベルトが、突然思いついたように大きな声を上げた。
『少尉、低く早く上がって、連中の度肝を抜いてやりましょう。ヒヨコばかりじゃないってのを、偉いさんに教えてやるんですよ。』
私はチラリと滑走路に視線を移して、ふんと鼻を鳴らした。
『ロベルト良いのか?俺が低く上がるって言ったら、相当低いぞ。』
『望むところです。』
ロベルトの弾んだ声を耳にしながら、私は酸素マスクを固定した。

同時刻 ベルカ公国 ヴェストファーレン航空基地

ヴェストファーレン航空基地の長大な滑走路。
晴れ渡った碧空の下、余裕たっぷりの着陸から悠然とエプロンに滑り込んだDHC-7から、第4航空師団付となった参謀達は地上へと降り立った。
「閣下、到着いたしました。」
キャビンの最前席。
クラウスにそう呼びかけられた男が、目深に被った軍帽をそのままに身じろぎした。
ぴしりと着込んだ上着は一切の贅肉をそぎ落としたばねのような体躯を包み、制服から露出した浅黒い肌は、白いシャツによって、その存在感をいっそう引き立てられている。
「ああ、ご苦労。」
低いドスの利いた声が、傍に控えるクラウスの緊張を一層煽る。
クラウスの緊張は、彼の外観、そして地位のせいだけではなかった。
国防軍参謀本部付上級大将―――ルートヴィヒ・アウグスト・テオドール・ノイマン。

40年前の1955年に空軍少尉に任官されて以来、オストベルカでの治安維持活動を皮切りに、国内各地の紛争を転戦。
1980年代に国防軍参謀本部付になってからは、早期警戒管制機の導入や自動化統制システムの熟成に尽力を尽くしていく。
ベルカ軍人にしては珍しく、攻めよりも守りに力を入れる姿勢に好戦派の将官たちからは『変わり者との陰口を叩かれることもあった。
90年代初頭にオストベルカ諸国が次々と独立を果たし、国境線が目まぐるしく変化しても、ベルカ空軍がB7Rを含む戦略防空域を適切に設定できたのは彼の力によるところが大きい。
今戦争では、電波技術の豊富な知識を生かし、第12特殊戦闘航空団によるウスティオ共和国国境警戒レーダーシステム群<スフィンジェ>破壊作戦の基本計画を立案している。
―――そして現在。ベルカ軍将官の中で数少ない防衛戦に長けた指揮官として南部方面軍に派遣されていた。

そのノイマン大将が、飛行場へと続くタラップに、着任への一歩を踏み出した。
目深に被った軍帽から、彫りの深い目元から険しい眼光が覗く。
その姿からは、とても60代という老いを感じさせない。
第4航空師団司令のフリードリッヒ少将がタラップの下でノイマンを出迎えた。
「閣下、ようこそヴェストファーレンへ。」
「西部戦線から急に引き抜いてしまい、慌しい思いをさせましたな。国家のためとはいえ、ご心労お察しする。」
「過分なお言葉、光栄に存じます。」
まるで新兵のように直立した少将の肩を、ノイマンは軽く叩いた。
「まあ、話は歩きながらにしよう。」
ノイマンは、視線を巡らせた。
滑走路脇の半地下式となった格納庫には真新しいJAS39グリペンが翼を連ね、試運転をはじめとする喧騒は途切れることがない。
まるで学祭直前の構内を思わせる活気が、一帯を覆っていた。
「―――戦力は整っているようだね。」
ノイマンが小さく頷きながら言った。
「いえ……まだ肝心のパイロットが赴任しておりません。それに、やってくる大多数のパイロットはベルカン・ユーゲントの子供たちです。出撃させたら………機体もろとも、まず還ってくることはないでしょう。」
「その報告は聞いているよ。だが、それでも本作戦の目的である遅滞攻撃は可能だ。いかなる犠牲を払おうとも、連合軍にノルトベルカの地を踏ませなかったら、こちらの勝ちだ。」
フリードリッヒは内心鼻白んだ。
ノイマン大将が発した一言一言に、今後の作戦に掛ける並ならぬ決意を感じ取ったのである。

その時―――爆音を伴って1機のF-15E<ストライクイーグル>が猛然と離陸していった。
「あれはF-15D…いやE型か。最近は、運用部隊も少なくなったが…。」
見上げる視線の先で、離陸した1機のF-15Eが思い切りの良いロールをしながら上昇していくを見てノイマンは、思わずその厳しい顔を崩した。
「ハハッ…元気がいいな。」
「閣下、お食事の用意が整ったそうです。師団本部へご案内いたします。」
「まぁ、待ちたまえ。君の部下の腕前を見ておこう。」
フリードリッヒ少将の言葉を制して、ノイマン大将は滑走路を見続けていた。
先頭の機に続き、実に危なっかしい操舵で次々とグリペンが離陸していく。
その数6機―――
「あのグリペンのパイロットは、補充されたベルカン・ユーゲントです。あれでは、いつ事故が起きてもおかしくありません。」
フリードリッヒ少将が呻くように言った。
その声を聞きながら、ノイマン大将は目を細めて離陸を見守る。
最後の1機がスロットルチェックを終え、滑走を開始した時、ノイマン大将の目は釘付けとなった。
その1機のF-15Eは、一気に速度を上げると、タイヤが地面を離れた瞬間、全ての脚を格納する。
そのまま機首を上げることなく加速―――
高度は約5メートル…まさに滑走路の上を水平に飛び抜けていく。
ぐんぐん速度を上げていく機体は、まるで鞘から抜き放った白刃のような冷たい殺気が感じられた。
「―――ラインダース少尉か。まったく……!!」
F100-PW-229 ターボファンエンジンが巻き起こす轟音に耳を塞ぎながら、フリードリッヒ少将は罵り声をあげるが、ノイマン大将の耳には届かない。
一瞬でも早く離陸し、速度を稼ぎたい実戦経験者は、ああいった離陸の仕方をする。
轟音と共に、純白に身を包んだ機体が悠然と飛び立っていくのを、ノイマンは黙って見送った。
「いい腕だ。だが、まだまだ若いな。」
「判りますか?」
「ああ、何となくね。」
遠ざかっていく機体を見送っていたノイマンの足が少しずつ動き出した。
紺碧の空記事全文CM:0

紺碧の空?別離・遠き故郷?

2008/12/06 14:41

気がつくと、私は見知らぬ空域を飛んでいた。
ここは一体どこなのだろう。
コクピットから見下ろした私は、眼下に広がる街並みを見て息を呑んだ。
市街には赤々と炎が立ち上り、闇夜を焦がしている。
街に流れる大きな河の色は、その炎に照らされ血のように赤かった。
その中に、浮きつ沈みつしながら、無数の人々が流れて行く。
大人も子供も、男も女も、その河の中に蠢く人々が必死に助けを求めていた。
「熱い……熱いよ!」
「子供が!子供がまだ中にいるんです!」
聴こえる筈もないその声は、遥か下から地鳴りのように湧き上がってくる。
たまらず操縦桿を押し込んでダイブに移ろうとした私の耳に、今度は悲痛なパイロットたちの声が飛び込んできた。
『畜生!キャノピーが飛ばないっ!?助けてくれ!誰か!!』
『増援を!!もうこっちには弾がない!』
『隊長!うわあっ!』
周囲で、続けざまに爆発音が聞こえた。
炎の尾を引いて、次々と味方の機が落ちて行く。
悲鳴が割れるほど頭の中で反響し、そのいずれに対しても救いの手を差し伸べられないことが、私の心を嫌というほど苛んだ。
ふと見ると、自分の手が真っ赤に濡れている。
操縦桿やスロットルを握ろうとするが、ヌルヌルと滑ってなかなか掴めない。
一刻も早く助けに向かおうと焦る私をあざ笑うかのように、私の背後から黒い影が圧し掛かってきた。
黒衣をまとい、せせら笑いをフードの奥で浮かべたそれは、冷たく光る鎌を私の喉に押し当てた。

1995年5月26日 午前5時03分 ベルカ公国 シュレースヴィヒエリア  アウクスブルク市 ラインダース家

「っ………!!」
カーテン越しに差し込む薄い陽射しに、私は目を覚ました。
全身が汗でびっしょりと濡れ、胸の鼓動は息苦しいほどだった。
こめかみがズキズキと脈打ち、私は目を開けたまま左手をそっと額に手を当てる。
徐々に視界がはっきりし、寝室の天井が見えた時、安堵の吐息が口を洩れた。
(夢……か……)
そっと祈りの言葉を呟いた私は、ふと自分の横に温もりと共に金色の塊が存在するのに気がついた。
(――――――っ!!!!!!!)
そこには枕に半分顔を埋めるようにして、ニーナが安心しきった顔で寝息を立てていた。
長いまつげが白い頬の上に影を落とし、時折そこにえくぼが刻まれる。
桜色の唇が笑みを浮かべ、白い歯がこぼれていた。
「う…ん…」
小さく息を吐きながら、自分が動いたために出来た隙間を埋めるようにくっついてくる。
「…ホ…ル……スト…」
腕に寄せられた唇と、その柔らかい肌の感触に戸惑い、自分を改めて見て見れば何も着ていない。
もちろんニーナも…。
理解できない現在の状況に頭の中が混乱する。
(落ち着け、落ち着けよ、俺!と…とにかく、この状況に至るまでの経緯を思い出すんだ……)
確か、沈黙に耐えられず、寝酒と称して2本ほどビール空けた。
その後、真面目な話をして………酔った勢いで更に美味しそうなワインを見つけたから、それを飲み始めたのまでは覚えてる。
……鼻に抜けるアルコールの香りすらだんだん感じられなくなって…何だか体がふわふわしていい気持ちになった後……。
(や…やばい…………全く憶えてない…)
この状況下では、その空白の記憶の中でどういったことが起こったのかは容易に想像がつくのだが、だからといって人生初めての状況下で動揺するなという方が無理な話だった。
時刻は5時を少し回ったところである。
緯度が高いせいか、昨夜も少し冷え込んだのだろう。
顔に当たる空気はまだ少し肌寒く、傍らのぬくもりから離れるのが残念ではある。
だが、ラインダース家の長男が、事もあろうに寝ぼけ眼で女性の部屋から出てきたとあっては、ニーナの立場すら悪くなる。
床に落ちていた服を手早く身に着け、そっとニーナに布団をかけ直してから、私は音を立てないように部屋を出た。

1階のキッチンに入ると、すっかり身づくろいを済ませた母親が、近所の主婦たちと忙しく立ち働いていた。
オーブンに火が入り、コンロに掛けられた大鍋からは盛大に湯気が立っている。
香ばしい匂いが鼻を刺激して、思わず私のお腹が鳴った。
「あら、もう起きたの。早いのね」
大鍋で煮られているスープの味見をしていた母親は、私に気付いて声を上げた。
「休暇の朝くらい、もっとゆっくり寝ていればよかったのに。」
「おはよう、母さん。良い匂いだね。」
「マルスト公園に、西の方から逃げてきた人たちが暮らしているの。みんなで、その人たちへの炊き出しを作っているところよ。」
「そっか、無理しないようにね。ところで、コーヒーをもらっていいかな?」
「コーヒー?インスタントで良ければ、そこの棚に入っているわよ。」
「ありがとう、じゃあ遠慮なくもらうね。」
「カップは好きな物を使ってちょうだい。そういえば、ニーナさんは?」
「まだ寝ているみたい。長旅の疲れもあるだろうし、もう少しそっとしておこうと思うんだけど。」
母親は、それを聞いて悪戯っぽく笑った。
「あらあら優しいこと、羨ましいわ。父さんも、昔はそうだったんだけれど。じゃあ、もうすぐ朝食だし、目覚めのコーヒーを淹れておあげなさい。」
ピピピピピピピピピピ…
湯気の立つコーヒーをトレイに載せて、出て行った時と同様にそっとニーナの部屋に戻って来た私を軽やかな電子音が出迎えた。
ニーナのベッド脇に置かれたサイドテーブルの上で、小さな目覚ましがを奏でる。
見覚えがないところを見ると、たぶん彼女の私物なのだろう。
すっぽりと被った布団から僅かに金髪が覗いている。
それが、もぞもぞと動くと白い手が伸び目覚ましを止めた。
「んん??…頭痛い……寒い…。ここは…?」
ムクリと起き上がった彼女は、不安そうにキョロキョロと辺りを見回す。
「……あれ…ホルスト?」
迷子の子供が、母親を呼ぶような声を出していたニーナが、私を認めて安堵したように笑顔になった
「コ…コーヒー持ってきたんだ、こ…ここに置くよ。」
その姿を直視できず、私は壁際の机にトレイを置くと慌ててニーナから視線を逸らした。
だが、時既に遅くニーナの裸身は網膜にくっきりと焼き付いてしまっている。
(見ようとして見たんじゃない!しかも、一瞬しか見てない!これは不可抗力だ!)
当のニーナは自分の格好を全く意に介していない様子で、機嫌良く笑顔を浮かべている。
(早く自分の格好に気がつけよ!…色々と困るじゃないか!)
さっきまでの肌寒さはどこへやら…私の鼓動は早鐘のように早くなり、直視することができないから視線は部屋のあちこちへと移る。

「そっか、ホルストの家に来てたんだよね。…ねぇ、さっきから何で顔背けるのよ?」
(何でじゃねえ!)
思わず心の中で突っ込みをいれるものの、事態は一向に打開する気配がない。
これは夢じゃないかと疑ったぐらいだ。
「あ…あのさ、ニ…ニーナ、その…服を……」
「え?」
(やっぱり認識してなかったのかよ!)
言わなければ良かったと一瞬後悔したが、息を呑むような音が聞こえた後、彼女は慌ててシーツを身体に巻きつけキッとこちらを睨んだ。
「な、何で見るのよ、スケベ!」
「見てない!一瞬しか見てない!!」
慌てて、先ほど心の中でした弁解を口にする。
「ホルストって…真面目な顔してそういうことばかり考えているんでしょ…」
「そっ…そんなことっ!……ない…と思う…。」
じと目で睨むニーナの眼力に、反論も尻すぼみとなってしまう。
「…昨夜のこと覚えてる?」
「いや…それがほとんど……」
長い人生の中で誰もが1度や2度は泥酔を経験する。
だが、泥酔することに罪はない……最も恐ろしいのは泥酔をして何をしたのかだ。
本人が記憶していない事実を他人が事細かに知っているというのは、決して愉快なものではない。
「……ふぅん」
面白くもなさそうに呟いて、ニーナはポンポンとベッドを叩いた。
ここまで来いということらしい。
僕は恐る恐るベッドに近づき、シーツを身体に巻きつけたままの彼女の隣に腰を下ろす。
ニーナは、私の態度にくすくすと笑うと抱擁を待つように少し両手を広げた。
「良かった……昨日のことが夢だったらどうしようって、ちょっと怖かった。」
私は手を伸ばしてニーナの頬を軽く抓った。
「あたっ」
「夢じゃないだろ?」
「もう、痛いじゃない。暴力反対っ」
ふざけて軽く振り上げた拳を手のひらで受け止めて、そのまま抱き寄せた。
それから少し長めのキス。
その気にならずに済むくらいのキス。
とうとう越えてしまった、彼女との一線。
胸に抱えきれないほどの愛しさと、ほんの少しの後ろめたさ。
ニーナと再び会える時、ベルカはどうなっているだろう。
公国の崩壊は如実に迫り、自分の命の保証はまるでない。
だが、私の脳裏に浮かぶ未来は決して暗いものではなかった。
ベルカは負ける。
だが、負けたままでいることは決してないだろう。
勤勉で努力家なベルカ人は、必ずや廃墟からの復興を遂げるはずだ。
そして、我々の後の世代は、この戦争を糧として成長していくだろう。
今、戦火に荒れ果てた故郷の山河は、いつか必ず元の美しい姿を取り戻す。
美しい光景を与えてくれる祖国をこれ以上の蹂躙させないため、守り抜くかねばならない。
それが、この戦いに加担してしまった自分にできる精一杯の償いなのだ。
そしていつの日か、ニーナを家族として迎え入れ幸せな食卓を囲むようになるだろう。
戦前は当たり前だった一家揃っての団欒…。
そんな安らぎを得るために、自分は全てを賭けよう。
私は、ニーナの柔らかい唇を感じながら静かに決意を固めた。

ベルカパンとソーセージ、付け合せにザワークラウトとジャガイモのベーコン炒め。それに卵と暖かいスープ。
朝食は簡素なものだったが、久々に家族が揃っていることが、食卓の雰囲気を明るいものにしていた。
食後のコーヒーを飲みながら、こりもせずベルカ軍の圧倒的勝利ばかりを書きたてた新聞に目を通し、男たちは煙草を嗜む。
景気の良い見出しに批判と苦言で花を咲かせた後、父親とハインツは役場に向かった。
夜行の時間までは、実家でゆっくりと過ごしたいと願っていた私だったが、久しぶりに町で買い物をしたいと言うクリスティーナにせがまれてアウクスブルク市内に行くことになった。
「夕方までには帰って来るからね。」
見送る母親に、私は運転席から声をかけた。
「夕食はうちで食べるから。何かいる物はある?」
「そうね、美味しそうなワインがあれば買ってきてくれるかしら。」
「分かった。良さそうな物があるかどうか探してみよう。ブライテ通りなら良い物が見つかるかも知れない。」
私は微笑んで言った。
「任せるわ。気をつけて行ってらっしゃい。ニーナさんにも町を案内して差し上げなさいよ。クリス、晩御飯が食べられなくなるほど買い食いしちゃ駄目よ。」
「もう!母さん、子供扱いしないでよ!」
後部座席からクリスティーナが抗議の声を上げた。
ニーナがその隣で、微笑ましそうにそれを眺めている。
バックミラー越しにそれを見て微笑んだ私は、クラッチをつなぐと、母親に手を振って車をスタートさせた。
「じゃ、行ってくるよ。」
ニーナとクリスティーナも明るく声をかけ、手を振る。
私はもう一度バックミラーに目をやった。
遠ざかって行く実家の玄関に向かい、妹はまだ手を振っていた。
その姿が心なしか霞んで見え、私はハンドルを切りながらせわしなくまばたきをした。

1995年5月26日 午前10時24分 ベルカ公国 シュレースヴィヒ州エリア アウクスブルク市

ベルカ第2の港町として知られるアウクスブルクは、また建物の美しさでも有名だった。
852年の歴史を誇る港町は、40万に達する人口を抱えながら、なお古きよき中世の佇まいを色濃く残していた。
私が、昨日降り立った駅から少し歩いた所に、1478年に竣工したレンガ造りの巨大な門がある。
マルスト門と名づけられたその門は、ベルカの紙幣にも印刷されるほど国民の間に知れ渡っている。
その莫大な重量ゆえに、一部建物が地面にめり込んでしまい、建物が傾いてしまっていることが建物の厚さを物語っていた。
門の中は歴史博物館になっており、面積はそれほどでもないものの、昔のアウクスブルク市街地の模型や帆船の模型、さらに中世の武器なども展示されており、この町の長い歴史の重みを感じさせる。
門の部分の上には「内は団結、外には平和」と金文字がきざんであり、そこを抜ければ広大な敷地を持つ公園となっていた。
開戦前、休日ともなれば多くの人が憩いの場として利用していた公園は、今は国境地帯から戦火に追われて逃げてきた人々の避難所となっていた。
ポールには大きな赤十字の旗が掲げられ、その周囲は急ごしらえのテントが所狭しとならんでいた。

その公園と隣接して、父親や弟が勤める市庁舎が建っている。
この市庁舎も外見に特徴があり、アウクスブルク特有の黒レンガ造りと風を通すために大きな穴の空いた壁、1586年に玄関部のレリーフに付け加えられた出窓。
外階段をはじめとするルネッサンス様式の装飾物全てに気品を感じさせられる。
市庁舎の中はガイドツアーで見学でき、天井のスタッコ装飾や踊り場に描かれた壁画、歴史を感じさせる市議会場などを見ることができた。

町の中央には大きな建築物が集中し、市内の各所を結ぶ路面電車も走っていたが、中心部を離れると住宅地域へ向かう路地があちこちにありその多くが石畳で覆われている。
そうした路地に繋がる通りには、いくつもの店が軒を連ね四季折々の食べ物を売っていた。
憲兵や警察官が警邏し、町角に国旗や党旗が掲げられてはいたが、町は昔と変わらないように見えた。
もっとも、アウクスブルクは港湾設備こそ優秀であっても、すでにそれを利用するべき軍艦の姿はなく、軍需産業を抱えているわけでもないから、連合軍から見れば、慌てて攻略するほどのものではなかったのかもしれない。
市営駐車場に車を止めると、私たちは連れ立って意気揚々と歩き出した。
私の左側にはニーナ、右側にはクリスティーナが並び、久しぶりに出会った都会の喧騒に顔を紅潮させている。
物珍し気に周囲を見回しては歓声を上げ、私の腕をぐいぐい引っ張るクリスティーナに閉口しながらも、私は自然と口許がほころんでいった。
「クリス、そんなに手を引っ張るなってば。時間はまだあるんだから、少しは懐かしい景色を楽しませてくれよ。」
「だぁめっ。風景なんて、帰り時にゆっくり見ればいいじゃないの。」
クリスティーナは、私を引きずるようにしてずんずん歩いていく。
一体どこまで連れて行くのかと周囲を見回していた私だが、目の前に見えてきた長大な商店街にようやく妹の趣旨が読めた。
「何だ、ブライテ通りかよ。いきなり買い物か?」
「何だとは何よ。」
クリスティーナは、心持ち胸を反らして言い返す。
「若い女性を2人も連れて街に出たなら、まずショッピングと相場が決まってるじゃない。ほんとにもう、女心を分かってないんだから。」
「そんなもんなのか?」
「どうせ、兄さん、任務任務で、ニーナさんと買い物なんてしたことないんでしょ?お互いの趣味は知っておいた方がいいわよぉ…兄さんみたいな朴念仁は特に。」
クリスティーナが意地悪そうな笑みを浮かべた。
「参ったな、こりゃ……」
痛いところを突かれて、私とニーナは苦笑を浮かる。
「それではお嬢さん。不肖このホルスト・ラインダース、仰せのままにお供致しましょう。」
「うむ、よろしい。」
芝居がかった口調で私が同意すると、クリスティーナは満足そうに顔をほころばせ、また先陣をきって歩き出した。

アウクスブルクは、ガラス細工や彫金の町としても有名であった。
街中には、大小いくつもの手工芸品店が軒を並べ、技能の粋を尽くした工芸品がずらりと陳列されている。
母親から頼まれたワインを私が選んでいる間に、ニーナたちは素晴らしい細工の数々に目を見張り、手に取っては感嘆のため息をついていた。
「ね、お腹が空かない?」
都心部で買い物していることで気分がすっきりしたのか、クリスティーナが晴れ晴れとした表情を浮かべ尋ねてきた。
だが、洋服やら装飾品やらを片っ端から持たされている私の方は、それどころではない。
とにかく一旦車に戻って、荷物を押し込んでこなくてはと思っていると、意中の店を目ざとく見つけた彼女が脱兎の如く駆け出して行った。
「まるで子鹿のようね、妹さん。」
ニーナが笑って言う。
私は両手いっぱいに抱えた箱の陰で盛大にため息をついた。
「子鹿……、そんな可愛らしいもんじゃない。……あれじゃまるで猟犬だな。」
「また、そんなひどいことを言って。」
「しかしよくもまぁ、あれだけ走り回れるもんだ。」
「ホルスト……その言葉、ちょっと年寄りくさいよ。」
「いや、最近つくづく思うね。十代の体力が羨ましいよ。」
私がぼやいていると、湯気の立つ小さな包みを持ったクリスティーナが駆け戻って来た。
「そこのソーセージ屋さんで、ガルデンブルクソーセージを買ってきたわ。はい、ニーナさん。熱いから気をつけて下さいね。兄さんには、あたしが食べさせてあげる。焼いたのと茹でたのと、どっちがいい?」
「俺はいいよ。第一こんな所で…。」
言いかけた私の腹がグゥと抗議の音を立てた。
クリスティーナは「ほらみろ」というように指を立てて見せ、包みから焼きたてのソーセージを取り出した。
「はい、口開けて。あーん。」
「ば、ばかっ」
「いいからいいから。恥ずかしがることないわよ。ほら、みんなお店の前で立ち食いしてるじゃない。」
有無を言わせず私の口にソーセージを押し込むと、彼女はまた別の店を見つけて、瞳を輝かせた。
「あっ!!ねえねえ。グリューヴァインを売ってるわ。2人とも飲むでしょ?ちょっと行って来るわね!」
ニーナにソーセージを引っぱり出してもらい、かろうじて窒息を免れた私が、口の中の物をようやく嚥下した時には、クリスティーナは既に走り去ってしまっていた。
再びため息をついた私の顔を見て、ニーナはくすくす笑いながら言った。
「…ごめん、ホルスト。前言撤回するわ…ほんと猟犬並みの動きね。あれが戦闘機だったらロックなんてできやしない。」
グリューヴァインとは、ワインにシナモンやクローブといった香辛料を始め、砂糖やレモンを加えて暖めた飲み物である。
オーシアの方ではホットワインとも呼ばれているそうだ。
暖めてあるので、アルコール分は殆ど飛んでしまって、あまり酔うことはない。
ベルカでは、老いも若きも暖を取るためによくこれを飲む。
今しも店の前では、紙コップを挙げた赤ら顔の老人たちが民謡の大合唱をしていた。
そこへ飛び込んだクリスティーナが、歓声で迎えられる。
彼女の小柄な身体は、たちまち人ごみの中に飲み込まれて見えなくなった。
しばらく待ってみたが、彼女はなかなか出て来ない。
腕に抱えた荷物の重みがこたえてくる。
「ちょっと、荷物を車に積んでくるよ。クリスが戻ったら、マルスト公園の入り口辺りまで来てくれ。そこで落ち合おう。」
しびれを切らした私は、ニーナをその場に残して駐車場へ向かった。
大衆車として作られたフォルクスワーゲンT1<ビートル>のトランクは狭い。
私は、箱の大きさに悪態をつきながら、かさばる荷物を何とかしてねじ込もうと悪戦苦闘を重ねた。
ようやく骨の折れる作業を終え、トランクを閉めようとして、私は雷が近づいていることに気づいた。
その音は、一面に黒く広がる雲を陰々と震わせて、次第に大きくなってくる。
今夜は雷雨になるのではと思われた。
故郷を離れる旅立ちの夜は、せめて晴れ渡っていてほしかった。
(明日の飛行に差しさわりがないと良いけど…)
私は軽く舌打ちをして、ルーフに置いていた軍帽を被りなおす。
トランクを閉めた私は、かすかに耳に飛び込んできた音にハッと顔を強張らせた。
神経を集中させ、分厚い雲の彼方に聞き耳を立てる。
私の耳は、遠雷に混じって聞こえた人工的な雷鳴を捕らえていた。
間違えようのない、あの金属的な重低音。
そう―――あれは。
その思いに呼応したように、広場のあちこちに取り付けられた拡声器から、一斉にぞっとするようなサイレン音が吐き出された。

1995年5月26日 午後12時38分 ベルカ公国 シュレースヴィヒエリア アウクスブルク市

私は脱兎の如く駆け出した。
棒立ちになっている通行人を乱暴にかわし、全力で走る。
普段全力で走ることのない距離に肺が悲鳴をあげ、呼吸が乱れる。
動きにくい第二種軍装でいることを心の中で罵った。
わずか数百メートルの距離が、まるで数百キロもあるかのような思いを味わいながら、私は公園に辿り着いた。
突然降って湧いたような空襲警報に、誰もが右往左往し公園一帯…いや市街地全てが騒然としている。
市庁舎から程近い、海軍の管区司令部庁舎上に据えつけられた高射機関砲がゆっくりと身を起こすと、それに追随するように地対空ミサイルを装備した自走砲や大口径の高射砲が動き出す。
交番からばらばらと飛び出して来た警察官たちが、逃げ惑う市民たちを建物の蔭に誘導しようとするが、その数はあまりにも少ない。
騒ぎはますます大きくなるばかりだった。
荒い呼吸を繰り返しながらも私は、いくつかの黒点が雲の表面に浮き出るように現れたのを見つけ、再び石畳を蹴って走り出した。
ぶつかってくる者たちを押しのけ、かき分けて公園の入り口に向かう。
私の目は慌しく左右に走り、ニーナと妹を捜し求めた。
「ニーナ!クリス!!」
見覚えのある、水色のワンピースが視界に飛び込んで来た。
人ごみに押し流されるようにして、それは公園内へと見え隠れしながら離れて行く。
私の声に気づいたのか、しきりに手を振っていた。
見る見る遠ざかって行くニーナを追って、私はがむしゃらに走った。
けたたましく鳴り響く警報に混じって、彼の耳はかすかに猛禽が鳴くような音を捉えた。
それは間違いなく戦闘機が発するする音―――
そして、聞き覚えのあるエンジン音。
振り仰ぐと、黒点は今やはっきりとした機影となって上空に迫っていた。
黒く塗装されさらに重厚感を増して見える角ばった大柄な機体。
特徴ある大きな吸気口とそびえ立つような二枚の垂直尾翼。
大馬力のエンジンが立てる、吼えるような排気音。
そう、愛機<ストライクイーグル>と同じ姿が私の網膜に映った。
高射機関砲が、唸りを上げて射撃を開始する。
耳をつんざく射撃音とともに、曳光弾をまじえた40ミリの弾丸が空気を薙ぎ払う。
一呼吸遅れて、高射砲が周囲の音をかき消さんばかりの轟音と共に砲弾を撃ち出す。
あっという間に上空に弾幕が展開され、公園付近は砲声と硝煙の臭いに包まれた。
逃げ惑う人々が、次々と建物の蔭や路地へ飛び込む。
公園の真ん中が閑散とし、そこへ猛スピードで兵士を載せたトラックが走り込んで来た。
手に手に重機関銃や自動小銃を持った兵士たちが飛び降り散開する。
手近な遮蔽物の陰に身を隠して、爆音のする方へ銃を向け、めくら撃ちに射撃を開始した。
弾幕を突き破って、エンジン音が響き渡る。
咄嗟に私は、あらん限りの声を振り絞って叫んだ。
「伏せろ!!」
同時に、両手で頭を庇いながら石畳に突っ伏す。
途端に背後でバリバリという凄まじい音がした。
路上に伏した私の近くに銃弾が炸裂し、粉砕された石の欠片が飛び散る。
20ミリ機銃の掃射が、嵐のように周囲の石畳をめくり上げ、前方に停止していたトラックを正確に捉えた。
ガンガンと装甲版に着弾する音と兵士の絶叫。
それに続いて猛禽を思わせるエンジン音が上空をかすめ過ぎた。
突風が吹き抜け、石の破片が頬や首筋に無数の傷をつけて舞い上がる。
2、3、4―――全部で4機。
私は冷静に敵機を数えると、思い切って身を起こした。
視線を慌しく左右に走らせる。
トラックの向こうにうずくまっている人影を見た瞬間、その目は大きく見開かれた。
「クリス!!」
私は叫んで走り出した。
後方から轟音が響き、再び敵のイーグルが迫ってくることを知らせていた。
(遠すぎる…間に合わない。)
機銃掃射を逃れても、トラックが爆発すれば爆風にやられる。
背後で、ぞっとするような射撃音が響いた。
本能的に体が反応し石畳の上に突っ伏した私は、飛び散る破片を透かし見て絶叫した。
「ニーナ!!」
物陰から飛び出した水色のワンピースが、うずくまっているクリスティーナを突き倒すようにして覆い被さる。
その周囲に銃弾が炸裂し、粉塵が二人の姿をかき消した。
「ニーナ!!クリス!!」
私の声は、続いて起こった爆発音にかき消された。
トラックのボンネットがちぎれ飛び、爆炎を噴き上げる。
兵士の体が絶叫とともに宙に舞い上がった。
爆風にあおられて、立ち上がりかけていた私は数メートル吹き飛ばされる。
頭を石畳に打ち付け、ふっと意識が遠のく。
目の前が暗くなり、闇に沈み込もうとする意識の中で、私は必死にもがいた。

どのくらい、倒れていたのだろうか。
ようやく私が意識を取り戻した時、敵機の爆音はもう聞こえなかった。
対空砲の砲声も途絶え、警報のサイレンも消えていた。
あちこちで人の呻き声と、家族の名前を呼びながら走り回っている人たちの声が聞こえる。
起き上がろうとすると、身体の痛みと共に猛烈な吐き気が襲ってきた。
脳震盪を起こしていたらしい。
首を振って湧き上がる吐き気をこらえた私は、荒い息をついて体を起こすと、周囲を見渡して呆然とした。
紅蓮の炎を上げているトラックの周りで負傷した兵士たちが呻き、金属片が散乱し、タンクからは燃料の軽油が流れ出している。
倒れて動かない兵士の軍服は真っ赤に染まり、流れ出した血が油と混ざり石畳に奇妙な色の血溜まりを作っていた。
私は、呻きながら立ち上がると、よろよろと歩き出した。
トラックの残骸を迂回し、立ち上る黒煙を抜けると、折り重なるようにして倒れている人影が目に入った。
「ニーナ!クリス!!」
もつれる足を懸命に動かして二人に駆け寄る。
ニーナのワンピースは、爆風であちこちが裂けていた。
おびただしい数の石片や金属片が、その上に飛び散っている。
その身体の下から、いく筋かの赤いものが流れ出し水色のワンピースを赤黒く染めていた。
私は崩れるように座り込むと、ニーナの身体を抱き起こした。
「ニーナ!しっかりしろ!目を開けてくれ!!」
激しく肩を揺さぶる。
彼女の白い顎がのけぞりガクガクと揺れた。
頬から首筋にかけて、いくつもの切り傷が刻まれ、顔は爆炎を浴びて黒くすすけている。
「ニーナ!!」
最悪の事態が頭をよぎり慌しくその胸に耳を当てた私は、一呼吸の後安堵の吐息をついた。
規則正しい鼓動が耳を叩く。
ほどなくふっくらと盛り上がった胸が大きく上下し、睫毛がかすかに震えた。
まぶたがうっすらと開き、茶色の瞳が私を見上げる。
色を失った唇から、かすれた声がこぼれた。
「…ホルスト。」
「ニーナ!」
私は、思わず彼女の華奢な身体を強く抱きしめた。
ニーナの腕がゆっくりと上がり、弱々しく私の背に回される。
「どこか痛むか?大丈夫か!?」
こくりと頷いたニーナを見て、再び安堵感がこみ上げる。
だがそれは、次にニーナが発した言葉で消し飛んだ。
「私より…妹さんは…?」
はっとしてクリスティーナを見やった途端、ぞっと冷たいものが私の背筋を走った。
倒れたまま動かないクリスティーナ……そのカットソーの背に開いた銃創から、真っ赤なものが絶え間なく湧き出していた。
「クリス!!」
抱き起こした妹の顔は、既に生気を失っていた。
だらりと腕が両側に垂れ、顎がのけぞった。
そのまぶたは固く閉じられ、半開きになった唇から一筋の血が流れ出ている。
背中から入った弾丸は、胸のすぐ下を抜けそこにあるべき肉体はもぎ取られていた。
「…………!!」
ニーナが顔を覆い激しく嗚咽する。
私は、ぬくもりを失い始めている妹の身体を抱きしめて、血の出るほど唇を噛み締める。
喰いしばった歯の間から、押し殺した呻きが洩れた。
抑えようもない悲しみが胸を押しつぶし、私の胸はえぐられるような痛みに悲鳴を上げた。
担架を抱えて駆け寄って来た兵士が、おずおずと尋ねてくる。
「…そのご婦人は……?」
私は視線を上げて、かすかに首を振った。

1995年5月26日 午後14時17分 ベルカ公国 シュレースヴィヒエリア アウクスブルク市

ほんの1時間前まで笑みを浮かべていた唇は、血の気を失い薄く開いたまま動かない。
生き生きと躍動していた肢体は強張り、毛布にくるまっている。
その毛布に付着した血痕さえなければ、クリスティーナは熟睡しているようにも見えた。
見つめていると、今にも悪戯っぽい笑みを浮かべて目を開けるのではないか……そんな虚しい期待が、ともすれば湧き上がってくるのに耐え切れず、私は遺体から目を逸らした。
既に空は黒い雨雲に覆われ、今にも大粒の雨が降ってきそうだった。
雷の音も次第にその間隔を狭めてきている。
私は、上空を見上げながら言いようもない怒りに胸を焼かれていた。

記憶の糸をたどり、先刻の状況を思い返してみる。
僅か5分ほどの空襲だった。
攻撃してきた回数は1航過……多くて2航過だろう。
見回す限り、破壊されたのはトラックと対空火器だけで、周囲の建物には被害がないようだった。
広場の各所に炎が上がっていたが爆弾やミサイルによるものではなく、機銃掃射によって爆発炎上したものだけのようだ。
曲がりなりにも、近隣にガルデンブルクやハンザなどの航空基地が存在し、数を減らしたとはいえ強力な防空戦力が残っていることを考えると、僅か4機程度の散発的な攻撃とは考えにくい。
だが、軍港を押さえるという点で考えれば、戦略的価値がある程度高いアウクスブルクを空襲する意義は大きい。
対空武装による威力偵察と考えるのが自然であった。
ならば航続距離の比較的長いF?15が飛来してきたことも納得がいく。
直前まで警報が発せられなかったことを考えれば、低空侵入に長けた私の愛機と同じE型の可能性が高い。
そう考えれば特徴的なあの黒い塗装……グラディサント要塞上空で被弾させられたあの部隊と同じにも見える。
あの部隊の……いや、正確には最後に交戦した敵機のパイロットであれば、目も開けていられないほどの曳光弾の中、1回の航過で目標を撃破するなど容易いことだろう。
だが、公園には、赤十字の旗が掲げられていたはずである。
それは、そこが医療施設であることを示していた。
そして、医療施設への攻撃は各国が取り決めた条約違反だ。
ベルカはもとより、オーシアもサピンもこの条約を批准しているはずだ。
確かに、その公園内に徴用車とはいえ兵士を乗せたトラックを乗り入れさせたのはベルカだ。
だが、上空から見ればその周囲に非戦闘員が大量にいることが見えたはずだ。
それでも…狙わなければならない目標だったのだろうか……。
いや、これが戦争なのだ。
しかし…だからと言って、この妹の血をそんな言葉でごまかすことができるだろうか。
この血の償いは誰が受けるべきなのだろうか…。
私の中で何かが音を立てて切れた。
黒雲が輝き、一瞬強烈な光が周囲を白く染める。
その輝きに照らされ、そこかしこに累々と横たわるものたちが浮かび上がる。
自分が命を賭けて守ろうとしたものの結果が……そこにあった。
自分は何て偉そうなことを考えていたのだろう。
安らぎを守る?
―――愚かなことを。
ホルスト……貴様は何一つできなかったではないか。
噛み締めた奥歯がガリッという音をたてる。
怒り…悲しみ……虚しさ………そして嫌悪。
様々な感情が心の中で混ざり合い燃え上がった。
(決して許さない………)
私にはもはや、それを抑える術を持たなかった。
妹の血で染まった拳をきつく握り締める。
既に凝固していた血が、ぱらぱらと零れ落ちていく。

背後で、車が急停車する音が聞こえた。
慌しくこちらに駆け寄る足音に振り返ると、片足を引きずるニーナに誘導され顔面を蒼白にした両親やハインツが近づいてくるところであった。
「私が連絡したの……」
ニーナが荒い息をつきながら言った。
私はそれに対して何も言うことが出来ずに、ただただ地面を見つめるだけだった。
妹の変わり果てた姿を見つめる母親のガラス玉のような瞳は、衝撃のあまり今にも割れてしまいそうだった。
彼女は力が抜けたようにがくりと膝をつくと、頭を抱えて悲鳴を上げた。
「いやああああ……っ!」
父親が慌てて妻の体を両腕で強く抱きしめる。
「ユスティーナ、落ち着きなさい! ユスティーナ!」
母親は泣き叫ぶように声を上げながら、そのまま夫の腕の中で意識を失くした。
父親は母親をハインツに預けると、妹の亡骸をそっと近づいた。
物言わぬ姿となったクリスティーナの傍らに跪くと、顔を覆い隠すようにして自らの額に手を当てる。
彼は声を出さずに泣いていた。
弟の瞳からも涙が溢れて頬をつたった。
「神よ……」
そう呟いて、父親は震える手で十字をきると亡骸を抱き上げた。
「…父さん……私は基地に戻ります…」
私は、父親に背を向けたまま言った。
「…クリスの葬儀があるというのに何をバカなことを…」
少し怒気を含んだ言葉と共に父親がこちらに振りかった気配を感じた。
「…クリスの命……その罪を全ての連合軍に償わせます…。」
拳を握り、俯いたまま私は呻くように言った。
「ホルストッ……!」!
「兄さんッ!」
父親と弟の声が重なる。
お互いに紡ぐべき言葉が見つからぬまま、しばらくの間、沈黙が続いた。
「……往きます。後のことをお願いします。」
心の中にある何かを断ち切るように口を開き、駅に向けて歩き出した私の前にニーナが立ちふさがった。
ニーナは目元ににじみ出た涙を拭い、頭ひとつ離れた私の目を静かに見つめ少し煤けた私の軍帽を差し出す。
「お願い、ホルスト。約束して……必ず帰って来ると。」
「……ニーナ…」
「……お願い。」
「………。」
私は黙ったままニーナの瞳を見つめ返した。
こんな形で一旦別れるのは嫌だった。
それ以上に、ニーナには笑顔で見送って欲しかった。
だが、私にはニーナの言葉に返すべき言葉が思い浮かばなかった。
「イヤな胸騒ぎがするの……。私はホルストが帰ってくるのを信じてる……でも…」
「ニーナ……」
私は軍帽を受け取りながら、続きそうだったニーナの言葉を遮った。
「前に約束しただろ。俺はどうやっても帰ってくるさ。だから、お前の胸騒ぎは気のせいだ…」
その言葉に、全く確証はない。
だが……そう言う以外に、なんと口にすれば良いのだろう。
知り合いの誰もいないこの町で、私からの連絡がないまましばらく過ごさなければならない彼女に、一体何と言えばいいのだろうか・・・。
「……親父たちを頼む…。」
答えが見つからないまま、私は軍帽を目深に被り再び駅に向けて歩を進めた。
紺碧の空記事全文CM:2

紺碧の空?幸福の行方?

2008/10/07 11:28

1995年5月25日 午後1時05分 ベルカ公国シュレースヴィヒエリア アウクスブルク駅

「いい町だから、君もすぐに慣れると思うよ。」
振り返ってそう背後の人間に一声かえると、私はゆっくりとホームに降り立ち、故郷の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ベルカ第2の港町、アウクスブルク。
北海に面して位置する、人口40万人の自然に恵まれた臨海都市。
地形的に天然の良港と言われ、古くは海賊の根城として、近代に入ってからは海軍第三管区司令部が設置されたことにより軍港として活気をも呈したが、今では港を埋める船の大半が漁船で冴えない港町のようにしか見えなかった。
たまに入港する軍用艦船も小さな哨戒艇で、駆逐艦や巡洋艦などの姿は望むべくもなかった。
ブリューヘルと違い北海に面しているため、頬に当たる風は少し強く冷たいものだったが、太陽が暖かい光を降り注いでくれているためか、その冷たさも逆に心地よく感じられる。
何より、どんな理由であれ、五体満足な姿で故郷の街に戻ったということが、私の胸を感慨にふけらせ身を熱くさせてくれた。
昔と変わらぬ斜面に沿って建ち並ぶ家々が、ゆったりと穏やかな時が流れる印象をこの町に与えてくれている。
私は、風に含まれる微かな潮の香りを感じながら、目に焼き付けるようにそれらを見渡した。
戦時下であることが嘘のように麗らかな陽射しが降り注ぎ、開戦以来、じわじわとささくれ立っていった私の心を、故郷の風景は暖かく迎えてくれるようだった。

「ああ、ホルスト。あんた、よく無事で…」
改札から出てきた私に、母親のユスティーナがしがみついてきた。
しばらく見ない間に、元々小柄だった母親の身体は、さらに一回り小さくなったように感じた。
私の胸に押し当てられた栗色の髪にも、白いものが目立つようになっている。
震える肩から、生活の不安と戦火に対する恐れが、ひしひしと伝わってきた。
私はそっと、その薄い肩を抱きしめ、やつれの見える頬に口づけをした。
「これこれ、母さん。」
傍らで父親のヒューベルトが茶目っ気たっぷりに言葉をかける。
「私たちの息子を独占しちゃいかん。どれ、私にも顔を良く見せてくれないか。」
「あらあら、ごめんなさい。私ったら、つい…」
母親は、気恥ずかしそうに身を引いて、ほつれ毛をかき上げた。
私は、そんな母に優しく頷くと、父親の前で踵を打ち鳴らし敬礼をした。
「ベルカ国防空軍ホルスト・ラインダース少尉。任より、ただ今、到着致しました。」
「急に堅苦しい挨拶をするな。」
父親は苦笑して言った。
「親に対して敬礼はいらん。母さんにやったようにしてくれれば、それで私は十分だ」
その笑顔につられ、思わず私も表情を崩した。
「ただ今、父さん」
父と抱擁を交すと、気恥ずかしさを隠すため笑みが自然に浮かぶ。
軍服の胸元につけられたプール・ル・メリット勲章に目ざとく気づいた父親は、まぶしそうに目を細めて言う。
「プール・ル・メリット勲章か。華々しい戦果をあげたのだな。」
視線に気づいた私は、どう返事を返してよいか分からず、顔を曇らせた。
「ああ、これですか……自分の手柄ではありません。同僚たちが…」
「まあいい、まあいい。」
最後まで言わせず、父は私の肩を叩いて言った。
「その話はまた、後で聞かせてもらうとしよう。それより、お前の後ろにいるご婦人が電話で言っていた方かね?」
ほっと表情を崩した私は、弟のハインツ、妹のクリスティーナと抱擁を交わすと、私の背後に隠れるように立っていた人間に振り返り一度小さく頷いてから、改めて家族に正対した。
「父さん、母さん紹介するよ。ニーナ・ディードリッヒさんだ。」

私たち一家とニーナを乗せたフォルクスワーゲンT3は、弟ハインツの運転で駅前を抜け、郊外に向かった。
車内にすし詰めになった6人は、お互いの体のぬくもりに、心地良い幸せを感じて微笑を交した。
「BMWを手放したの?」
うなりを上げる水冷フラット4リアエンジンの音に負けないように、私が声を張り上げると、父親は肩をすくめて笑った。
「こういうご時世だからな。贅沢は慎め……ということだ。」
「まさか、党からの指導が?」
「偉そうにふんぞり返って、嫌な感じだったわ。」
クリスティーナが、プッと頬を膨らまして言った。
「あなた方は国家存亡の危機をご理解頂いてないらしい……ですって。存亡の危機を招いたのは一体誰だって、怒鳴りつけてやりたかったわ。」
「おいおい、その発言は穏やかじゃないな。」
ハンドルを握ったハインツが、苦笑して言った。
「発端はどうであれ、今がベルカ国民にとって重大な岐路であることに変わりはないだろ。BMW1台で役に立つなら良いじゃないか。」
「それが、無能な将軍の御用達になったとしてもね。まあ、家が残っただけでもマシだと思わなくちゃね。」
「クリス、それはどういうことだ?」
思わず私が問い返すと、クリスティーナは忌々しそうに答えた。
「危うく軍に接収されそうになったのよ。連合軍が来るっていうんで、うちを含めた近隣一体を野戦陣地にしたかったみたい。だけど、うちの周りって、殆ど難民の避難所になっているじゃない。だから、私たち住民が住む建屋も炊き出し所にするってことで接収だけは免れたのよ。」
「そんなこと、電話では全く……」
「当前でしょ。下手なことを言って、盗聴されてたらただじゃすまないわよ。一家揃ってスパイに仕立て上げられるに決まってるでしょ。なにかあれば、すぐ『お宅のご家族に、頻繁にオーシア国内と連絡を取り合っている者がいるとの通報がありました』と調べにくるのよ。言うことを聞かなかったら、誰でも彼でもスパイに仕立て上げるつもりなんだから。」
私は唖然として、妹の言葉を聞いていた。

中世史以来、アウクスブルクの地に住み、その領主に仕え続けたラインダース家では、代々長男が市の職員を目指し、次男は軍人となることを家訓としていた。
私の父ヒューベルトは長男であったため、アウクスブルク市に勤めていた。
本来であれば、その息子である私も同じように市の職員を志すはずであったが、私たちの代では長男次男の役割が逆となり、今は先日採用試験に合格になったばかりの次男ハインツが父親ともに公務に就いている。
そんな一家をスパイ扱いするなど信じ難いことであった。
市の社会福祉課に所属する父ヒューベルトは、誰よりも故郷と故郷の人々を愛していた。
窓口に訪れる困窮した人々、それが生粋のベルカ人であろうとなかろうと、父は必ず親身になって話を聞いた。
「困っている人を見捨てるとこはベルカ人たる誇りを失うに等しい」と、明るく笑って職場へ向かうその姿を、幼い頃から見てきた私は、父に深い尊敬の念を抱いていた。
その父を、スパイとは。
私の胸にふつふつと怒りが込み上げた。
膝の上に置いたこぶしが細かく震え、唇を固く引き結ぶ。
私の全身から怒りの炎が音を立てて燃え上がる感覚に襲われる。
その気迫にたじろいだのか、妹が口をつぐむ。
そんな破裂寸前の私を押し留めたのは、意外にもニーナだった。
彼女は、そっと私の手に自分の手を重ね、視線を捉えると僅かに首を振った。
はっと我に返った私に、物言わぬ茶色の瞳が語りかけていた。
怒りが引き潮のように引いて行き、それと入れ違いに後悔の念が湧き上がってきた。
父や母は、もっと傷ついているのだ。
自分がここで怒りだせば、両親をやりきれなくさせるだけではないか。
頭に血が昇って、そのことに思い至らなかった自分を私は恥ずかしくなった。
「……悪い」
ポツリと呟き、場を取り繕うように駅で買ったコーラをあおった私だが、食道を刺激する炭酸に盛大にむせかえる。
その様子にニーナと妹が、同時に吹き出した。
ささくれ立った空気が一度に和み、狭い車内に明るい笑い声がはじけた。


1995年5月25日 午後9時45分 ベルカ公国 ラインダース家

ニーナが加わってはいるものの、久しぶりに私たち一家は揃って食卓を囲んだ。
母の心づくしの手料理に舌鼓を打ち、よく冷えたビールで喉を潤して、私は張り詰めた緊張がほぐれていくのを感じていた。
前線では味わうことの難しい、静かな夜の心温まる団らんのひととき。
食後のコーヒーを飲みながら煙草の紫煙を吐き出すと、昨日まで激戦の只中にいたのが嘘のように思える。
誰もが、注意深く戦況についての話題を避け、ささやかな憩いの場を作り上げようとしていた。
その気持ちが痛いほど分かるからこそ、私は努めて明るく振舞い、戦いのことを忘れようとした。
当局からの指示に従い灯火を落とした薄暗い部屋の中で、数個のランタンの火に照らされた家族の顔には、深い安堵の表情が浮かんでいる。
日々、戦闘の中に身を置く私のことを、誰もが気遣い、その無事を心から喜んでいた。
「今回は、いつまでいられるの?」
食器を片付けながら、ユスティーナがさり気なく尋ねた。
キッチンで洗い物をしていたクリスティーナとニーナの後姿に微かな緊張が走る。
最近町で起きた出来事について話していたヒューベルトの眉が上がり、隣で雑誌を読んでいたハインツが、たしなめるように視線を上げた。
聞かずにはいられない母親の気持ちを悟った私は、煙草を揉み消すと、重い口を開いた。
「明日の夜までなんだ、母さん。今度、ノルトラインエリアのヴェストファーレン航空基地に転属になってね。部隊編成のために、明後日の昼には基地に戻っていなければならないんだ。」
母親の表情が一瞬で曇った。
「たった一晩…」
「うん。それでも、休暇をもらえるだけ贅沢なことだよ。」
「ヴェストファーレンって、どの辺りなの?ブリューヘルよりも遠いの?」
「スーデントールから200キロぐらい北かな」
「そんなに遠くへ………」
ユスティーナは、一人茫然と呟いた。
スーデントールはアウクスブルクと正反対の位置に存在し、そこに辿り着くには、ブリューヘルまでの倍の距離を移動しなければならない。
しかもその辺り一帯は、毎日のように連合軍の猛爆を受けている激戦地ではないか。
そんな所へ行ったら、明日の運命さえ分からない。
炎の尾を引いて墜落して行く我が子の幻影が脳裏を過ぎったのか、母親の手から皿が落ちて粉々に砕ける。
よろめきかかる彼女を、ハインツが素早く立ち上がって支えた。
キッチンから駆けつけたクリスティーナとニーナが、母親の腕を取って寝室へと連れて行く。
暗い表情で、妻を見送ったヒューベルトが、私をジッと見つめて言った。
「戦況は、そんなに悪いのか?」
少しためらった後、私は口を開いた。
「国境線での邀撃戦がことごとく失敗して、空軍は投入した戦闘機部隊の大半を喪いました。もはや、ベルカ全域の防空は不可能です。私の所属している第4航空師団も大きな損失を受けてます。南ベルカの主要な航空基地の大半は、可動機のほとんどを失い統廃合によって再編成中です。総司令部は南ベルカ防空を諦め、主目的を北ベルカ防空に移したそうです。私たちが守れるのは、もう円卓を含む一部の南ベルカだけです。」
「そんな馬鹿な。気ちがい沙汰だ!」
ハインツが蒼ざめて叫ぶ。
「兄さん、それじゃこのアウクスブルクは、一体どうなるんです?ここには、家を失い命からがら逃げてきた難民たちが数千人単位でいるのに!」
私は答えない……いや、答えれなかった。
暗い沈黙が、3人に圧し掛かってくるようだった。
ひゅうひゅうと、窓の隙間から吹き込んでくる風の音だけが聞こえる。
沈黙に耐えかねたのか、ヒューベルトは深くため息をつくと、そっと立ち上がって部屋を出て行った。
遠くで、汽笛が鳴った。
かすかな機関音が静かな街に低く響いている。
北海へ向かう海軍の哨戒艇だろう。
今夜もまた、多くの兵士が死地へ旅立とうとしている。
やりきれない思いに、私の胸が疼いた。
私は煙草の箱からまた1本抜き取って火をつけると、深々と煙を吸い込んだ。
ハインツが、怒りを押し殺したような声で尋ねた。。
「兄さん、一つだけ答えて下さい。……もう、ベルカに勝ち目はないのですね?」
私は、ゆっくりと煙を吐いて頷いた。


1995年5月25日 午後11時20分 ベルカ公国 ラインダース家

私が、疲れきった足取りで寝室へ向かい階段を上りだしたのは、それから1時間後だった。
小さな照明を頼りに2階の廊下をゆっくりと歩いていくと、ニーナにあてがわれた部屋から彼女が首と手だけを出し、ちょいちょいと私を手招いていた。
彼女が着ている物はクリスティーナのパジャマであり、見慣れた基地での作業着姿とは違い、なぜか全くの別人のようにも感じた。
背後の照明の陰になって、その表情までは窺い知れなかったが、薄闇の中で茶色の瞳が潤んだように輝いていた。
「どうした?」
私は、他の家族を起こさないよう声を潜めて言った。
「ちょっと、寝れなくて……」
はにかんだように笑顔を浮かべてニーナは呟くと、少し一緒にいてよと言葉を継いだ。
「…母さんは?」
「妹さんとさっきまで付き添っていたけど大丈夫よ。もう、ぐっすりお休みになってる。」
「そうか……。やはり、ヴェストファーレンへの移動を言うべきじゃなかったな。」
「自分を責めてもしょうがないよ。遅かれ早かれ…みんな知ることになるんだから…。」
「うん。だけど、家族に余計な心配をかけてしまった…」
「みんな、ホルストを愛しているからよ。」
ベッドに腰掛け、ぶらぶらと揺らす自分の足を見ながらニーナが言う。
「ホルストの家族を見ていて、少し羨ましくなっちゃった。…私のお母さんもきっと心配してるだろうな……」
時は既に深夜に差しかかろうとしていた。
空には大きな月が浮かび、妖艶とも神秘的とも取れる光を窓から差し入れている。
私はニーナから目を離し、月を見やった。
「そうだな…きっと心配してると思う…。そして、同じようにこうやって月を見上げてるのかもしれないな…」
儚くも淡い光をうけながら、私は言った。
今思い返しても私らしくない台詞だったが、別段気にするわけでもなくニーナは
「そうだね…」
と、私と同じように思案するように言った。
「…でさ…ニーナ、やっていけそうか?」
私は窓辺に寄りかかると、駅からこっちずっと気になっていたことを尋ねた。
「はあ??っ……疲れた…」
その途端、緊張の糸が切れたようにニーナが大きなため息をつき、がっくりとうなだれた。
「だってさぁ、お父様もお母様も、もちろん弟さんや妹さんも良い人なのは分かったんだけど……やっぱり初対面でいきなり同じ屋根の下でしょ…気を使っちゃって…」
少し困った表情をしてニーナはペロッと下を出す。
「そりゃそうだろうな……」
私も苦笑いでそれに応じた。
いきなり知らない人間たちに囲まれて、これからしばらく共同生活を送るのだ。
精神的にくたびれるのも無理はない。
私は再び窓の外に目をやった。
月の光に照らされて、湾内が淡く輝き、闇に溶け込んだアウクスブルクの町並みと絶妙なコントラストを作り上げていた。
海から吹き付ける風の音以外は聞こえず、整備員の声や航空機の排気音で慣らされた私には、まるで異世界にやってきてしまったようにも感じた。
「なぁ、ニーナが住んでいた町もこんな感じだったのか?」
そう尋ねると、彼女は微笑みながら小さく頭を振った。
「オーシアにいた頃はかなり都心に近かったから、こんなに静かなのは慣れてなくて……ちょっと怖いね。」
「そっか、それじゃあ慣れるのに少し時間がかかるかな…。」
「うん…。でも、頑張るよ。」
それっきり、私たちはしばらく口を開かなかった。

「なぁ、寝酒がてらに、もう少し飲むか?」
「え?いいの?」
その沈黙に耐え切れなくなり、私はふと思いついたことをそのまま口にした。
「ああ、俺が取ってこよう。」
「じゃあ、遠慮なくいただこうかな。」
ニーナの返事を聞くと、私は黙って頷いてゆっくりと1階へ降りていった。
勝手知ったる我が家の冷蔵庫を覗きこむ…目に付くアルコール類は缶ビールくらい見当たらなかった。
さっぱりとしてキレがあるのが特徴の<アインベッカー・ボック・ヘル>。
そういえば、以前2人でこれを飲んだ時は隊舎の屋上だったっけ、あの時も月が綺麗だったな……などと少し前のことを思い出して、私は声を出さずに笑った。
明日は基地に戻らないといけないし、夜も遅い…今さらアルコールもパイロットとしてどうな…と、しばし逡巡したが、意を決し、よく冷えた缶を4本抱え込んで、再び彼女の部屋へと歩を進めた。
彼女の部屋に入り、床にビールを置くとニーナは嬉しそうにその一本を手に取った。
緑色の缶が、月の光を受け金属質な輝きを放つ。
炭酸が外へ開放されたプシュッという小気味の良い音と共に、ニーナはビールのプルタブを開けた。
「…で、今回は何に乾杯?」
以前もしたような質問を投げると、あの時と同じ笑顔でニーナは微笑んだ。
「そうだねぇ。ホルスト・ラインダース少尉殿のさらなるの武運を祈って…ってのはどう?」
「…なんか、前よりよそよそしくなってないか?」
「冗談よ。あたしとホルスト…二人の未来に…」
喉の奥でくっくっと笑うと、ニーナは一人プロスト(乾杯)と言って、缶を合わせてきた。
私も慌ててそれに合わす。
ゴキュゴキュという音と共に彼女の白く細い喉が上下する。
「ぷはぁっ。」
「…うまそうに飲むなあ…」
あまりの飲みっぷりに感心すらしてしまう。
「なんか、ようやく気が抜けた感じがする。」
自然体で笑うその顔は、私が好きな彼女の顔で、それはどこまでも晴れ渡る、雲一つ無い青空に輝く太陽のようだった。
「なぁ、ニーナ。」
そう呼んで、彼女の視線を捕まえると、私は真顔になって言った。
「戦争が終わったら、オーシアへ連れてってくれないか。君の育った町を見てみたいし、ご両親にもお会いしてみたい……」
「そうね、そうなると嬉しいな。意外にいい国なんだよオーシアも……でも、そのためには生き残らなきゃね、ホルストもあたしも…」
ベッドに腰をかけたまま、彼女は両手でビールの缶を軽く回していた。
アルミ缶に遮られ中身をうかがい知ることはできないが、琥珀色の液体が規則正しく缶の側壁をなめているだろう。
「なんか、ホルスト少し変わったよね……生き急いでる感じがする。」
「…ここ最近、いろいろとあったからな…。」
ニーナの少し跳ねた金色の髪にそっと手を触れて、私は『あの日』のことを思い出していた。


1995年5月23日 午後3時15分 ベルカ空軍ブリューヘル基地 パイロット待機所

あの日。
所属する第4航空師団のパイロット待機所で、私は窓際に据え付けられたソファーに横になっていた。
補充兵たちとの飛行訓練でくたくたになった身体を少しでも休ませるためだ。
暖かい日差しの下でまどろむ至福のひと時、それは飛行を終えた自分に対する、ささやかなご褒美でもあった。
(今後、どうなっていくんだろう…。)
自分が住むこの国の行く末を、私は真剣に考え始めていた。
昨日、決戦に備えた戦力温存という名目の元、同期のフレイルを含む多くのパイロットたちが乗機と共に、このブリューヘル基地からノルトベルカへ配置転換となった。
既に国土の2割が占領され、多くの難民が戦火を逃れようと北へ北へとただひたすらに流れているそうだ。
(自分に何ができるのか?)
……ぼんやりと考えながら、エンジン音も高らかに離陸していくサーブ 37 ビゲンに見開きかけた眼を、私は再び細めた。
もはや、この流れを押し戻すことは不可能だろう…じゃあ、いったいどうすれば良い…パイロットである自分は何をすれば良い…?
良く分からないな……寝返りを打ちながらも、その身はすでに睡魔へと全てを委ねかけている。
連日の飛行作業の疲れか、先程から聞こえている放送の内容など、もはやどうでもよくなっていた。
そう、ズカズカと自分に向かって近づいてくる足音にも。
スパンッ!
「いっ………てー!」
至福の時から一転、丸めた雑誌で叩かれた頭を抱えながら悶絶する私を、同じ部隊であるバルクホルン中尉が呆れたように見下ろしていた。
眼を開けた私が彼を見上げるを見届けると、何も言わず左手の親指を立ててスピーカーを示した。
身を起こし、文句のひとつも言おうとした私の耳に、先ほどから何度も流れている放送が入ってきた。
『第34戦闘飛行隊、ホルスト・ラインダース少尉。至急第1会議室へ。繰り返す―――――』
周囲を一度見回すと、私は気を取り直したように着装を整える。
「…ホルスト」
いつになく真面目な声で、バルクホルン中尉が私を呼ぶ。
「はい。」
その声色にどことなく違和感を感じ、私は中尉の顔を見つめた。
「……いや、何でもない。早く行け…。」
普段であれば、冗談のひとつも言って送り出してくれる中尉の表情が恐ろしいほど暗いことに気がついた。
(これは、何かある…)
妙な胸騒ぎを感じながらも、私は呼び出された会議室へと足を向けた。

「ホルスト・ラインダース少尉、参りました。」
ドアの前で、私が声をかけると
「よし、入れ!」
と、間髪いれずブリューヘル基地の副司令でもあるブルクハルト中佐の声が返ってきた。
「失礼します。」
金属製の扉を開け、中に足を踏み入れ一礼する。
顔を上げた先には、錚々たる顔ぶれが揃っていた。
ブルクハルト中佐の他に、司令官でもあるフリードリッヒ少将、整備班長のジナー大尉、所属する34戦闘飛行隊の隊長でもあるガーランド大尉。
そして、その奥に第二種正軍装で身を固めた若い佐官の姿もあった。
(やはり、何かある……)
と、私は直感した。
経験から推測すれば嫌な…それもとびきり嫌な予感だ。
「……中佐殿、自分に何か?」
「……ん、まぁな。立っていてもなんだ、掛けたまえ。」
露骨に警戒心が声に出てしまったが、ブルクハルト中佐は特に気にするでもなく言い、自分の隣の席に私を座らせた。
「失礼します。」
私は言われたとおりに座ったものの、周りに座る者の表情が、先ほどのバルクホルン中尉と同じくらい暗いことに気づいた。
私の警戒心は嫌が応にも高まる。

「ラインダース少尉、現在の戦況は知っているな?」
何の前触れもなく、ずいと机から身を乗り出し、フリードリッヒ少将が口を開いた。
現在の戦況…。
そんなものは軍に所属している者であれば、知りたくなくても知っている。
まして、自分のような最前線で飛ぶパイロットであればなおさらだ。
シェーン平原の第2次対空防衛線は突破され、タウブルグにある対空防衛化学レーザー兵器『エクスキャリバー』が実戦投入された。
射程範囲内での制空権はかろうじて維持しているものの、航空部隊は熟練要員と機材を失い戦線の崩壊は時間の問題とも聞いている。
だから私は「はい、知っています」とのみ答えた。
フリードリッヒ少将は続けざまに尋ねてきた。
「では……これから先、航空作戦で戦果を上げることが極めて難しいことも知っているな?」
「はい。」
そう言うと、少将は思いつめた表情から何かを決意した表情に変わっていた。
「ラインダース少尉。昨日、国防軍参謀本部から直々に命令があった。侵攻してくる連合軍の進撃速度を少しでも送らそうという狙いがあってのことだ。それは……」
話しながら、少将の顔色が再び変わる。
私は不審に思いながら、いっこうに続きを言わないフリードリッヒ少将に向かって言葉の続きを促した。
「……何でありますか?」
直後、少将は意を決したようにカッと目を開き眉間に縦皺を寄せて口を開いた。
「…我々はノルトラインエリアのヴェストファーレン航空基地に移動し、退却中の友軍が安全地帯まで後退する時間を稼ぐために遅滞戦闘を展開することとなった。攻撃隊は新たに構成する新部隊がその任にあたるものとなるが……君に、その部隊へ護衛の任に就いてもらいたいのだが……どうか?」
「少将閣下、質問をよろしいでしょうか?」
私は一呼吸おいてから言った。
「現在、我が34戦闘飛行隊を始めとして、既存の航空部隊すら十分な編成を取れておりません。そんな中、新設の航空部隊を構成するだけの機材や要員はどのように…?」
私は慎重に言葉を選び、少将から目を離さず問いかけた。
まるでその視線から逃れるように、フリードリッヒ少将は再び目を閉じ、腕を組むと深いため息をついた。
私以外に同席している人間も皆押し黙ったまま動かない。
まるで、私の発した質問がタブーであったかのような反応だった。

「少尉、その質問には私が答えよう。」
重たい沈黙を打ち破るように、突然、部屋の奥から先ほどの第二種正軍装姿の佐官が声をかけた。
「南部方面軍参謀クラウス・フォン・シュタウフェンベルク少佐だ。」
「ホルスト・ラインダース少尉であります。」
私は慌てて敬礼をした。
それに対し、クラウスと名乗った少佐は軽く頷きながら返礼を返す。
「新設部隊の機体については、4個小隊16機及び予備機分の航空機を確保し終えている。数日中にヴェストファーレン航空基地へ配備することが可能だ。パイロットについてだが、残念ながら戦況の悪化に伴い熟練パイロットどころか、正規教育を受けたパイロットすら確保することができなかった。そこで、作戦の中止を具申したのだが……国防軍総司令部からはベルカ青年団やベルカ女子青年団……少尉の世代にはベルカンユーゲントと言った方が良いかな?そこから選抜し、教育した兵士を配属させるから任務に充てるよう命令を受けた―――」
私は戦慄した。
ベルカンユーゲントとは言えば、肉体の鍛練や準軍事訓練、祖国愛を民族共同体の一員である青少年に集団活動を通じて教え込もうという、学校外の青年団だ。
その多くがハイスクールなどに通う学生で組織された集団で、たびたびプロパガンダとしてベルカンユーゲントから志願した兵士が陸軍に入隊したなどと宣伝されていた。
だが、その多くは後方部隊であり、最前線の実戦部隊……しかも戦闘機パイロットとして配属させるなど前代未聞である。
補充される機体の種類や性能はともかく、未熟練の代名詞も言うべきパイロットたちが操る戦闘機が、まともな作戦行動を取りえるはずがない。
「お…お言葉ですが、少佐殿はその戦力で作戦行動が可能と信じておられるのですか?」
「………私個人の意見としては、史上稀にみるキチガイ沙汰だと思っている。我々大人が始めた戦争を、子供を使ってまで戦い抜こうというのは外道も良いところだ。今や1機の戦闘機も無駄にできない状況だ。撃ち落されるためだけに飛ぶなら、旧式機を未だに使い続ける部隊に配備した方がよほど戦果があげられる。作戦の立案者がこんなことを言うのも何だが……正規のパイロットを確保できなかった時点で本作戦は頓挫したに等しい…。」
「そこまで分かっていて、なぜ少佐殿は……」
私が言葉をはさむと、クラウス少佐は火がついたまま灰皿に放置されているタバコを揉みつぶして歯噛みした。
「我々は軍人だ…。組織に所属する者は、その組織の命令には従わなければならん。それは君にも分かるだろう、少尉。」
「ですがっ!」
私は思わず叫んだ。
開戦以前から編成され鍛え上げられてきた部隊だからこそ、遥かに劣勢な戦闘機隊で、曲がりなりにも互角の戦いをしてきたのだ。
連合軍との戦力差は質・量共に日増しに開き、もはや挽回することは不可能に近い。
だからといって、まともに飛ぶことも叶わない俄仕込みのパイロットにその状況を打開することを押し付けてどうしようというのか…、それが騎士道を誉れとする国のやることか。
私の胸は、怒りに焦げんばかりだった。

「少尉、だからこそ君たちが必要なんだ。」
クラウス少佐は、私の目を正面から見据えて言った。
「彼らは、総司令部が直接編成した部隊だ。作戦担当者といえ、私が出撃を止めることはできん。たとえ今回は止められたとしても、総司令部は第2、第3の少年兵による航空隊を編成するだろう。彼らは……低空を這って飛ぶこともできなければ、急降下で投弾することもできまい。敵の航空勢力と戦うなど以ての外だ。……だからこそ、そうだからこそ、君たち熟練パイロットが頼りなんだ。」
少佐は話している間中、視線をそらすことはなかった。
(頼む、何も言わず引き受けてくれ…)
少佐の瞳は、そう言葉以上に雄弁に語っていた。
私は、びくりと体を震わせた。
無意識に目が大きく見開かれる。
開きかけた口を引き結び、私は相手のさらなる言葉を待ち受けた
「先ほど、フリードリッヒ閣下は命令書通りに君たちを護衛と仰ったが、それを訂正させてもらう。連合軍への遅延攻撃を行う主力は君たちだ。君たちの力で、敵が南ベルカを席捲するのを少しでも遅らせて欲しい。」
「我々に、ひよっ子のお守りをしながら…対地攻撃や対戦闘機戦闘を行い、尚且つ戦果を上げろ……と?」
キッと両目を見開き、私はクラウス少佐を見据えて言った。
「無理難題を吹っかけているのは承知している。だが、今の南部方面軍の戦力ではB7Rを含む一部の南ベルカしか支えきれない。取るべき作戦は、この遅延攻撃しかないんだ…。」
「…………」
「確かな筋から入った情報によると…」
私が口を開こうとするのを制するように、クラウス少佐は低い声で言葉を発した。
「先ほど…タウブルグのレーザー兵器『エクスキャリバー』がウスティオ空軍と思われる少数の航空部隊によって破壊されたそうだ。これで連合は大手を振ってやってくる………そして、これは他言無用にして欲しいのだが、味方の強硬派の中に密かに核兵器を用いた防衛作戦を準備している輩がいるという。ノルトベルカへの侵入を阻止するため、バルトライヒ山脈に沿って数発の核兵器を起爆させる……確かにそれで連合軍の侵攻は一時的であれ、確実に停滞するだろう…多くの同胞の命と引き換えにな。そして、生き残った者たちもむこう数十年間北の大地から出ることを許さず、我々ベルカ人は末代まで狂気に犯された民族として歴史に汚名を記すだろう。それを防ぐには国体を維持しての早期講和しかない…その交渉の時間を稼ぐためにも君たちだけが頼りなんだ―――」
会議室を出た私の脳裏には、クラウス少佐の言葉が、こびりついて離れなかった。
武器をエスカレートさせ、手段を問わず、より多くの敵を殺そうとする。
そうした、殺戮の果てに何が残るというのだろうか。
これが、強き正統なるベルカを求めた結果なのだろうか。
だとすれば、それは何と不毛なものであろう。
ブルクハルト中佐が気を回してくれた、基地移動の準備の間にニーナを私の実家へと疎開させるという話には感謝しながらも、私は晴れることのない気持ちに深いとため息をついた。

「何を考えてるの?」
私は、ニーナの気遣うような声で我に返った。
視線を巡らして、もう一度窓の外を仰ぎ見る。
月の淡い光に負けそうになりながらも、息を呑むばかりの星々がまたたいていた。
私は、ふっと吐息をついて顔をそむけると、俯きがちに言った。
「いや、何でもないよ…。」
「でも……。」
私はニーナを両腕で抱きしめ、彼女の甘いリンスの香りがする髪に顔を埋めると、その言葉を途中で途切れさせた。
「これ以上、このベルカの地を連合の好きにはさせない……俺は最後の最後まで戦って…ニーナ、君を守り抜く……だから、待っていてくれ。」
「ホルスト……この戦争がどうなろうと……必ず生きてここへ帰ってきて…」
私は、返事をするかわりに黙ったまま抱きしめた腕に力を籠めた、ニーナもまた私の背中に腕を回してくる。
私たちはそれから暫くの間、きつくきつくお互いを抱きしめ続けた。
まるで、千切れゆく大切な何かをつなぎ止めようとするように。
私は視界の隅で、光が一つ糸を引きながら流れていったように感じた。


To be countinue....
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暑中お見舞い申し上げます

2008/07/28 12:30

暑中お見舞い

このサイトに足を運んでくださる皆様へ
暑中お見舞い申し上げます。
全国的に異常とも思える暑さに見舞われておりますが、お変わりありませんでしょうか?
まだまだ暑い日が続きます。
夏ばてや熱中症には十分お気をつけられて下さいませ。
画像は、地元瀬戸内の風景であります。
少しでも涼しさを感じて頂けたら幸いです。

今後とも『紺碧の空』を宜しくお願いいたします。

viper
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住処:西国(安芸の国)
職業:会社員
趣味:ネットサーフィン、ゲーム等々

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